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佐塚について⑤

【佐塚について_05】
https://camp-fire.jp/projects/view/392303
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僕の事を知ってもらおうと『についてシリーズ(佐塚真啓)』と称して毎日投稿しているのですが、それならば「私は」と自ら語る視点と、「彼は」という他者から語ってもらう視点も必要だ!と思い立ち、僕の事をよく知ってくれているであろう友人に、唐突に『佐塚について』僕を知らない人に僕を紹介する何か書いてくれないかとお願いしてみました。

佐塚について_アートボード 1

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『佐塚について⑤』
証言:ジャモ(酒井貴史)
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佐塚真啓について語らなければならない。
本来クラウドファンディング期間中、なるべく早くと頼まれていたのだが、結局あと1日というタイミングまで書き始めることができずにいた。
いや、実は二通りほど書いてみてボツにしたのだ。

美術大学同期の、作品集制作クラウドファンディングのための応援メッセージを書く。これはつまり典型的なホモソーシャル内輪褒め文章である。人種、宗教、性的指向、おそらくは支持政党の傾向も(筆者が知る限りでは)同質な男性作家ばかりで寄り集まり運営される美術館がある。その館長が佐塚真啓という男だ。(名称は国立奥多摩美術館だが、地理的には青梅に位置する私設の作業場というのが実態。)

筆者は、彼とは気が合う、と感じている。だがそれは前述の通り極度の同質性が前提にあり、何らかの努力を持って築いてきた関係とは言えない。
故に、見ず知らずの人間に佐塚という男について如何に語るか、あるいは語る価値すら本当にあるのかわからなくなり、筆を取ろうとしてはTwitterを開き、またはYouTubeを開いてしまっていた。

学生時代から近くで彼の活動を見て来た。彼はおもしろい。彼が仲間と作ったスペースに、有名無名を問わず作家が集まる。そんなことを書き連ねたところで何になるだろうか?まさしくホモソーシャル内輪ノリ。似た活動をする作家など他にいくらでも居るはずだ。カリスマ、資金繰り、技術的に遥かに上回る例がいくらでも。

では『直接会って話してみれば佐塚の凄さがわかる』とでも言うか?それは詐欺師の常套句だ。どんな悪人でも直接会ってみれば魅力的な部分を見つけてしまうのが人間だ。

筆者はこの場では、彼に会ってみてほしいとは言わない。
奥多摩美術館へ行ってほしいとは言わない。
彼の作品、文章、足跡を見てほしいとは言わない。
彼のクラウドファンディングに協力してほしいとすら言わない。
彼の信者をいくら増やしても意味はないのだ。

次世代の佐塚真啓を育てなければならない。
もちろん性別や人種に関係なく。育てる、というのは語弊があった。
「次世代の佐塚真啓が生えてくる土」を耕さなければならない。


過去、筆者は佐塚真啓と共に福井県の民俗資料整理にあたった。
その際の宿泊施設の洗濯場に、ある標語が掲げられていた。
『来たときよりも美しく』この言葉を佐塚は座右の銘としている。

傲慢な言葉である。美しく、とは酷く主観的な言葉なのだから。
佐塚はこの標語を拡大解釈し、自身が死んだ先、見ること叶わぬ美しい世界を見据える。己の生はその礎であると言わんばかりに。なんたる傲慢。傲岸不遜。現世に有るものに満足できず、未だ有りもしない美しい次世代にうつつを抜かす。これはまさしく人の業。

人間は死ぬ。彼もいずれ死ぬ。
だが生きている限り、業を引き継がなくてはならない。
過去に生きた人間達の業が、『来たときよりも美しく』が、
佐塚真啓という男を我らの時代に産み落としたのだから。

(酒井貴史)

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