体育の先生と動ける文化部の話

 高校2年生の時に新しく就任してきた体育の先生がいた。名前は忘れてしまったけれど、生徒からこっそり「おにぎり」と呼ばれていたのでここでは「おにぎり先生」と表記する。

 私は「先生」全般が苦手だった。小学5年生の時に友達の輪にうまく入れずにクラスで孤立してしまったことがあった。その時の担任の先生が結構贔屓する先生で、お気に入りの児童には優しかったり何かと大目に見たりしていて、苦い経験とその担任の先生に因果関係はないのだけれど、悪い印象同士を紐づけてしまって、その頃から「先生」に苦手意識を持っていた。
 中学に上がっても先生苦手は改善しなかったのだが、特に体育の先生が苦手だった。体育の先生は運動部の顧問であることが多いし、運動部の顧問というのは文化部の顧問に比べて部活で生徒と時間を過ごすことが多い。必然的に顧問をしている部活の生徒と仲良くなりやすく、授業でも何かと大目に見られやすいという印象が強くて苦手だった。私が「運動できなそうに見える芋っぽい美術部」だったからだというのもあるだろうけど。

 話を冒頭の「おにぎり先生」に戻そう。彼は他の生徒には正直言って不人気の先生だったが、私は彼を先生として信頼していた。
 彼は体育の時間が始まる時に、準備をして集合が早い生徒の名前をつけていた。「(私の苗字)さんはいつもさっと集合してくれるね」と声をかけられたことを今も覚えている。そして私の通っていた高校には「3周走」という準備運動とは思えない、グランドを3周するハードな準備運動があったのだが、男女それぞれ5位以内の生徒の名前を毎回つけていた。私は「芋っぽい見た目」の「文化部」ではあったが、「実はそこらへんの運動部並みの体力がある」生徒だった。その3周走で毎回5位以内に入れるほどの。

 「おにぎり先生」が来てから私の体育の成績は上がった。それは先生が努力ではなんともできない個人差や、贔屓が明白に出てしまう体育において「授業態度」を公平に評価してくれたからだと私は思う。これは私が文化部でありながら「そこら辺の運動部並みの体力があった」から実現した話であって、他の運動が苦手な文化部の友達は何も変わってないのだが。しかし彼は「授業前の準備」「授業後の片付け」も評価対象に入れるとはっきりと公言していたので、本当に体育の成績を上げたければ多少努力はできたと思う。

 私の「先生」が苦手という意識は「おにぎり先生」のおかげでだいぶ薄れた。学校教育に関して考えるところは様々あるし、先生も「先生」である前に1人の人間であることはわかっているのだが、私は彼のような先生が増えて欲しいと思う。

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