願望実現と感情の関係性
おっ珍しくよそゆきの(?)タイトルだね。
【願望実現】という所に“のみ”焦点を当てる場合、のおはなしね。
“感情”は、“願望実現”に、“何の効力も持たない”んだよ。あっ序盤から驚いちゃったかな?!
感じてる感情が現象化しちゃう〜って焦っちゃうよね、わかるんだ。痛いほどわかる。
だってさぁ、散々さ、
“良い気分でいること”
“波動が先・現実は後”
“出してる周波数が未来を創る”
と言われて育った(?)もんね。
どう説明すればわかりやすいかな…
【願望実現ビルディング】 という建物を建てるとする。
その建物を直接トンカンする大工さんは、【感情】ではないんだ。
この場合の大工さんは、【宇宙】ね。
では【感情】とは何か、それは、
“大工さんが仕事をする環境をチェックする係”かな。
ややこしいかな、ごめんね、でも、
“大工さんが仕事をする環境”自体ではなくて、
“その環境がどんな感じかな?”を見る指標、という感じなんだ。
晴れなのか雨なのかを、ただ観測するだけ。
晴れとか雨とかは、この場合【現象】だね。
リトマス試験紙?
いや違うな、温湿度計?
メーター?
百葉箱?あっ百葉箱って知ってる?校庭の角とかにあるアレさ、白い箱。
…とにかく感情は、願望実現に、直接関与出来ない仕組みなんだ。
で!!
環境チェックをした係さんが、監督に現状を報告をするんだ。
そうすると監督は、指示を出すんだよね。
晴れなら“オッケー!いいねスムーズだねぇ”、
雨なら“んー、ちょっと休憩して様子見ようか”と。
その、指示を出す役割の監督が、【思考】かな。
係さんが観測した環境によって、その先をマネジメント・左右するのが監督。
湧いて来た感情によって、その先をマネジメント・左右するのが思考。
という感じ。
大工さんってさぁ…すーごいよね…(あっまたコイツ早々に話逸れるぞ…と予感しちゃった?!)
せっかくなので、ここで、より願望実現と感情の関係性を腑に落とせるよう、ちょっと想像をしてみましょう。
想像をするということは、腑に落とせるだけでなく、ニンゲンの心を豊かにすると思うんだよね。
例えば今日から先の日常で、家屋や店舗や高層ビルなどの建物が目に入る度、そして工事現場を見かける度、これまでよりも、少しでも、敬意や感謝がジワ〜っとなると思うんだ。
そのジワ〜〜は、地球的にも宇宙的にも良いものだよ。
ではジワ〜を始めましょう。
今回は、
“いかに大工さんが仕事をしやすい環境か”という所にフォーカスしてみます。
パターン1
悪天候の中、足場も悪く装備もナシ、休憩もロクに取れず、それでいて猛暑、昭和の部活の如く水飲み禁止、お手洗いもない……という環境。
パターン2
暑くも寒くもない快適な気温、適度な晴れ模様。
しっかりした足場に安全な装備、自分のペースで取れる休憩、すぐ近くに清潔なお手洗い完備。
…こりゃもう言わずもがな、出来ることならすべての大工さんに、パターン2の環境下でお仕事をして欲しいよね。
しかしさぁ、パターンが何だとしても、“完成させなければならない建築物”は“同じ”じゃん?
「パターン1だったから建てられませんでした〜!ごめんね〜!」なんて言ってる大工さん見たことある?あたし、ないよ。見たことあるならごめんね、きっと、よほどの事情か過酷な環境だったんだろうと思うから、この場を借りて一緒に労おう。世の中の大工さん本当にありがとう。
同じ完成形を目指すなら、大工さんにとって、パターン2のほうが快適でスムーズだよね。
パターン1だとどうしてもさ、多少の雨なら頑張ってくれちゃうんだけどさ、警報レベルの暴風などは命に関わりますし、大雪なんかはもう、トンカンよりも雪かきで1日が終わったりもしてさ、そうなってくると当然工期も延びたりしてさ。
そこでさらに無理矢理の無茶振りで決行してみたり、より過酷な指令を出してみたりするような監督の管理下だと、大工さんはきっと、仕事やりにくくてしゃーないと思うの。
…ここまで想像出来たなら、あとはコッチのモンよ。(?)
願望実現に話を戻そう。
ビルディング完成に向けての適した環境があるように、願望実現においても、適した環境があってさ。
それが界隈で言われている“周波数・波動”ってやつね。
(※厳密に申し上げると、大工という名のuniverseは、そもそも地球的なトンカンなんてしていないし、願望が発生した時点で、瞬時のコンマ秒でスチャッ!!と完成させているから、ここで言う“周波数”ってやつは、“実現した願望自体が放つもの”ということになるんだけど…そうするともっとややこしくなっちゃうから、今回は失敬)
“感情”というものは、冒頭で述べたように、“周波数をチェックする係”みたいなものでさ。
例えばそうね、、
良い気分ワクワク気分はもちろん、ホェ〜っとフワ〜っとしている時、安心の時、軽くて楽な感覚の時、、、
…とにかく、“ネガティブな感情が発生していない時”。
エイブラハムの、感情のスケールで言うところの、1〜7あたりだね、せっかくなのでスケールを貼っておくね。
![](https://assets.st-note.com/img/1729255544-7sd9pr4w0tPIJQVR2Wj8xHvg.jpg?width=1200)
…それらの感情の時は、大工例で言うとパターン2。の、係さん。
“気温も水分補給もお手洗いもOK”と、今ある現状をただ報告する係さん、それが“感情”。
ポジティブネガティブあんま言いたくないんだけどさ、ポジティブな感情は、“願望実現の周波数に近いよ、合ってるよ、その調子で進むとスムーズだよ”という、単なる指標でしかないんだ。単なる判定・観測。
そして、なんらかの悶々モヤモヤや憤り、悲しみ苦しみ、絶望、、スケールの8〜22を感じている時、いわゆるネガティブな感情というのは、パターン1だね。
この場合も、観測係さんは、
“あら!急に雨強くなって来たな?!”と空を見上げ、監督に、雨でーす!と報告するのみ。
係さんは係さんでしかなく、急に工具奪ってトンカン始めるわけでもない、雨よ止めェェエと白いフサフサを振り回すでもない、現場に指令を出すわけでもない、ただ単に“観測をする”のみ。
何らかの事情で我々ニンゲンがドヨ〜ンとなっている、そのドヨ〜ンはさ、“願望実現の周波数とズレてますよー”“願望ビルドやりにくい環境でーす”と教えてくれているだけなんだ。
…散々書いといて今更だけど、“係さん”って言い方かわいいね、図書係さんとか保健係さんみたい。
…あーあ!
上手く伝わっていたらいいな!
ここに思考や自我(エゴ)やを追加してお話すると、更にややこしくなる気がするから、今回は割愛するけども…
係さん(感情)はさ、晴れや雨(現象)をコントロールすること、出来ないじゃん?
ただ観測するしか出来ない。
“願望実現に適しているか・そうでないか”を、“どちらが良い・悪い”のジャッジメントをせず、ただただ現状というものを観測しているだけ。
ニンゲンにとっての感情は自然現象というか、自然に湧き起こるものでさ。
寒い場所に行くと、ウゥ…ってなるよね。
悲しいことが起きると、シュン…となるよね。
変なもの見ると、ウゲェーってなるよね。
ただ、ニンゲンには個性があるので、同じ“晴れ”にも感じるものが違うように、寒いとヒャッハー!悲しいとキェエエエ!なタイプもいて。
どれも自然に湧いて来るもの、感情自体に良いも悪いもなくて、
“いま、ウゥ…です!”
“いま、キェエエエです!”って教えてくれてるだけ。
コントロールも何も、“現状は、こうです。”でしかないんだ。
しかしその次の段階の、監督(思考)は、コントロールが出来るんだ。
晴れや雨自体(現象)をいじくり回そうとするのではなく、報告して来た係さん(感情)を、“なんで雨なのよ!晴れにしろ!”など叱り飛ばすわけでもなく、“大工さん達を快適にするにはどうすればいいかな?”と考える力があり、そして環境を整える指示を出す力(周波数・波動を整える意思)もある。
思考の積み重ねで信念・観念が作られる、という視点から見てもさ、悪天候の場数踏んでる監督は、やっぱ強いんだよね。
“雨自体はゼロに出来ない”ということを大前提にしてる監督は、強い。
雨は来るもの、その上で、どうすれば大工の安全が確保出来るか、よりスムーズな施工が出来るか、を、たーくさん考えて試しているから、対応が迅速で的確なんだよね。
そうして経験を重ねた結果、“雨が来ても大丈夫、安心して大丈夫”をベースにどーんと構えることが出来るようになる、それが積み重ねにより形成された信念・観念だね。
割愛するとか言って全然そんな気なさそうな気がして来たね。あたしもだよ。
なのでついでにチラッとエゴについても触れたいんだけどさ、“エゴ”って呼び方がもう違和感でしかなくてさ、最近。
なーんか偏りがある呼び方に思えちゃって。
それでも共通語のようにまかり通っているから、大衆に伝わりやすい言い方は、エゴ、なんだろうな。歯痒い。
そもそもエゴというのは、【自我】なんだ。
我々ニンゲンが地球で生きるために、必要不可欠な装備。
あれが良い、これがイヤ、あれが好きでこれは嫌い、お腹空いた、トイレ行きたい、∞∞……
他人や、自分を取り巻く世界から区別して意識される、“これが自分でーす!”が、自我。
そうなって来ると、【自我】は施主だね。
こんなおうちを建てたいな〜♬と望む本人。
晴れてる時はルンルンで、
“まだかな〜楽しみ〜どんなおうちが出来るかなぁ〜♬”なんだけど、雨が降って来た途端、てんやわんやの大騒ぎ。
“ちょっとちょっと…ちゃんと出来上がるんでしょうね?雨のせいで変なおうちになったりしないわよね?てか早く見たいんだから早くしてよ雨でもいいから強行しなさいよ!!”
と、監督に無茶振りの命令をして、現場に居座り四六時中監視、挙げ句の果てには、
“なんでもいいから雨を止ませなさいよ!どうして雨が降るのよ!こんなにハラハラするのイヤ!もう素敵なおうちなんていらないわッッ!!”
…そう喚いているうちに雨は上がっており、虹でも出ようもんなら、
“…わぁ〜♡虹だ♡きっと素敵なおうちが出来上がるに違いない♬楽しみだなぁ〜♬あっ大工さんにお茶買って来なくっちゃ☆”
…信じられるかい…同一人物なんだよ…。
自我とは、なんて愚かで単純で、そして何より、愛おしいものなんだろうね。これぞニンゲンの醍醐味よ!と、あたしは思うよ。
そんでさ、愚かだろうが愛しかろうが、“素敵なおうちが欲しい”という望みは変わらない、目標地点は同じ、目指す場所は同じなんだよね。
エイブラハムも、“ニンゲンは、自我(エゴ)の望みを叶えるために地球に生まれたんだよ”と言っているけど、その通りだなぁと思うよ。
よほどの気候変動でもない限り、地球の日本に雨は降るように、生きてる限りは何らかの現象が発生し続ける、それに付随する感情も発生し続ける。それが自然なこと。
監督が快適を選ぶことが出来るのは、雨の経験があり、対策法を知っているから。
ついでにその知識を持って、施主を安心させるよう、説得することも出来る。
“エゴを手放しましょう、物質的な次元の低い願望を実現するために地球に来たわけではありません、もっと高次元の魂の願望を実現しましょう”とか言って、“覚醒への手引き”みたいなさ、ひゃくまんえんくらいのセミナーをやってるニンゲンもいるけどさぁ。
それがやりたいならそれでいい、この身体を持ちながら“覚醒”ってやつを経験してみたいんだろう。
けどさ、ここは地球で我々はニンゲン、物質界に生まれて来た以上、自我を手放したら存在出来ないんだよね。
“高次元とは何か”“次元という概念”を、ひゃくまんえんを請求出来るレベルできちんと熟知しているなら、そんなの考えなくたってわかるはずなんですけど?
大体ねぇ!次元が低いだの高いだのジャッジして、無自覚にニンゲンをdisりながら高次元だなんてヘソが茶…………ハッ!
あぶないあぶない。特攻服に刺繍始まる。
何を信じるのも自由、結果的にごひゃくまんえん支払っても一向に覚醒とやらに至らず、“欲しい服があるだなんて次元の低い願望を抱く自分はまだまだだ…”と更にさんびゃくまんえん課金するのも自由で、それも経験。なんでもありの地球だからね。
けど、【願望実現】にフォーカスするならば。
“感情との関係性”を理解してさえいれば、“…おや?なんかコイツおかしいぞ?”というセンサーも発達するし、“願望実現のために、はっぴゃくまんえん注ぎ込んでいます。”みたいなことにはならずに済む。
いや注ぎ込んでもいいんだよ、けどさ、ね。
服、欲しいじゃん。かっけーやつさ。
好きな人と、楽しく遊びたいじゃん。
ニンゲンなんだよ、我々は。
喉が乾けばお水が飲みたいし、寒いなら上着を羽織りたいし、美味しいものも食べたいし。
読みたい本もあり、行きたい場所もある、会いたい人がいる。
それらの願望を“低次元”とみなし、
“高次元の願望を知るために”のテキストでーす!はちじゅうまんえんでーす!買ってね!
ってなんだよ笑
えっそのテキストは物質じゃないの?
“高次元の願望を知りたい”は、あなた達の仰るところの“欲”じゃなくて?あら?
と、あたしは思うよ。あたしはね。
そんな大金と、命である時間を費やす労力があるのなら、優秀な監督を育てた方が早いし、なにより楽しいよ。
【願望実現】にフォーカスするなら、ね。
安心して、感じるままに感じていい。大丈夫。
感じ切ったあとで、全然間に合うからさ。
感情を捨てる!エゴを手放す!って言うけどさ、それはつまり、
“大雨だと報告して来た係さんを解雇して、どんな雨でも晴れとしか報告しない係を雇う”
“施主を始末する”
だからね?
ひとしきり感じ、なんか感情の鮮度が落ちたな?ってタイミングで、いよいよ監督・思考の出番だ。
もしも雨が降り止まなくても、施主はピーピー大騒ぎでも、監督は淡々と、
“この場合、ビルディングの完成に最適な環境は…”と考えているように。
“この場合、願望の周波数に近付くには……よし、とりあえず昼寝しよ☆”
“今出来ることで、気持ちが軽くなることは……あっクロスワードパズルしよ☆”
なんでもいいんだ、もちろん、
“やっぱりまだ悲しい気持ちある!”と悲しんだっていいし、“なんか…なんかこの願望、本当の願望じゃないかも…”と気付くのもいい、“やっぱり辛いから、はちじゅうまんえんのテキスト買お〜っと!”だっていい、なんだっていい。
けど、湧き起こる感情はコントロール出来なくても、その先の思考はコントロール出来るってことだけは忘れないで、安心していてね。
場数を踏んでるはずの監督と大工さんを心から信頼して、いちいちピーピーうるせぇ施主を愛そうぜ。かわいいじゃねーか。
ちなみにこの場合のハイヤーセルフ・魂・内なる自分などと呼ばれている存在は、とっくのとうに完成済のビルディングの屋上で寝転びながら、すべてのやり取りに目を細め、
“やっほ〜こっちだよ〜ん”と、間延びした呑気ボイスで呼んでいる感じ。常に呼んでいるんだ。
大雨だったりピーピーだったりで聞こえなくなっちゃうと、不安になるけどさ。
でも本当は常に呼んでいるってわかってたらさ、安心だし、“耳を傾けてみよう”って思えるよね。
自分を信じる
宇宙を信じる
って、そういうことだとあたし思うんだー!