強烈な記憶
今日読んだ本で(正確には聴いて)面白いなと思ったことを書き留める。(※聴いてというのは、audio bookで音声で本を聴くということです。)
歳を重ねてくると如実に日々の記憶が曖昧になってきていることを感じる。どんどん忘れる。
覚えていられない。
昨日何食べたっけ?とかありがちなやつだけど、覚えていない涙
しかし、そんな自分でも「ずっと覚えている記憶」ってある。
皆さんにもきっとありますよね。
ずっと心の中に残り続けている記憶って。
それってどんなに年月が経っても、ついさっきの出来事のように脳裏に鮮明に浮かんできたりします。
私の最初の記憶は保育園あたりからですが、保育園児のときって何十年前よ??って話なのに、それでも覚えていることは意外とたくさんある。
それらは勉強のときのように必死に覚えたわけではなく、何度も復習したわけでもなく、たった一度きりのことのなにずっと覚えている。
よくよく考えるとめちゃくちゃ不思議。
そのシンプルな答えが本に書いてありました。
それは、
「喜怒哀楽を伴う出来事は強烈に記憶に残る」
ということ。
言われてみたら、そりゃそうか!なんですが、なんだか私にはあーそういうことだったのか!!!という気付きを得た言葉でした。
私の中で、これまで記憶に残っていることっていうのは、その「出来事」が強烈だったんだと思っていました。非日常的なこととかだったりね。
でも実はそうではなくて、
その「出来事」によって生まれた自分の「感情」
が強烈だったんだなということに改めて気付きました。
だって出来事はただそこに起きた現象であって、その現象に対して自分が感情を乗せているかどうかという話しですもんね。
出来事はだだの出来事でしかなく、それ以上でもそれ以下でもない(説明うまくできなくて、すみません)
今、この記事を書きながら自分の喜怒哀楽の思い出を辿ってみたのですが、私の場合、「哀」の記憶、、、めちゃくちゃ多いし、強烈ですね。
「怒」の記憶、、、意外とありませんでした。
ランキングにすると、哀>楽>喜>怒 かなーと。
皆さんはどうですか?笑
つまり、私がこの気付きによって何を思ったのかというと、
もっともっと「喜怒哀楽」を感じる人生を送りたい!!!!と。
「怒」とか「哀」なんて少ない方がいいんだろうけど、これからもまた、たくさんそんな感情に触れることってあるんだろうなって思います。
そのときは、その気持ちを自分なりに精一杯受け止めて感じて、そして人生の記憶に刻み込んでいきたいと思いました。
喜怒哀楽のない人生、感情を揺さぶられない人生って、自分自身に記憶してもらえない人生なんだなと思ったのです。
大人になるにつれて感情を抑えて、平気なふりをすることが増えてきました。揺れる心に「落ち着け、落ち着け」って思うことが増えました。
感情のままに生きることと、ワガママに生きることは違うと思うけど、でも自分の感じたことをきちんと大事にしていこうと思います。
良い感情も悪い感情も自分の人生の彩りになるのであれば、それも悪くないかな、そんな風に感じたのでした。