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asyncよもやま話

カバー画像は今日行った京都駅です。

拙作「 async」について。

ちょうど一年ほど前にこれを書きました。あとがきというわけではないのですが、ふと思い立ったので簡単に当時思っていたことを少し書いてみようと思います。

タイトルは私が好きなアルバムからとっています。なのにもかかわらずイメソンというか作業用BGMは女王蜂と満島ひかりの回春からきています。何故?

いつかつかいたかったタイトルではあります。タイトルのasyncすなわちasynchronization(非同期性)は彼らの関係を示唆しています。全てを知っている流と何も知らない彼女の気持ちのリンクしなさみたいなのを考えていたことは覚えています。

まず、記憶喪失になったまま記憶が戻らない話を書こうということは頭にありました。世の中、記憶が戻ってハッピーエンドの話は素敵なお話がたくさんあるからです。そして、怪我をして記憶なくすみたいなのもやめたいなーと思いました。これも素敵なお話以下略です。ないものは作るしかないという気持ちで書きました。記憶を失ったままの夢主がどうやって一人のひとにもう一度恋に落ちるのか、という観点です。

前編が夢主視点、後編が流視点になっています。言ってしまえば質問編と回答編といったところでしょうか。前編は、なるべく穏やかな愛の話にしようというふうに気をつけて書きました。そのなかにいくつかクエスチョンをもうけた気がします。

流はなんで彼女に優しくするのか。
彼女のことを知りすぎているのか。

恋人関係だったのでは、ともし思っていただけていたのなら、私としては嬉しい限りです。キャプションの「依存とは従属であり、信仰とは妄執であり、赦しとは受容である。」というテーマの書き方は割合1984年から影響を受けています。もろそうです。「それは信頼でもあり親愛でもあるが、なによりも。それは依存であった。」この辺りもなんかちょっと意識してんな〜と言う感じです。

人を好きになるというプロセスの中に、依存っていうフェーズが全くないことはないと思っていて(少なからずあると思っていて)。その中で〝何も持たない彼女〟が全てをくれる流くんに全てを預けるのって。いいなあと思いました。で、これを〝全てを知ってる〟流くんが言わせることのグロテスクさ、みたいなのが書いててわくわくしていたのを思い出します。彼女が流を「好き」と言わせることに意味があったんですね。

そして後編。流視点について、彼女と流が交際もなにもない、セフレ関係(わたしがすきなやつ)で、それさえも関係を終わりにしようとしていたところから始まります。結局彼女も本当に彼を想ってはいたのですが。
あとは、流→夢主の妄執といった部分をかなりフォーカスしたかったです。普通にされたら結構気持ち悪いよな……とおもうことを流にさせています。これも書いていてたのしかったです。とても。前編でスバダリだった流くんが全てある意味狂っていたというのは、本当にたのしかった。

結構どの私の書く話〝許し〟がテーマになってるのですが、今回も違わず〝許し〟が大枠のテーマになっています。夢主→流の許しです。受けの神格化というのが私のヘキでして……。そして、罪の共有というのもひとつのヘキで、全てを暴かれてたあとに、全部知ってて夢主もかなり酷い人だと思いながら書きました。
最後はくっつけたかったです。エロはちょっと無理矢理いれちゃった(画として見たかった)気がしますが、これからの二人のメタファーだと思っていただければと思います。

ちなみに定食屋は実在する(私の知る当時はしていた)定食屋をイメージしています。定食屋っていいですよね。学生の時何度もお世話になりました。

結構私の「好き」をこめられた話だと思っています。そして、書いててこんなに楽しい話も滅多になかったです。どれくらい読者さんに伝わってたのかはわかりませんが、意図が少しでも伝わっているといいなと思いました。

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