実験 Ⅱ

つづき。

♦︎=見下し詳細
♠︎=ごめんね
 
…あっ急に始まった?!
コトのホッタンは、↑の“実験 Ⅰ ”へ。

♦︎自分の思い通りにならないと、機嫌が悪くなるところ。
→あったね、上司はもちろんのこと、元夫、My,fatherにもあったわ。
…辿ってて鳥肌なんだけど、歴代上司みんな、そうだった…

そしてそういう人のこと、見下してた。
“小さい人間だな”
“テメェのケツはテメェで拭えよ”
“周囲を巻き込み不快にさせるなんて、愚かだな”

…開始早々、初っ端から見下しまくってたことに気付き、ちょっと笑ってる。笑

♠︎どういう事情があってそうなったのかな…
きっと、小さい頃かな。
自分の思いが通らない経験をして、
“自分の思いが通る”を通してでしか、自分の存在価値みたいなものを実感出来なかったとかかな。
小さい頃じゃなくても、この世知辛い世の中で生きる上で、自分を守る為に身に付けた護身術のような気もして来た。

自分を、守りたかったんだな。

私が彼らとまっっったく同じ立場として生きて来たら、きっと私だってそうなってたよ。
そして何より、彼らを“私が創った”のだから、私自身もまた、“自分の思い通りにならないと機嫌が悪くなる”という一面があるってことだよね。

あるわ、ある。
1番の被害を被っているのは、あっくんだと思う。
あっ、あっくんってのは、恋人であり大親友であり、兄であり弟であり我が子のようでありながらも、最愛の祖母のように私を過保護に扱うニンゲンね!AKIRA。

…こうして脱線し続けたら、5億7千万字くらいになるかもね…

あっくんはもちろん、該当者たち、ごめんね。ごめんなさい。
“彼らがそうである”ということは、“だから見下す”ではないと、やっとわかった気がするよ。

事情があるんだ、誰しもに。
そう振る舞わなければならない事情、そして、私の世界でそういう役を演じてくれている役者さん達でも、あるものね…
ごめんね。

はいどんどん行くよー!!

♦︎言ってることがコロコロ変わること、そしてそれは“その瞬間の俺の思い通りになっているか・俺の欲が満たされているか”が基準だったこと。

→これも既に笑ってるんだけど、歴代上司&元夫、全員これだわ。
女上司も見事に全員これだったわ…

承認欲求を満たす道具にされていた気分で、惨めな気持ち。嫌いだ、この気持ち。(ハッここにも惨めポイントが隠れていた!サンキュー!)

けどさぁ、その時その時のあたしだって、
“…は?言ってること違うんスけど?”
って、言えたのに、言わないという選択をして来たんだよね。

Because,めんどくさかったから。
ハタチとかそれくらいの頃は、納得行かない案件に関してはガンガン突っかかって行くタイプだったのに…いつしか全てが面倒になり、

“あーはいはい、オッケーオッケー”と、心の中の棒読みでやり過ごしていたね。

そうすることが、“オトナ”と思っていたし、“くだらねーニンゲンだな”と相手を落として見ることで、
“あたしはこうならない、あたしのほうが上”って優越感に浸っていたフシもある。
それが正しいオトナのやり方だと思い込んでいた。

本当は、それは
“自分の素直な気持ちを抑え付けること”
“大切な己の感情を否定すること”
なのにね。

♠︎“その時その時の俺(私)の思い通り・欲を満たす”を、リアルタイムで常に実感しなければ保てない何かが、彼らにはあったんだろう。

“俺の機嫌取って”
“私の機嫌取って”

だったんだろう。
“誰かが自分の機嫌を取ってくれること”を、=尊重されている・優越感・存在意義…等に変換することでしか、己を律することが出来なかったのかもしれない。

それもきっと、そうなった事情があるんだよね。

“2歳の時、ふと寂しくてギャン泣きチラッチラッしてみたけど、忙しいお母さんにスルーされちゃった”のかもしれない。

“小学生の時、気分屋のお友達に振り回されすぎちゃった”のかもしれない。

彼らもまた、
“コロコロ態度を変える上司に従順に付いて行かなければ見捨てられる”という環境にいたのかもしれない。

…そうか…。
“だからといって、自分の欲を満たす為に他人を巻き込むなよ!”と思っちゃうけど…それはまぁ、オフラインで感じ切るとして。

視点を変えて、少なくとも私は、上記の2歳や小学生や社員のこと、見下す気にはならない。
これ、コツかもしれない。

そう考えると、似非謝罪ではなく、ちゃんとごめんねを思えるわ。彼らに。
だって、きっとその時頑張ったと思うよ。
スルーされた2歳はそのまま泣き疲れて寝ちゃっただろうし、振り回されまくりの小学生はきっと、己の気持ちを飲み込みまくって我慢したよね。
社員だって、その環境になんとか留まりたかったのか、はたまたパワハラで病んでたかも…。
見下してごめんね、むしろ、頑張って来て尊敬するよ。

そしてさ、これも宇宙の法則的にさ、“あたし自身のこと”でもあるわ。痛いけど。
そしてその被害を最大限被ったのは、そう…もちろんAKIRAさっ……

あたしの機嫌取ってよ!!って、やってたよね。
いやほんと、ごめん。ごめんね。

公開謝罪。笑
直接本人に言えって?!言うよ、今夜。
ちゃんと、心からね。


♦︎いかにおれがすごいか、の誇示。

→もう笑うしかなくなって来てますけれども、これもまた歴代の上司に元夫に…
“ボク(ワタシ)、こんなにすごくて、こわくて、すごいんだぞ!こわいだろう!!”みたいな人で満ち溢れていたわ。ウヘー

そして私は定例通り、散々見下していたね。
“フッ…ピーピーうるっせーんだよ…能ある鷹は、何を隠すんだっけ?ああん?”とか、本気で思ってた。ごめんなさい。既にごめんなさい。
だって本当に強い怖い凄いニンゲンってさ、どっっっしり、ズデーンと、してるじゃん?

あらっ!ここでもまた観念発見だわ。
あたし、
“強い=偉い”
“怖い=凄い=偉い”
みたいな観念、あるんだわ…
どこでどう培った観念なのかな?ちょっとメモしとこ✍️

見下しレベル結構上だわこれ。
“なんて小さいニンゲンなんだ”
“コモノだな”
って、思ってた。

それに、
“強さをアピールするのは恥ずかしいこと”みたいな観念も発見出来たわ。ほぅ…✍️

♠︎これもさぁ、ね。
“強さをアピールしなければいけない”という場面や経験を通して、そうなったんだよね。きっと。
そして、そうすることで彼らは己の自信を維持していたようにも思う。

こんなことが出来てこんな風にすごくて…みたいな自分語りの武勇伝、好きな人達のなら、とても好きとも気付いた。
もっともっともっと聞きたい!もっと自慢してして!!と、なる。

けれど、あたしの好き枠におさまらないニンゲン達のそれは、途端に見下してしまうんだな。今発見。

上司や元夫のみならず、アウトオブ好き枠達のこと、この手のパターンで無意識のうちに散々見下してたんだわ……
ごめんね。ごめん。
書き出してみて気付いたけど、何か出来るから強いとか凄いとか偉いとかじゃねーよ、ニンゲンは。

なんかね自然に湧いて来た。
“そのままで凄いんだから、なんにもアピールしなくて大丈夫だよ、見てる人は見ているからね”と。

…ま、あたしは興味のある好き枠内のニンゲンしか見ないけどな!
けど、彼らにも、愛を持って“そのままで大丈夫”を伝えてくれるような存在がいたらいいねと素直に思った。
願わくば、自分で気付いて自分を宇宙一凄いと心から思えたら、いいね。

…さぁ、上手に自然にごめんねの気持ちが湧き出始めたところで、いよいよ終盤となって参りましたよ。(やっと)


♦︎生産性だけを求めているような人生、つまらない。

→これな!!!
これもさ、人生の要所要所で目にして来た、あたしにとっての“苦手像”だわ。

“なんの生産性もないから、漫画は読みません”とか聞くと、あたし、シュン……ってなっちゃうんだ。

恋は(急に恋)、そして人生は、“無駄を楽しむもの”と、思うんだ…。

いちいちやらなくても生きて行けそうなことを、いかに楽しく出来るか、みたいなさ。

なくても困らないもの、最低限の衣食住以外の何かに、いかに熱中出来るか、みたいな…上手く言えない。伝われこの想い。

まぁ、これは時代もあるよね。
コスパだのタイパだのという単語が一人歩きしているような今のさ。

…いや、書いてて気付いたけど、もしかしたら、
“自分が本当にやりたいことへの時間を捻出する為に、その他の生産性を上げる”かもしれないね。

そうならば、既にごめんなさいの気持ちだわ。
むしろ私のほうが、ガチガチの観念
“生産性ばかり追求するやつはつまらない”
のフィルターを通してでしか、見ることが出来ずにいたんだわ…ニンゲンを、世界を、地球を。

だからこそ勝手に、否定された気持ちになっていたのかもしれない。

何かにつけて“生産性がない”と批判する彼らに触れる度に、一見生産性のないことに夢中な自分のことを、否定された気持ちに、勝手に、なっていた………Nooooo!!!!!

あたしだって普段、いかに時間を捻出するかに重きを置いたり、巻きで家事やってお風呂入ったりマルチタスクやりまくったり、してたじゃんね…生産性ってヤツを、追求してさ…ははは…

すごいね観念って。
こうしてアウトプットしなきゃ見えないことだらけだね。

というわけで、この件に関しては即刻で♠︎ごめんね、完了。
“生産性”は十人十色、それでいい。それがいい。

いよいよラストだよ。
ここまで読んでくれているニンゲンはいるのかな…
いたら、付き合ってくれて、ありがとう。
目がシパシパしていないかな。

♦︎すぐに人を試すような発言、小物だなと感じる。嫌い。
“じゃあやめる?”
“じゃあいらない?”

そうやって試して、

“やだやめなーい!”
“やだ、いるー!”
…と、相手に追い縋られることでしか得られない支配欲?みたいなものを満たしたかったんだと思う。

自分が必要とされているか、求められているかの確認でしょ。

くだらな。

コモノ。

→これもさぁ、…もう、ね。笑
しつこいようですが、浮かぶ限りの歴代上司全員そして元夫、、

なんか…あたしって…。笑
ずーーーーーーーーっと同じループを繰り返していたんだなということを、身に染みて感じて全身ピリピリして来たわ。

けどさぁ、いるよね。
自覚なく、“試す”をやるニンゲン。

これさぁ今思ったんだけど、
“試されてる”のって、彼ら本体ではなくダイレクトに“宇宙から”じゃない?

いや、全ては宇宙からであり、自分が創造主ではあるんだけどさ。

不満を感じて来たってことは、少なくともあたしは、本当は
“やめる”“いらない”を言いたいのに言えなかった、ということだもんね。

…にしても、やっぱり嫌いだな。
すーぐ試すような発言するニンゲン、あたし、キライ…

♠︎書いててまたハッとしたけど…
彼らのその“試す”は、
“自覚のない無意識にこびり付いた恐れの気持ち”な気がする。

オドオド、ビクビク。みたいな。

そしてこれもきっと、
生まれた時からずーっと
「ふーん、言うこと聞けないなら鬼に来てもらおうかな?」
「…あ、泣くならこれ、捨てていいんだね?」
「なにその顔。嫌ならやめる?」
のような台詞を全身に浴びて育ったのかもしれない。

これ、親による子へのコントロールだよね。
そうだわ、だからそうやって、
“己の望む回答をコントロールすることで、望みを満たし、自己を満たす”を、やっていたんだわ……たぶん。たぶんね。一概には言えないかもしれない。けどなんか、そんな気がしてならない。

もしくはさ、保育園や中学校やサークル等で、そういう何かに触れて“定着”したのかもしれないしね。

私はそれを、見下していたよ。

ケッ…コモノがよ。

と、完全に見下してた。
ごめんなさい。
やはりこれらにも事情があってだね、それでそんな風になったんだ。

それに、もし私の仮説で生きて来たなら、よくここまで事件を起こさず生きて来れたよ彼らはよ…とも思う。
もしも私だったら、己の疑心暗鬼を飼い慣らし切れず、なんかかんかやってたかもしれないもん。(なんかかんか)


…すごく長すぎる?
いや、どこも割愛出来なかったよ、ごめんね、ありがとう。

“なーんかモヤモヤする”が、消えたわ、おかげさまで。


“あたしに嫌な思いをさせやがって!クッソー!!!”が、

“そっか…そうだよね、納得”になり、

“ごめんね…”と感じ、

“これらも私が創り続けて来たんだなぁ”となり、

…だから、今日から歴代上司&元夫パターンのニンゲン登場率は、とっても減ると思う。

あっMy,fatherのこと途中から忘れてた!!!!笑

たぶん父にも、多かれ少なかれ、上記に挙げた思いの片鱗を感じていたんだね。

今となっては普通に会話が出来るようになって来たけど、そーいや昔から、ずーっと怖い存在だったからな。
ほとんど出張で居なかったこともあり、どう接していいかわからなかったんだよね。とにかく怖かった。喧嘩っ早いし、アイツつえーんだ。
だから私は、高校生くらいまで、睨まれただけで泣いたりチビったりしていた。

けれどもそんな父を、今の私は好きで、可愛いしお茶目だし天然すぎるし、並々ならぬ人望があり、超尊敬してる。

怖い怖いと思って来たけれど、探せば愛はゴロゴロ転がってるし、ちょっと今夜はそこも掘り下げよう。

はぁ〜スッキリした、今はあたたかい。
これでまた、安心して“描く”に専念出来るよ。

“…で、本当はどうして欲しかった?どうなったらうれしかった?”を、自分に丁寧に聞いてあげることは、とっっっっっても大切なことだからね。

“信じて欲しかった”
“期待しないで欲しかった”
“私の気持ちを見て欲しかった”
etc etc etc…….

それらを更に掘り下げるとね、最終的に辿り着く気持ちや願望があるはずなんだ。
そうして出て来た気持ちを歓迎してさ、
“今まで見て見ぬフリしてごめんよ”をして、
その気持ちと並んで座って、真っ白のドデカいキャンバスをデーン!と置いて、存分に描くんだ。

“こうなったらうれしいよね”
“ここをこうしたほうが楽しいんじゃない?”
“そんじゃ、これも描き足しまーす!”

…と、自由奔放な、子どものお絵描き気分でね。



付き合ってくれて、ありがとう。
右下の文字数見たら、5717文字ですってよ!



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