歌を歌うことと抜き書きをすること
高校時代、私は合唱をする部活に所属していました。
朝、練習をするために8時くらいに登校して、昼休みに練習するために昼ごはんを早弁して、授業が終わったらまっさきに音楽室へ行く。そんな毎日を送るくらい、夢中になっていました。
高校を卒業してからは、そこでの仲間と歌うことはほとんどありませんでしたが、確か大学3年生のときにOGが現役の子たちの演奏会に出る機会があって、久しぶりに母校の合唱団で歌う機会をいただきました。
そのとき、ふと思ったのが、
ある人が書いた言葉に、ぜんぜん違う人が曲をつけて、またぜんぜん違う人(私)が、ぜんぜん違う人(同級生やら先輩やら、知らない後輩たちやら、、)と一緒に歌っている、この状況は一体なんなんだ、、、、
ということ。なんだこれ。現役時代は気づかなかったけど、私は誰の言葉を歌っているのだろうか、誰の歌を歌っているのだろうか、私「たち」って誰なんだろうか、でも一方で、そんなばらばら(かもしれない)人たちが、(一見すると)一つのものを作っているように感じてしまうのは、何なんだろうか。
それから、それに飲み込まれてしまいそうな自分の存在に気づいて、ものすごく「怖く」なった。気づいたら、涙が出てきてしまっていた。
それが私が今までに体験した最も深い「歌」の体験だったんじゃないかなと思います。
そんなことを思い出したのは、昨日(11月20日)、ある本を読みながら抜き書きをしていたときに、「あれ、これって歌を歌うことに似ている?」と思ったからです。
研究目的ではなくて、水をわーって飲むみたいに何かよみたいなと思ったから読んだ本です。いつもだったらそういう本はただ読むだけですが、読んでるうちに、ふと抜き書きをしたいなと思ったわけです。最初は忘れないようにするために、あとになって埋もれてしまわないように。でもそのうち、書き残すことより、書いてなぞること、これが私がやりたかったことなのかも、と思い始めました。
それって、自分にとってはなんだか懐かしい感覚で、なんだろうな、、と考えてみたときに思い出したのが、さっきの歌でした。
他の人が書いた文を、自分でなぞっていくこと。他の人が紡いだ言葉を、自分が歌うこと。ああ、これって一緒なんだなと。
でも、前みたいに飲み込まれたりはしない。やっぱり一緒じゃないのかな、とも。