財政難の鹿児島県で政策実現の予算を確保するには
私が初当選したのは平成15年。その後19~23年の4年間の浪人期間を経て、現在に至っています。
初当選以来一貫しているのは、「鹿児島県は財政が潤沢ではない」ということです。伊藤祐一郎氏が、知事に就任したのは鹿児島県の財政と立て直すためであり、その12年間は緊縮財政ながらも鹿児島県の将来のために投資すべきものは投資していわばメリハリの財政を利かせてきました。
伊藤氏は、前任者の作った「財政改革プログラム」をさらに進化させ、さらに厳しく切り込んだ「県政刷新大綱」によって、財政課によって厳しい査定がおこなわれるようになりました。
おかげで鹿児島県は財政的に倒れずにすんで、現在に至るのですが、県議の立場からすれば、県議会議員選挙で政策を訴えるにあたり、多額の予算を伴う壮大な夢を訴えにくい現状にあります。「そんなに予算がかかるものは非現実的だ」と言われかねません。
しかし、現実的すぎる陳情要望の処理だけでは、ただの便利屋になりかねません。そこで、「壮大な」とは言わないまでも、「10年越しなら、もしかしたら実現できるかもしれない」という「そこそこの夢」を描きつつ、現実的な着地点を作ることのできる政策を作っていくことになります。
かつて県議会に在籍した小里貞利氏の回顧録に県議会時代のことが書いてありました。「無所属で初当選して活動していたが、その自民党に入り活動した。すると、発言したものに予算がつくようになった」というものです。当時は、日本の戦後復興から高度経済成長の一歩手前の時期です。税収の伸びも含め、予算のつきやすい環境下にあったと思います。
低成長時代のうえに、財政難の鹿児島県。最大会派に所属して発言しても、なかなか予算が簡単につくものではありません。粘り強く担当県職員さん方と共に汗をかき知恵を絞り、情熱を伝えることでやっと予算がつくというのが現状ではないかと思います。
つまり、「要望を受ける→それを県職員さんに電話一本で伝える」というだけでは、予算確保競争に競り負けるというのが私の実感です。なので、ひと工夫ふた工夫必要になっています。
台風に備え、普段から執行を留保している河川維持予算を知っていたので、かねてから「執行留保が解除されたら甲突川へ」とお願いしておりました。台風の来なかったある年、「藤崎議員、兼ねてから熱心にご要望いただいておりましたので、甲突川へ予算をつけますね。」ということで約5000万円の予算がつきました。
小野4丁目のがけ崩れ防止の急傾斜地崩壊対策事業。町内会の皆様と一緒になって同意書のハンコを集めたり、山の急こう配の状態を私自身も山に登って確認したりと、活動状況を河川港湾課に定期報告し、町内会が作成する書類づくりを全面的にサポートし、鹿児島市とも調整にあたりました。「地域の皆さんと一体になって大変熱心に取り組んでいただいたので、来年度の採択作業に間に合うように国土交通省に書類を上げますね」と職員の方からお話をいただき、翌々年に約3億円の事業が採択されました。
職員さんの立場を理解し、コツコツ努力を兼ねていくしかありません。
一方で執行権・予算編成権のある知事には、マニフェストに書いた政策を実現するために、予算がつきやすい傾向にあると言えます。「マニフェストに書いた項目は、4年間のうちに何らか着手したい」というのは、知事の思いであり、「着手させなければならない」という担当部局の義務感、選挙で選ばれた知事の思いには理解を示す議会という構図があります。
令和3年度の予算が可決しました。新年度もコツコツ小さな努力を重ねて、県民生活の維持、そして向上につながる「政策実現の予算確保」に努めたいものです。