“何者” にでもなれる
最近、高校生の修学旅行の団体を見かける機会が続けてありました。
高速道路のサービスエリアや駅などで見かける機会が増えてきて、思い出作りができているのかなと思うと勝手に嬉しくなったりもします。
最近、高校生の頃の仲良しメンバーで集まったこともあり、感慨深い思いが込み上げてきました。
会うたびに、10年来の仲に安心感と感謝でいっぱいになります。
最初出会ったときは、まだ着慣れない新しい制服を着て、緊張しながら話していたのを覚えています。ただ、そうしながらも自然と集まったメンバーでした。
それから約10年が経ち、私たちはそれぞれの道に進み、社会に出て働いています。
環境も状況も変わり、新しい場所でそれぞれの課題に向き合っているのです。
そんな中で聞く、周りの出世のお話。
現実的で、カッコよく、焦りを感じながら、今の自分の環境で何ができるんだろうと考えるようになる年齢にもなったなぁと思いました。
そんなタイミングでの冒頭の修学旅行生たちとの出会い。
ふと、
「この子達は今後どんな人生を歩むのだろう」
と思いました。
まだ見ぬ未来にそれぞれの人生が広がっている
彼らの人生が幸せなものであることを祈らずにはいられませんでした。
以前書いた記事で、恩師の「一寸先は薔薇色」という教えについて書いたことがあります。
そんな薔薇色の世界が彼らにも広がっていたら嬉しいなあと思ったのです。
そして彼らを見ていたとき、ふと、
「何者にでもなれるよ」と思いました。
未来がわからない分、これからいくらでも選択肢がある。
なりたいもの、やりたいこと、生きがい、幸せ…
それら全てに向かっていってほしいと思いました。
なんだか、他人事のようなまるで先輩面したような自分にゾッとしながらも、頑張ってほしいなと思いました。
ただそれは、年齢に関係なく誰にでも言えるのかもしれません。
高校生を見ていると、まだ若いなぁと未来があるように感じますが、それは私たちも同じ。
今は人生100年時代と言われています。
年齢に関係なく、自分の未来を想像し、夢を持っていい時代になってきたのかもしれない。
そう考えたとき、改めて思いました。
自分は何者なんだろう、と。
何ができて、何がしたいのかと…。
映画にもありましたね。
佐藤健さんはじめ、大物の俳優陣が出演している「何者」。
あの作品でも就職活動を通して、自分の存在価値と可能性について考える話でした。
その自分探しは就職活動だけで終わりはしない。
ましてや、100年時代の今、誰もが考える
『自分は何者なのか…。』という問題。
私たちはこれから、探し続けなければいけないのかもしれません。
そして同時に、どんな人も
「何者にでもなれる」。
そう考えてもいいのかもしれない。
ふとそう思ったとき、今の現状もそのための通り道だと思えば、楽しくなってきたのです。
どんなことをやりたいかな。
何者になりたいかな。
好きなこと、楽しいと感じることは何かな。
最近はそんなことを考えながら、日々過ごしています。
忙しすぎて、体調を崩す前に調整しようと思い、noteもお休みしているうちに、何を書いていいのかスランプのような状態になってしまいましたが、やっぱり書くことが好きだし、やりたい。
そんな答えに行き着いたので、また少しづつ再開していこうと思います。
何者にでもなれる。
その何者かになるために…。