気が利く人 〜優しさと思いやりの違いを考える〜
私はずっと気が利く人を尊敬しています。
ただ、なりたいと思ってできるものではなく、日々鍛錬して感覚を養うしかないなと思い、
頑張っているところです。
さりげない気遣い。
これほど難しいことはありません。
以前、親に
「あなたは優しいけど、
思いやりがあるとは思えない」
と言われたことがあります。
毒舌な親からの真実の一言でした。
ですが、そこから優しさと思いやりの違いについて考えるようになりました。
そしてそれは気の利く人に通じているのかもしれないと思うようになったので、今回はそのお話をしようと思います。
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この世界、みんなそれぞれの優しさを持っています。
みんな優しいです。
ただ、思いやりや気が利く人というと何か違うような気がしています。
そして、私もそんなひとり。
私は、決して完璧な人間になりたいということではないのです。
ただ、小さな愛情を分けられる人になりたい。
優しさは主に行動や発言に表すことができ、
極端な話、愛がなくても優しい言葉を発することもできてしまいます。
(詐欺師のように優しさを利用する人もいます)
恋愛においても同様で、
ドラマや漫画でもありませんか?
男友達とかに対して、
優しいけど、いい人だけど、いい人止まり…
なんていうセリフ。
恋愛に関しては駆け引きなんかも入るので一概には言えませんが、
私は人として、ただ優しい人よりも愛情のある人と言われた方が嬉しいなぁと思うようになりました。
だから、「優しいね」と言われても安易に喜ばないようにしています。
もちろん嬉しいですが。
そして、そのようなことを考えているうちに、
愛情のある人こそ思いやりのある人だなと思うようになりました。
どこか心温まる行動。
例えば、前を歩く人の服にお店のタグがついたままだとします。
その時どうするのがいいのか。
もちろん、正解はないと思います。
それを教えるのはもちろん優しさ。
でも、その場で大きな声で教えるのは恥をかかせてしまう。
本人に恥ずかしい思いをして欲しくないから、一緒にいるパートナーに教えてみる。
カップルなら反対に相手がいないタイミングを狙ってみる。
メモに書いて渡すのもいいかもしれない。
どこまで、とっさに考えて行動ができるか。
私にとってはいまだにとても難しいことです。
思いやりと気遣い。
どのように鍛えるかを考える中で、今までひたすら意識的に観察することしかできませんでした。
ただ、だんだんとそれは愛のお裾分けのように感じるようになったのです。
相手がどのようなことを求めているのかに気づき、更に気が利く人がどのようなポイントでどのような行動をしているのか。
その観察をしていると、本当に反省ばかりです。
気が利く人は相手の本当に小さな動作や表情から、要望に気が付き、先を見越して相手のフォローまで出来る。
例えば、雨が降っていて困っている人がいて、傘を貸すだけじゃなくて、濡れている鞄を拭くハンカチを貸してあげたり…。
一例ですが、私なら傘を貸すことでいっぱいいっぱいになってしまいます。
それを気の利く人は、あれもこれもと一瞬で判断をして、相手も気がつかないスピードでさささっと。
本当に感動を覚えるほどです。
自分が相手の要望に気がつけた時はとても嬉しくなりますが、まだまだ先を見越したフォローまではできません。
私が、気が利く人を目指す上で、意識しているのは空気のような存在になること。
自分の行動の中に気がついたらその人がいた。
みたいな存在になれたら嬉しいなと思います。
そのくらいの感覚がいいなと。
先日、『おふとんのような人になりたい』という記事を書きましたが、このような普段の生活からもきている意識だなとも思います。
人の顔色ばかり気にしているとそれはそれで苦しくなってしまいます。
だからこそ、私はまずベースとなる自分を大切にすることを意識しています。
その上で、人に愛を分け与えること、人の心を掬い上げるように。
すると、少しずつ相手の要望を叶えるというよりも自分の愛を振りまく幅を広げる感覚になっていきました。
だから、愛のお裾分けという表現になるわけです。
あと、気をつけている点としては、気になったことは迷わず行動に移すこと。
ゴミが落ちていたとき、人が困っているとき、素通りするか、愛をお裾分けするか、時と場合にもよりますが、なるべく行動に移せるように。
そんな小さな動作や心の動きに敏感になれるように観察力も高めていくことで、もっと気の利く人になりたいと思っています。
ー9/17追記ー
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実際に大切にしている小さなことについて書いています。
当たり前なことも丁寧にこなせるようになりたいものです。