ほんとうのあいをやりにきた


2021年8月、私はダークネス・ポエム(?)を書いた。

もう3年になるのか…


当時、宇宙の法則を学び始めて4年目くらい?
ちょうどジプシー真っ只中期。

界隈にて良いと言われることは片っ端から試し、ダメと禁止されることを片っ端から排除し、部屋を整えトイレを磨き、ポジティブのみを良しとしていた頃。

宇宙理論関連はもちろん、スピリチュアル方面や潜在意識、脳科学、量子力学、、

あらゆる情報を取り入れまくった結果、下手すりゃそれらを学ぶ以前よりもずっと、私は“似非ポジティブの塊で生きる女”と化してしまっていたんだよね。

それに加え、元来の性質が疑心で出来ているようなニンゲンだった為、心の中はスーパー暗黒漆黒ダークネスに支配されてる渦中でも、自分から出す表情や言葉はポジティブで塗り固めていた。

こじらせ という単語はあまり好きでないが、こじらせていたんだと思うよ。

ハリボテ。
そうハリボテ。
ハリーボッテー。

あっごめん書いてみたら全然面白くなかったけど、浮かんじゃったから書かずにはいられなかったし、それにあたし、決めたからさ。
思い立ったすべてにチャレンジする、って。(意味違う?)


驚くことに、きっかけとなった出来事や詳細の殆どは、文字通りダークネスの彼方へと飛び去っちまったらしく、大体のこと以外は覚えていないが、とにかく当時の私はニンゲン主に男性への不信感がマキシマムだったのさ。

それに加え、ストーカーが一気に数体現れてみたり(これも今思えば立派な引き寄せ・創造なのだが)、なんかもうとにかくあたし、疲れちゃったんだ。


だがしかし、そうしてポエミーな文章を書くことで、

“どんだけ毎日ニコニコ笑顔でトイレ磨いて感謝の言葉を連ねても、もう嫌なの全部嫌なの、本当のあたしはこうなの、心の底ではこんなに暗いの!これが本当のあたし!!”

…を表現・アウトプットしたことで、おそらく本心は

“嗚呼…やっと見てくれた、気付いてくれた”と満足したんだろうね。

Because,それから自然と、

【ポジティブは善!ネガティブは悪!】

を想起させる系の情報を発信している方々及び関連文献から、心の足は遠退いていった。

そうして自然と、己の本心を探るような情報ばかりが入って来るようになったし、

“まさか貴様、如何なる場合もポジティブでいなきゃダメ、なんてことは思っちゃーいないね?”

…と問い掛けて来るような情報ばかりが入って来るようになった。

当時、再婚願望が皆無だった私は、別に男性不信を克服したいとは考えていなかったの。

離婚で懲りたのもあるしさ、なんかもうほんと、二度とぜってー結婚なんてしねぇ!!と本気で思ってたしさ。

それにさ、血の繋がった家族でもあるまいし、赤の他人ましてや男女間の永遠の本物の愛などというものは、この世界にあるわけない!と信じ込んだままで、ずーっと生きて来たしさ。

…にも関わらず、あたし幼稚園の頃から好きな人という存在を欠かしたことがなかったんだよね。

魔のダークネス・中二病ダイアリーをめくると、

“A君が気になるッ!”との記述の僅か3日後には、
“B君がシャーペンくれた”と浮かれ、その後2度とAの名前が浮上することはなく、今度はいつの間にかさりげなくBの代わりにCが幅きかして鎮座している、という体たらく。

……。

抹消したい、やだこの日記!
けど、それよりも“面白い”が勝っているうちは、引き続き大切に保管していようと思う。

日記から察するに、恋というもの自体には、興味があったんだろうね。
ニンゲンそのものや愛の本質ではなく、恋にさ。

前世で恋しそびれたのかもしれないし、もしかしたらカカシとかで、お百姓さんに叶わぬ恋をして、来世は絶対ニンゲンになる!と決めたのかもしれない。

なんの話だったか、、

…そう、そのように

“恋に恋をしたい”

みたいな感覚で生きていたのにさ、

“本物の愛なんてねーよ”

とも、同時に本気で思っていて。

結婚までしておきながら、いや結婚早々夫婦関係が破綻したことが更に拍車の役割を果たしたのかもしれぬ、、とにかく心のどこかでは常にそう思っていたんだ。

けれどもおそらく内なる自分・本来の自分はさ、望んでいたんだよ…本当の愛ってやつをよぉ。

…いや、ワタシという肉体に、それを経験させたかったんだな。
その経験を通してでしか成長出来ない分野?があるのだと思う。

で、そもそも私はそれを、今世の旅程表に大切に大切に書いて、それを持ってワクワクしながらツルピカで地球に来たんだろうね。かわいいな。いとおしいわね。

“ほんとうのあい”。


だからだと思うんだけど…

己のダークマターに触れ、それをポエムにより解放し、収集する情報がガラッと変わってからの私は、不意に自然に描き始めたんだよね。えがきはじめた。恋愛というか、私の望む男女の愛、みたいなものをさ。
願望と呼ぶにはいささか恐縮なレベルの、ほんのりほのかな要望みたいなものをさ。


特別なオーダーノートなどに書いたわけじゃないけど、己の本音との対話の中、

“これがイヤ!!……では、どうだったらうれしい?”

を繰り返した結果、下記7種のようなほんのりほのかな要望が自然と湧いて来たんだ。

・男性と、疑心ゼロで向き合えるようになりたい
・過保護かよ笑 と突っ込みたくなるような愛を感じたい
・日常の、くっっっっっっだらねーーーすぎるオハナシをしたい(道を歩いてたら拾った葉っぱの形が前方後円墳みたいだったとか、こんな面白画像見つけたからアフレコ対決しよーぜとか、そういう日常の、ささやかな、しかし大切な遊び)
・あたしがカチコミタイプ(?)だから、相手は、ドッシリ構えて何事にも動じないような、凪のように穏やかな、、あたしがキェェェエエエエエとなったとしても、
“わかったわかった、何食べたい?”と子供騙しをしてくれるような…そんな人がいい
・ユーモア&ユニーク必須
・あたしの変な異端児の部分を面白がってくれる
・“常識的にはさぁ〜”とか絶対言わない、むしろそういうの嫌いな人がいい

…全然ほんのりほのかじゃないな!

とにかく、当時新たに仕入れた魅力的な様々な手法を素直に取り入れ、自身に制限をせず、極力自由に、

“どんな人だったら結婚してあげてもいいって思うの?”(上から)

…と、不貞腐れた内面に根気強く問い掛けてみたらば、まーまー出て来ること出て来ること!!

だがしかし、この時の私は、
“では、出て来たこれらを改めてオーダーノートに清書しよう!”
とは、なれなかったんだよね。

この期に及んで未だ、不貞腐れて拗ねてる自分の割合の方が壮大だったからさ。

それに、以下のような方法論(?)に捉われていた&違和感を感じていたのも事実でさ。

“望む恋愛を引き寄せたいなら、まずは自分を愛すること”

…そんなの9億回くらい目にも耳にも入れて来たし、なんなら押し込みまくっていたし、真理とは私も思うよ。けどさ…。

同時に、
“自分以外、外側をコントロールするのは不可能。理想の相手を求める前に、まずは自分の内面を整えること”も、百も千も万も承知のこと。

けどさぁーー……ね。

それらは、軸として今後も携えて行きたい方法論であることは間違いないんだけれどもさ、時にそれらはより一層、自分を縛り、苦しめることにもなるのだと知ったの。

“自分を完璧に愛せていないから、そんな自分に本当の愛を知ることなど、出来るわけがない”

みたいなさ。

私は自分を努力家とは思わない、むしろオッペケペーなんだけどさ、そんな私でさえそのような思いに駆られたのだから、ついつい自分に厳しい採点やジャッジをしてしまうタイプのニンゲンや、真面目な努力家さんなどは、きっともっと“まだ完璧ではない”に捉われてしまうかもしれないよね。

それでね、思ったの。

“私はまだまだ自分を嫌い、努力はしてるけど愛してるなんて言えない、…でも、でも………”と、
“でも”の先を言えずゴニョゴニョしている自分を発見した時にね、気付いたの。いや思い出したの、かな?

・本当は、本当の愛ってやつをやってみたかった
・やってみたかったけど、がっかりしたくないから、んなもん最初からこの世に存在しねーよスタイルを貫き、己を傷から守っていた
・旅程表をよくよく見ると、注釈として上記の点が書かれていた
(本当の愛を経験したいが、すぐにそれが叶うとつまんないから、たーくさんハードル設けて、それを越えてようやく叶う…をやりたい!みたいな)

…それをふまえて歴史を振り返ると、とても腑に落ちたんだよね。
わざわざ傷付きに、自ら戦場へ出向きました。みたいなこと、たーーーくさんあったなぁって。

そうして、ポエムを綴り、己と対話し、旅程表を再チェックしてから2ヶ月後のこと。

あたしのほんのりほのかな要望を全て満たすどころか、まるで
“これもあるけど?”
“こんなのもありますけど”
“ほれ!これもだ!受け取れ!”
と、あたしの知らなかった、バラエティに富んだ愛をふんだんに教えてくれるニンゲンに出会い、光の速さで距離を縮め、今に至る。

それでもまだ当初は、

“あたしもう男の人なんて信じないんだし。”

という拗ねた自分もいたけれど、その拗ねた自分が圧倒されちまうくらい、知らなかった愛をたくさん見せてくれたんだよね。

自分のことを完璧には愛せていないけど、でもこんな風に、

・自分が思う自分への“嫌い”を好きになる練習を、一緒にしてくれる人もいる

・自分が思う自分への“嫌い”を、とんでもねー視点から面白がってくれる人もいる

ということを知ってからは、もしかしたらそれさえ旅程表の注釈に書かれていたのかもな?とも思う。


“誰がなんと言おうと、外側からどんな評価を受けようと、私は私のことが大好きで大満足で、1ミリもブレません”

…という自分になることは、理想として変わらず私の中にあることなんだけどさ。

けどさ、そのことって、私の中ではね、

“あたしはあたしが大っ嫌い!と思ってしまう自分もいるし、誰かに何かを言われて傷付く自分もおりますし、時にブレッブレのグデングデンにもなりますよ”

ということと同義ではないか?とも感じていて。

上手く表現出来ず、ムズ痒いのだが。

陰陽太極図のようなさ。
凸凹のような。

例えば推しが自分を責めて落ち込んでいたらさ、そういう推しにさえ深い魅力を感じたり、共に涙したりするじゃん?

けどさ、だからといって
“ずーっと落ち込んでて欲しい”
とは思わないし、やっぱり笑って幸せそうにしてて欲しい気持ちのほうが強いじゃん。
その上で、両方見た上で、それでも推しを大好きなわけじゃん。

まぁこれはあくまで、個人的な感覚なんだけどさ。

そして、もっと深い話をするとしたら、好きな相手に対して
“笑って幸せそうにしてて欲しい”
と思う気持ちは、自分自身に対して思う気持ちでもあり、
自分が安心していたいから&不穏でザワザワするのは居心地悪いからこその、
“笑っていて欲しい(その方が自分が安心出来るから)”
だったりもしてさ。

…ダメよ、これ以上掘り下げると8兆文字になるわ。


なんかそんな感じ、かな。

表裏一体、相即不離。

…四字熟語ってさ、いいよね。
日本の芸術という感じがする。

みんなはどのような四字熟語が好きなんだい?

あたしはねぇ!

諸行無常
色即是空

かな!


ハッ


──あれから3年経ち、思うこと。

それは、
♠︎似非ポジティブには気を付けろ
♠︎あの頃よりも部屋は散らかっているが、あの頃よりも5億倍幸せだよ
♠︎ダークネス・ポエムを書くといいよ(?)
♠︎ジプシーやこじらせを経て、あの頃よりも格段に楽に生きているよ
♠︎オーダーノート書いてないけど叶ったよ(注:“書く”ほうが叶いやすい&潜在意識に刷り込みやすい、とは言われているし、私も書くこと自体が大好きだけれど、“書かなければ叶わない”ではないよということ・方法やテクニックよりも、“描いてる最中に放出している波動”の方が大切よ、ということね、念の為。)

…ということ。

で!!

♠︎小手先のテクニックや方法は、何の意味もなさないことの方が多い……ような気がしてる。
ということ。

なぜここを断言せず濁して書くのかって、それは、小手先のテクニックや方法が、パカーン!!と内なる自分を思い出すトリガーとなるニンゲンも、多く存在しているから。
そもそもその“小手先のテクニック”を楽しみに来た魂もいるしさ。

それに、明るい表情や言葉は、やっぱり似非でもなんでも明るいエネルギーは大なり小なり持っていると思うし、その似非を起点としてグングン波動上がって心底明るくなれちゃうタイプも存在するしさ。

信じらんねーくらい、バツン!!と一気に切り替えられるタイプ、稀だけど、いるもんね。
小さな子には、多いのだけれどさ。

あたしもそっち側だったら、旅程表を短縮出来たのかもしれないし、その分傷付かずに済んだのかもしれない。

でも、あたしの魂は、注釈をやり、一筋縄じゃ行かねーおもしれー人生を、せぇいっぺーやりたかったみてぇだからさ。あっ悟空みたい?

せっかくだから、

次週:ダークネス・ポエムの巻

やるね!!

次週ってか、このあとすぐ!だな。
ぜってー見てくれよなっ!
オラの渾身のDarkness. をよ。

To be continued.

いいなと思ったら応援しよう!