人生は長いのかって話。
なんとなく、ふと思ってしまったことを。
真澄さん(ワイの推し)がよく仰ってる
ことがあるんです。
それは、
「今辛いことがあっても、長い人生のうちで
ほんと、ちっぽけだから!」
みたいなことです。
素敵な考えだと思います。
しかも真澄さん、これを言う時の表情とか
仕草が本当に素敵なんですよ。
大したことないー!って感じで、
私の悩みも外へ吹き飛ばしてくれるような、
そんな感じです。
そういう、可愛らしい推しを触りに置いて、
今回は、その言葉が思い出させてくれた
「人生の長さ」を考えてみました。
真澄さんの言葉、とても素敵で私も好きですが、
どうしても引っかかる部分があるのです。
その引っかかる部分というのは、
「長い人生」という部分です。
なぁにが引っかかるんだ、てめぇ。って
突っ込まれるかもしれないですが、
まぁ、私の言い分も聞いてくださいよ。
人生って果たして、長いものでしょうか。
よく「将来は隠居してぇ。」とか、
「おじいちゃんに、おばあちゃんになっても
ずっと一緒に居ようね。」とか、
まるで70とか80まで生きていられるような
未来を語っている人を見ますが、
冷静に考えてみてくださいよ。
私たちは、明日死ぬ可能性が、
誰にでもあるわけです。
なんなら、自分の意思で、今、
この人生を断つことだってできます。
まぁ、私は怖くてできなかったんですけどね。
だから今があるわけですが。
そう考えた時、真澄さんの言葉には
2つの解釈が生まれるような気がします。
1つは、私自身に既にある人生を「長い」と
捉える考え方です。
真澄さんが言っていることを考慮すると、
彼は今年で24歳になるわけですが、
彼はその「24年」という月日を「長い」と捉えて、
その中にある一瞬の「辛い」は
ちっぽけなものだ。としているという説です。
ただこれだと、24年は果たして長い人生なのか
という疑問が残ります。
織田信長でさえ「人間50年」なんて言ってたし、
今なんか、あれですよね?
「人生100時代」とかありましたよね、確か。
だとすれば、24年って短くね?って思うわけです。
もう1つできる解釈としては、先述したように、
70とか80まで生きることを前提として、
「長い」としているという説です。
この場合には尚更、私は疑問を感じます。
だって人間、
いつ死ぬかわかったもんじゃねぇ
わけじゃないですか。
私は生きることに怠惰的な態度を
とってしまう節があるので、
「明日ちょっと死んでみたいな」
とか、不意に思ってしまうわけです。
あ、別に自殺願望がめちゃくちゃあるとか
ではないです。
不意に、なんとなく思うって感じです。
ただまぁ、仮に、それが実現してしまった場合。
私の人生は、明日まで。
22年と10ヶ月程度ということになります。
短いですよね。そう考えたら。
突然ですが、
私は「目標」を立てたり、「夢」を見るのが
得意ではないんです。
長い計画を立てて、着実に進む、とかも
得意ではありません。
なんというか。具体的なビジョンみたいなのを
見ながら生きられないんですよね。
「明日死ぬかもしれない」とか
思っちゃうぐらいですから。
だから私は、ネガティブなのかもしれません。
この瞬間の「辛い」を、
未来のことと相対的に考えて捉えることが
できないから。
でも私はやはり、この人生は
「短い」と思っています。
22年生きてきて、その大半を、
なんの目標もなく、ただ流されて生きてきました。
その中には、今の自分に活きたものも
当然沢山ありますが、
欲を言うなら、もっとありのままで
生きていたかった。
周りに合わせて、自分を繕うことに慣れて、
次第に自分と作った自分の境目が
わからなくなってしまいました。
そうなるよりはもっと、
理想的な自分があったんではないかと思います。
今言ったって仕方ないんですけどね。
ただ、ネガティブも悪いことばかりでは
ないんですよね笑
だって真澄さんの言葉を、
これほど敏感に感じられたのは
私がネガティブだったからです。
「なるほど、そういう考え方もあるのか」
と受け取ることができたのは、
私の中に反対の考え方があったからです。
私自身の根底にある考え方は
変わらないかもしれませんが、
真澄さんのこの言葉は、
その瞬間の「辛い」から、
また、この「人生」から、
逃げたいと思う自分を
立ち上がらせてくれる言葉だと思っています。
この短い人生を、長く感じさせてくれる、
大切な言葉です。
てなわけで、
久々に夜更けの戯言でした。
発散して、いい休日になりました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?