【ネタバレあるよ!】はじゾンの話。
大好きな劇団、-4cus-の公演。
「はじめまして、ゾンビです。」
見終わった当日も感想を書いたのですが、
ネタバレを避けて避けたので
消化不良で終わってしまいました。
ですので、今回は「ネタバレありますよ」
と注意書きした上で、
私のエネルギーを消化させてください。
ちなみに-4cus-の皆さんから
許可はいただきましたのでご安心ください。
改めまして、
もう一度申し上げます。
ネタバレ、あります。
まだ見れてない方は配信もあるので、
読まないようにしてください。
よろしいですね?
では、お言葉に甘えて。
まず、真澄さん、康希さん、陽葵さんで
行われた、-4cus-インライでのお話。
陽葵さんが「伏線があるので…」と仰っていて、
そういった類のお話が大好きな私は
楽しみでたまりませんでした。
伏線があるお話、といえば。
私が経験したものだと、
「サマータイムマシン・ブルース」が
挙げられます。
また、洋画だと「インターステラー」なども
そうでしょうか。
伏線を回収するようなお話…
特にタイムリープものなどはそうですが、
そういったお話は、考えながら見ることが多い、
かつ、後半に盛り上がりがあるため、
非常に魅力的な作品です。
しかし、同時に「冒頭は面白くない」という
ネガティブなポイントも孕んでいると思います。
私の家庭は洋画を好む家庭でしたので、
洋画の映像美については理解しているつもりです。
ありえないほど経費がかかっている映像。
そこには、現実と創りものの境が
ないほどの空想があります。
「インターステラー」のような洋画であれば、
CGなどの映像技術が駆使されているため、
最初の「退屈さ」をカバーする要素が
含まれていると私は考えています。
しかしながら、邦画は多くの場合、
そういった、「映像美」に関する要素は
少なくなっていると考えます。
もちろん、風景などと言った意味で、
「映されているものの美しさ」が
ある作品はたくさんあると思います。
ただ、多くの邦画の場合、
CGなどの技術に手が加えられたものは
少ないと見られるため、
伏線ものにおける「冒頭の退屈さ」を
埋めるものか欠如されがちだと思います。
実際に、「サマータイムマシン・ブルース」に
おいてのオーディオコメンタリーでも
「最初は我慢だ。」
と述べられていたのをよく覚えています。
私も実際に鑑賞していて、
「本当に面白い作品なのかな…?」と不安に
なったのも事実です。
そういった点から、邦画、ないし日本の作品に
おける伏線ものは、その面白さと同時に、
「退屈さ」を要素として抱えがちだと
考えられます。
しかし、「はじめまして、ゾンビです。」は、
一風変わったものでした。
こちらはあくまで「コメディ作品」であって、
はじめからシンくん(演:小林和葉)と
ゲロゲロくん(演:児玉康希)の
「ふざけたシーン」から始まります。
こういったシーンは、見ただけで笑える、
「誰でも笑えるシーン」であり、
どちらかと言えば
ストーリーに直結しないシーンです。
しかしながら、それは
「物語の全貌が分からない中でも、
無条件に笑えるシーンである。」
とも言えます。
つまりは、伏線ものに生まれがちな
「冒頭の退屈さ」が、
冒頭からふざけたシーンが
盛り込まれることによって、
補填されていたと感じました。
実際私も、1時間退屈せずに鑑賞しながら、
「伏線がどこで回収されるのか」と、
話を見る上での楽しさも感じながら
鑑賞することができました。
「SF」という、-4cus-にイメージがない
ジャンルの作品でありながら、
「コメディ」という、これでもかと言うぐらい
彼ららしいジャンルがかけ合わさることで、
唯一無二の、皆さんらしい作品だったのではないか
と思いました。
また、それそれのキャラクターの個性が
立っていたのも非常に印象的でした。
特に私がこの舞台を鑑賞する上で
親近感を持ったのは、
「みさみさ」(演:松岡美沙)でした。
体調を崩しがちになり、
様々なことに興味を持つことが難しくなってた
日々の中で、
-4cus-に対しての興味を欠いていく自分を
自覚していました。
それが自身で「自分は異常だ。」と感じる
きっかけになったわけですが、
それはもう、精神的に辛いものでした。
そもそも、-4cus-に出会う前の私は、
「耐え忍ぶのが生きることだ。」と
思っていました。
嫌なことを我慢して生きることこそ、
人生だと。
だって、この世界に、私をずっと魅了してくれる
ものは何一つなかったから。
そんな生活の中で、突然現れたのが-4cus-でした。
かれこれ皆さんを知って1年以上。
好きが溢れる対象でしかありませんでした。
これがしたい、あれがしたい…。
その全てに必ず-4cus-の誰かが絡んでいて、
それこそが私の「モチベーション」で、
「生きる力」でありました。
-4cus-のことが、
-4cus-が作るお話が、
その世界観が、好きでたまりませんでした。
だったはずなのに。
突然訪れた、冷めていく感情。
はじゾン公演に向けて頑張る皆さんを
見るのが、この上なく苦痛に感じるように
なってしまいました。
だって今の私は、何も頑張れないから。
何も頑張れない私に気づいてしまうのが嫌で、
-4cus-を遠ざけるようになってしまいました。
本当に、愚かなことをしたと今でも思います。
それでも、突然「はじゾンを見ないと後悔する。」
と思った感情のままに、
東京まで見に行ったあの日。
舞台の中でみさみさはこう言っていました。
「光なんて見せないでよ」と。
ここで言う「光」というのは、
「希望」のようなものを指すと考えられます。
ハヤテくん(演:斉藤陽葵)という「人間」が現れ、
実は「人間」だったななちゃん(演:小林芽)を
見てしまったみさみさは、
ゾンビである自身の境遇を呪って、
自分も含めた16番地区という場所を
終わらせようと試みます。
そこに対するみさみさの様子をみて、いつか
「-4cus-のことなんて知らなければよかった」
と思った自分を思い出しました。
-4cus-という「光」さえ無ければ、
「暗闇」で生きることは普通だった訳ですから。
そう思いながらみさみさを見つめていた矢先、
ゲロゲロくんが言っていました。
「ななちゃんには感謝しないといけないよ」と。
「ミンティアが無かったら、僕達こうして
出会ってないよ。」
と。
私はすかさず、-4cus-のことを思い出しました。
自分が嫌でたまらなかったあの日、
偶然TikTokで出会った「あの人」。
それがきっかけで、知った2人のこと。
「まだ間に合うよ」と言ってくれた彼や、
朝からこの公演のチケットを取ってくれたあの人。
東京の夜道を歩く私に
「待ってます、楽しみにしてて!」と
言ってくれた彼。
また、隣にいるのは、
「沙月ちゃんと一緒に(舞台を)見たい!」と
言ってくれた友人でした。
公演の後、「沙月さんですよね?」と
声をかけてくれて、沢山話してくれた
人もいました。
そうやって、
私に幸せを運んでくれた人達がいた事を、
今を苦しむあまり、忘れてしまっていたのです。
正直に言うと、現状はあまり変わっていません。
体調も、芳しくない日々は多々あります。
それでも、私に幸せがあることを
忘れていてはいけない。
突然東京に行きたいと思い立ち、
この空間へ連れてきてくれた-4cus-には
感謝しないといけない。
そう思い直した瞬間が、この舞台にはありました。
私は「幸せ」なんだと、
そのヒントをくれた作品でした。
最後に、この舞台のラストシーンの話を
したいと思います。
終盤に差し掛かった時のハヤテくんのセリフ。
「ゾンビ映画の本当のハッピーエンドって
なんだろう」というセリフ。
このセリフを聞いた私は、すぐに察しました。
これはきっと、脚本を書いた陽葵さんが
この話を書く上で本当に思ったことなんだろうと。
そのセリフの中で、
「その先も大切な人に会えるなら、
いい最後だと思う」
というような旨も、ハヤテくんが話していました。
そう仮定すると、次のことが結論づけられます。
この物語の結末こそが、陽葵さんの思う
ゾンビ映画のハッピーエンドである
と。
それを思った瞬間から、自分の内側で
胸が高鳴り出すのを感じていました。
この物語の結末を知ることで、
大好きな人の考えていることに少しでも
近づけてると思ったからです。
しかしながら、本当の結末は
少し違っていた形でした。
最後にゾンビになってしまったハヤテくん。
16番地区のメンバーに迎え入れられ、
自己紹介を促されます。
その際、「はじめまして、ゾンビです。」
と、タイトルの回収を行って物語は幕を閉じます。
私が想像していた形とは違っていたものの、
未完成でありながら、
最高の結末であると感じました。
皆さんは学生時代に「ミロのヴィーナス」という
現代文を読んだことがおありでしょうか。
それでなくとも、「ミロのヴィーナス」は
有名な芸術作品であるため、ピンとくる人も
多いでしょう。
現代文における「ミロのヴィーナス」がいうには、「あれは両腕がないから美しい」そうです。
ミロのヴィーナスは、両腕の肩から先が
無く、芸術としては「壊れているもの」。
要は、欠如している要素があるものです。
しかしながら、両腕が欠けていることで、
ミロのヴィーナスを見た人は
いろんな想像を繰り広げます。
例えば、その手のひらには
リンゴを持っていたのではないか。
私が思っていたのは、両腕を
胸の前でクロスしている。というものでした。
いずれにせよ、答えを知る人はいませんが、
あの作品を見た人全員が、その人の思う
「ミロのヴィーナス」を想像することができる
という現代文、ないしミロのヴィーナスという
芸術作品でございます。
話を戻します。
はじゾンにおけるエンディングは、
「大切な人に会えるならいい最後」
というものでした。
実際、ハヤテくんはゾンビになった後でも、
恋人であるななちゃんに出会うことが
できていました。
つまり、ハヤテくんが思う
「いい最後」を迎えられたということです。
これは完全に個人的な願望ですが、
16番地区で一時を共にすごした、
店長(演:藤田真澄)、みさみさ、
ゲロゲロ、シンくんも
「大切な人」の枠組みへ
入れられていたのではないかと思います。
そんな人たちに囲まれた空間の中で、
「はじめまして、ゾンビです。」と
一言残して終わる。
はっきりと結末が言及されないことで、
あの舞台を鑑賞した人が、
全員それぞれの結末を考えられる。
それこそ、ミロのヴィーナスにあるような、
「未完成であるという要素」を感じました。
例えば、
ハヤテくんは人間に戻れたのか。
ハヤテくんは人格が変わってしまったのか。
だとしたら、ななちゃんと別れてしまってないか。
みさみさちゃんとゲロゲロくんは、きょうだいに
戻れたのか。
「店長」は「マスター」に戻れたのか。
シンくんがもし人間に戻った時、
隊長としての行いを悔やむのか…。
考えれば考えるほど、
あの物語の続きは無限に広がります。
この舞台を見た人全員が、
ラストシーンの続きを作り上げることが
できるのです。
それは酷く曖昧でありながら、
見ている人全員を虜にする美しさでもあると
私は感じました。
とまぁ、以上が私の細かい感想になります。
実は他にも細々あるのですが、
記事にする上で3つに絞らせていただきました。
(既に4000文字以上書いちゃってるので笑)
実はこの3つ、
先日のオンライン打ち上げにて、
-4cus-の皆さんにも共有させていただきました。
時間に限りがありましたし、
話術に自信は無かったので、
簡略化してのお伝えにはなりましたが笑
こちらではより詳しく記述しておきますね。
(自分の記録用がメインです。)
ここまで長々と話した私ですが、
最後に言いたいのはとにかく、
「思い出に残った作品」ということです。笑
作品を語り合いたい方、
ぜひ連絡ください。
「あのシーンって…」という話を沢山しましょう。
配信版も楽しみです。
改めて、本当に見に行けてよかった。
16番地区、素晴らしい場所でした。
それではまた。
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