いつからでも間に合うよ
いつからでも間に合うよ。
一昨日あたりからずーっと、誰かの何かを拾ってるのか、はたまた自分で自分に言いたいのかはわからないけど、上記の台詞が脳内無限リピートしてる。
何かのことを、もう間に合わない…と焦っているニンゲンが、今の地球に多いのかしら…
いやーーーでもわかる、もう間に合わない…って、思っちゃうよね。
もっと昔に〇〇を始めていたら…とか、告白出来ずにいるうちに相手の転勤が決まっちゃった…とか、家まで40分あるのに即時にトイレ行きたい…とか。笑
挙げればキリがないね、明日までにお金を…とか、クリスマスまでにダイエットが…とか直近のものから、長年の信頼を失ってしまったとか、子供達が学生のうちにマイホームを建てるはずだったとか、なんていうか、“こんなはずじゃなかった”系のすべて。
けどさぁ、こうして例を挙げるほど、“ダメだもう間に合わない”という思考自体が、己の思い込みであり妄想なのだと見えて来ちゃったね、トイレ以外。笑
“間に合うわけがない”という信念が創り出した結果が現状、ということでもあり。
だからそろそろ信念のほうを変えてみてもいいんじゃない?というメッセージなのかもしれないね。
けどさぁ、書いてて気付いたけど、自ら期限を設けることさえしなければ、“間に合う”って、この長く短い人生において、さほど重要ではないのかもね。
後々になって、“こんな展開が待っていたなら、すべての辻褄が合うぞ…!”と納得むしろ興奮で震える形で、すべての苦悩がプラマイプラになるとしたら、、と考えると、ちょっと救われた気分にならない?あたし今なってる。
いったいどこの誰がここまでしつこく訴えて来ているのかまではわからない、けどとにかく、“いつからでも間に合うよ”だってよ!
この文章に出会ってくれたすべてのニンゲンへのメッセージなんだと思う。
だからどうか、自分で自分の何かに制限を設けたりしないで、ここらでひとつ“結局辻褄は合うのだ”と決め付けてしまって、あとは壮大すぎるuniverseに任せちまって、そして!では!…いま、何をしようか。
なるべく楽しいことがいいね、夢中になれること。
5分でもいい、30秒でもいいから、“間に合わないと感じて不快になる対象物”から気をそらすことが出来そうな何かを見付けて、その30秒が終わったら、また次の30秒を探して、、
いつだって、今現在この瞬間の自分の波動が“引き寄せポイント”となり、そのピン立てしたポイントは毎分毎秒更新を続けているからさ、だから、なるべく“快”に近しいピンを立て続ける方向で更新を続けるしかないんだよね、快を多く感じる人生にしたいのであれば。むしろそれしか、我々ニンゲンに出来ることはない。
そうすりゃきっと、気付いた頃には何故かダイエット成功してるし、何故か不思議な臨時収入が舞い込んで来るし、あの時マイホームを得てたらこんな気持ち味わえなかった…!な胸熱展開もやって来るし、転勤が決まったことで流れが変わり、最高にドラマチックな遠距離恋愛がスタートしてみたり、失ったと思っていた信頼は、“失ったと思い込んでいただけなんだ…”という、更なる強固な信頼を築くようなシナリオに書き換わってたりする。
“え〜そんなのありえない”
“え…だとしたらうれしいんですけど”
どちらも正誤や善悪はなく、自由に選ぶことが出来るとしたら、今の自分はどちらを選びたいんだろう。あたしゃダントツで後者だね!胸熱ドラマチック大好きだもん。
…で、自由に選ぶということ、“出来るとしたら”じゃなくて、“出来る”ことを忘れないでね。
選んでいいんだ、誰の許可も何の確証もなく、今ここで選んでいい。
note.の記事は、校正を重ねたり(なんせ文字数多いので笑)、誰かを傷付けてしまう言葉はないかとチェックしたり(感じ方は十人十色だからゼロには出来ないとしても、極力ね)…なんだかんだで投稿までに時間を掛けることが多いのだけど、今日の今のこれは、一気にダァァアアァァアっと書いている、=、何かに突き動かされて書いている。
何者かが届けたいんだわ。
いつからでも大丈夫、本当は全部間に合う(辻褄が合う・結果オーライ!と感じる展開になる)んだよ、と。
ただしトイレだけはアレだから、仕事中だろうがなんだろうが、ちょっぴり早めに、身体の声を最優先してあげてね。
(前代未聞の文字数の少なさ…!!)
(やはり“書かされている”んだわ…)