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フォーカスの先を選ぶということ


…を、何気ない日常でも練習しておくと、いざ本番(?)でも自然に発動出来るから、なんか日常っぽい良い具体例ないかなーnoteやYouTubeで説明出来そうなさー
…と思っていたら、見事に具体例が発生したのでこちらでシェア。

人生を生きる上で、本番も何も毎日毎瞬が本番でしょうよ…というアレはさておき、“フォーカスの先を選ぶ”は癖みたいなもんだからさ、普段から慣れて&癖付けておくと、ココ一番って時に、抵抗なく自然に“あ、選ぶ時だ”が肌身でわかる感覚になるからさ。おすすめ。


***

4年に1度のガス点検が入る日でさ。

業者さんが朝イチでご挨拶にいらして、まずは午前中に玄関外のメーターetcをチェック、午後から室内のコンロや給湯器を見ていただく、という流れでね。

それでね、玄関外で作業をしている業者さんがね、汚い言葉を使った大声の独り言を言っているのが聞こえてしまったのだよ。

みんなのグギギギギィ!を誘発したくないから台詞の記載は自粛するが、ひと言で言うと、全国動物をこよなく愛しふんだんに愛でましょうね会の会員様全員が憤慨しそうな台詞。あっひと言で言えてない。

あたし元来カチコミタイプのニンゲンだからさ、ほんとうはね、すぐさま特攻服に刺繍をして玄関を開けて、ドスの効いた声で言いたかった。すごく言いたかったそのセリフも、自粛するけどさ…

…しかし、このご時世ですし、子どもと同居しており逆恨みも怖いですし、なのでグッと堪えて刺繍もやめて、己のグギギギギィをどうにかすべく、しばし瞑想をすることに。

直接あたしに向けられたものではなかったとはいえ、これは紛れもなく“望まない現象”でさ。
だってすごく、嫌を通り越してちょっと怖くなるレベルの暴言大声独り言だったからね。

そんな人を室内に入れるのやだ!って気持ちにもなり、こっそり会社に電話をしてチェンジを希望しようかとも本気で悩んだ。


こういう時ってさ、宇宙やら波動やら潜在意識やらスピリチュアルの界隈では、いろーーーんな対処法(?)が説かれているよね。

・“気分を害した”という己の気持ちを尊重するために、「気分を害しました」と、相手にキッパリ物申すほうがいい

・これも自分の波動が引き起こした現象なのだ、ということで、相手には決して伝えずに、“では己のどんな波動がこの現象を作ったのかな?”と深掘りしたほうがいい

・“暴言は嫌い”と明確になったのだから、“では、暴言のなるべく少ない優しい世界を意図します”とノートに書け

etc etc etc.....


上記の対処法+α、過去にも色々な状況で実験を繰り返したけれど、今現在のあたしには、なんだかどれもピンと来ない。

だから瞑想をして、真の己にチューニングをして調和をし、まずはグギギよ鎮まれ…をやることにしたんだ。

すると瞑想中、チャンス!フォーカス!練習!と浮かんだの。

なので、“あっそうでしたそうでした”と、負けじと大きな独り言を言って、お気に入りのゲームをすることにした。その時のあたしが1番手軽に、“ちょびっとだけでも気をそらせること”だったから。

それからも、玄関外から機械音やガチャガチャ音が聞こえる度、怖い気持ちが蘇って引っ張られてみたりしながらも、“あ、引っ張られてるだけだ”“そこにフォーカスしなくていいんだった”と気を取り直し、ゲームをしたり本を読んだりお化粧品のレビューを夢中で見たりして、そうしているうちに、あたしの頭の中は、“怖い”よりも“マツキヨが近くにない!!”で支配される羽目になる程度には、フォーカスの先を変更することに成功。

これね、以前のあたしだったらね、延々グルグルイライラだったの。
時間の経過により、せっかくホヤホヤのイライラが緩和されて来てるのにさ、わざわざまた自分からそのイライラの対象に戻って、くっそーまだまだムカつくぞーー!って、やってたんだ。何十年も。

けど今は、もう以前のあたしには戻れやしないね。だって今のほうが断然、精神衛生がよろしいんだもの。フォーカスの先を自分に優しいものにすることで、日々は確実に穏やかになる。

そうすればさ、わざわざ命の危険を侵してまでカチコむ必要もないし。

それに、宇宙の法則的にもわざわざノートに書くまでもなく、
“オジサンの暴言を聞いちゃった”というその瞬間に、
“私に優しい世界”は勝手に創造されているし…(ついでにマツキヨも…笑)

わざわざ“己のどんな波動がこれを創ったのかな?”ということに思考を使って近況を振り返ったりする必要もないし…(そう、何においても極力“わざわざ”を避けたいタイプの超めんどくさがり屋なのさっ)(あっでも遊びに関しては“わざわざ”好きだな。いちいちわざわざもっと楽しくするわそういえば。発見。)

わりと好きでこれまでやって来た“内観”も、やり方によっては良し悪しだなぁと最近強く思う、というのも。

“焦点を当てているものが活性化される”ということを身を持って何度も体験してしまったからさ、そうなってくると、
“内観によってスポットライトを浴び主役になるのは、一体どの思考やどの感情なのか?”ということになり。

そしてそれは、“とてもじゃないが活性化して欲しくないもの”であることが多いんだよね、最近のあたしの場合。


なので、“あーあ…あの暴言オジサンが室内に入って来るの嫌だな…”“会社にクレームすっか…”などの悶々は、それはそれでしっかり感じて自覚をした上で、全く関係のない“今の私がフォーカスしたいもの・活性化したいもの”に思考を使うことにしたの。

瞑想のおかげでだいぶ落ち着いたグギギを横目に(まだゼロではないしアピールをしてくるんだ、けど、それを隣に座らせたまま、みたいなイメージ。仲良く。?)、ガスもオジサンも動物も全く関係のない、“今の自分が少しでも1ミリでも気分が良くなりそうなこと”を、無理なく次々と探し続けることが出来た。
(これは、一見自分の外側に何かを探し求めているかのように見えるけれど、“今の自分がどうしたいか”に耳を傾ける行為であり、これもまた内観なんだよね)(内側を見る・外側を見ない…となると、“己を満たす何かを外側に求めてはいけない”となりがちなんだけど、ここもまた落とし穴で…今回は長くなりすぎるから割愛するが…またクレヨン出して来ようかな…)


…そうして迎えた午後。

大変横暴で極悪犯のようであったはずのオジサンが、まるで人が変わったかのような低姿勢で来訪。

ほよよ!?
と思いつつ、どうぞよろしくお願いしますとお利口のご挨拶をして、給湯器やコンロへご案内をしていたんだけどね、オジサン、何やらワケのわからん機械を操作しながら、唐突に、本当に唐突に前置きなく深刻な声色でね、

「…いろんなニンゲンがいます…」

と呟いたの。

こちらを見ていなかったから、ほよよこれも独り言!?と戸惑いつつも、「いますねぇ」と探りのお返事をしたら、そこからダム決壊の如く、“お仕事中に出くわした奇人変人紹介”が放流。

まぁ、いわゆる愚痴なんだけども、その内容が壮絶かつ面白い(失礼だねごめん)もんで、あたしゃ午前中の刺繍も恐怖も忘れて前ノリで“それでそれで!?”と先を促しちまったよ。

おかげで、“愚痴”というジャンルの、いわゆる“低波動”を浴びまくったにも関わらず、こちらの波動が下がることも一切なかった。(おそらくこれも、“己を整えて良い気分にフォーカスした”を経由した副産物と思っている。なんていうか、予め整えておくとね、変なの浴びても弾くんだ)

あるお宅では、入室早々「早く帰れこの野郎!!」と怒鳴られ、またあるお宅では謎の貴婦人にピッッッタリ横付けされ(腕と腕が触れる密着だそうな)、室内中に吊り下げられたおびただしい艶やかな下着に震え上がり(比喩ではなく天井中が埋め尽くされていたらしく、生きて帰れない雰囲気があったそうだけど、申し訳ないが想像して吹き出してしまった)、それらを暖簾のように潜り抜け、そのお向かいのお宅の玄関外でメーターを弄ってみようもんなら、5センチほど開いたドアからジィィーっと貞子のように見つめ続ける、また別の住人……の背後から、「何しに来たぁァアアァァア!!!!」の叫び声・飛び出して来た主の手には包丁が握られていたそうな。…漫画の世界かよ。

またある日は、一人暮らし男性宅で黙々と作業をしていると、何やら様子のおかしい音声が聞こえて来て、「?」と振り向くと、目の前にスッポンポン&血走った眼の男性、さすがに「警察呼ぶぞ!」と怒鳴り付け、すぐに逃げたとのこと。
「長く生きましたが…あんな恐怖は感じたことないですよ…」と、げっそりとした表情で肩を落とすオジサン。あたしは、「ウゲェ〜」としか言えなかった。

ちなみに我が家の一つ前に訪問した先でも、その前のお宅でも、罵声を浴びたとのこと。


…ほらね?(?)
最初は、“独り言とはいえあんな暴言酷すぎる!怖い!チェンジ!”しかなかったのに、この妙な展開で得た“オジサンの背景”によって、こんなにも心境も波動も変わるんだ、ものの数分で。

そんなさぁ、年間1000件以上のおうちを回ってさ、ことごとく奇人変人祭の近況だったらさ、そりゃひとりぽっちの時くらい、間違った暴言も吐いちゃうよ…いいよ、許す、動物会のみんなには、あたしから謝っておくからね……。

それに、あたしも長いこと接客業やってたからさ、無差別テロ的にユニークなお客様が来る度に、「“フォーカスしない”、出来ねーーー」って嘆いていたもの、わかるんだ。

あの独特の無差別突発感も、それが続くと正気を保守出来なくなるほど、ココロが疲弊して行くことも。

だから、“…ハッ!ごめんなさいねぇ、こんな話ばっかりしてしまってね、もう疲れましてねぇ”と更に肩を落とすオジサンと、“こちらがどうあろうと、変なのは、変なんだ。”という結論に至る。

「宇宙の法則ではぁ、」なんて唐突に語り出すのも躊躇うので、地球向けに、「今夜は美味しいものたくさん食べてくださいね」に留めると、「美味しいものかぁ…だな、ビール買って帰ろうかなぁ…」とのことで、ゲッソリだった表情に柔らかさが戻っている。

いいね!いい感じ!!
少なくともその瞬間のオジサンの脳内は、天井を埋め付くす下着や般若の包丁ではなく、“どこに寄ろうかな”“つまみはあったかな”になっているはず。それなんだ、とっても大切なこと。それが起点となり展開されるのは、ゲッソリモードよりも、幾分かの柔らかさが必ず含まれるものになるから。絶対。


ということでね、ひと通りの作業と暴露大会が終わり、とっても丁寧にガス漏れゼロだよーの説明をしてくれて、飾ってある推しの写真を素晴らしい素晴らしいと褒めてくれたのがうれしかったから、ペットボトルの飲み物をプレゼントして、極めて穏やかに華やかに?めでたしめでたし。

これがもしも、ドスボイスで物申していたり、会社様へクレーム入れてたりしたら、物理的にはもちろん、波動的にも違った展開になっていたんだろうなぁ…と思う。

誰かの発言や、それを耳にした事実というのは変わらない・変えられないんだけど、あんなにも怒りと恐怖に支配されていたあたしの心を、オジサンへの労りの気持ち100%に変えることが出来たのは大きいし、オジサンが撤退してからも、(……天井一面にぶら下がる下着…画鋲で留めたのか…?…ちょっとやってみっかな…)等々、普段のあたしらしいおふざけ気質の軽やかさで楽しく過ごせたことも大きい。


そういえば愚痴ダム中、
「もう定年の年だけど頑張らないと…」とオジサンが暗い顔で呟いた。

そんな些細な他人の呟きにさえ、気を抜くと己のフォーカスを不快に固定してしまいそうになるということを、改めて自覚出来たのも良かった。

せっかく目の前のニンゲンと会話をしていても、相手の発した何気ないキーワードに引っ張られて、本来は楽しいはずの会話が、いつのまにか悶々で締めくくられることになってしまうこと、そーいや多々あったよな、と。

普段から引っ張られない練習をしているはずなのに、

定年…
年金…
その頃の年金制度は果たして…
老後…
政治…
その前に職…

…と、連想ゲームのように“不快”へどんどんずんずん迷い込んでしまったので、ハッとして、とにかくまずは目の前のオハナシに集中だ!と、軌道修正を試みる。

そういう連想ゲームの癖を持つ以上、“勝手に迷い込んでしまう”は仕方のないことだとしても、そこで“…ハッ”が出来るか否かで、そこから先が全然変わって来るんだよね。

ハッ …としたあと、選ぶんだ。意図的に。

“年金についてを後で詳しく調べよう”が己の安心・良い気分になるならそうすればいいし、
“考えたら気分どんどん落ちる…そうだ!定年と言えばあのヒト!定年後に夢を叶えてハツラツなあのヒトのインスタ見よーっと!オジサン早く帰らないかなっ”←笑 でもいいし、“アイス食べちゃお!”でもいい、なんでもいいから、今の自分がホッと出来そうな、少しでも気分が楽になれそうな何かを選び、少しの間だけでもいいからそこに留まる。そこに留まり過ごした自分の波動で、その1秒先からの現象が創られる。

いつかのポストで、

焦点を当てる
フォーカスする

=命を吹き込む

そのことに、命を吹き込みたいか?


…と呟いたのだが、本当にそうだね、と思う。

せっかくなら、命を吹き込みたい・是非活性化してほしい何かに焦点を当てたいよね。

おしまい!(終わりかた雑!?)

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