見出し画像

国立奥多摩美術館館長の他の美術館に行ってきた!(Vol.25)---府中市美術館『小西真奈Wherever』


国立奥多摩美術館館長の他の美術館に行ってきた!(Vol.25)
---
府中市美術館
『小西真奈Wherever』
会期:2024年12月14日〜2025年2月24日
---


2024年12月20日(金)晴れ。府中市美術館に行ってきた。この美術館には何度も足を運んでいるのだが、毎回楽しみにしている作品がある。それは、美術館前庭の石畳の一角に、恒久設置されている若林奮さんの「地下のデイジー」という彫刻作品だ。一見すると、穴の開いた鉄の板が3枚重ねて置かれているだけで、彫刻作品があると言われても、見過ごしてしまいそうである。しかし、その地下部分には、見えている3枚の鉄板と同じものが120枚も地層のように積み重なった状態で埋められているらしい。鉄板の重さは、1枚が約70㎏ほどらしいので、総重量8t以上の鉄の塊が、3m以上の高さに積まれ、地中に潜んでいることになる。見えている部分よりも、見えていない部分が圧倒的に大きく存在している。さりげなく表れている作品の一部と、断片的な情報を手がかりに、地中を想像する。想像することによって、各々の観客の中に姿を現すという作品だ。どんな作品であっても、作品を見るということは即ち、知識や経験や想像力という自分の中を見ることだと僕は思っている。この作品の前に立つと、そのことを改めて強く思わさせられる。この作品は、府中市美術館に行くたびに、そして展覧会の会場に入る前に、そこに至るまでの自分と向き合う時間をつくってくれる。若林奮さんという不思議な作家が投げかける、解かれることのない問いかけに、府中市美術館に行くと必ず出会えるというのは、とても幸せなことだと思う。今回、開催されている小西真奈さんは、様々な場所の風景を、鮮明で的確な筆致で描く作家だ。近くでみると、絵具の質や色や、線の種類、筆を動かした腕の動きや、色や線がどのような順番で重なっているのかという時間がみえてくる。少し離れてみると、無数の筆致が束となり塊となって図像が浮かび上がる。もう少し離れると、完全な景色として自分の中に入ってきて、過去の見てきた記憶や経験と結びつく。小西さんの絵の前に立った時、「地下のデイジー」の見えていない部分を想像するように、自分が触れることの出来ないものに、想像するという力を借りて向かっていくような気がした。(佐塚真啓)
【西の風新聞1787号掲載】
ーーー
-

「西の風新聞でのコラムについて」


-
「美術」という言葉は明治時代に造語されたとされている。美術という言葉の、現在の一般的な定義は、「芸術」の下位概念であり、視覚芸術や造形芸術を指し示す言葉とされている。しかし、美しさは、視覚からしか感じられないものではないし、ましてや人間が形を造ったものからしか感じられないものでもない。そして、そもそも「美」という文字は、美しいや楽しい、面白いといった肯定的な感情だけでなく、悲しいや怖い、恐ろしいなどの否定的で不快な感情も含めた、人間の心が動いた状態を表している。何かに出会い心が動く、その状態を表すものとして「美」という文字がある。それら人間の心の動きを、あらゆる方法を用いて、この世界に露わにして留め伝え共有する「術」が美術である。そう考えると美術史は、人間が何に心を動かしてきたのかという歴史である。そして、美術館は、人間の心にまつわる様々なことに出会い、考え、共有する「館(やかた)」だと思う。美術館という場所は、ただ作品という物が陳列されていて、それだけを見に行く場所ではない。自分も含めた人間というものの心に向き合う場所である。そう堅苦しくは言いつつ思いつつも、ただただ息抜きをしに楽しい場所として色々な美術館に行ってみてもらいたい。もしコラムを読んで美術館に足を運んでいただけたらとても嬉しい。(佐塚真啓)
【西の風新聞1787号掲載】
ーーー

いいなと思ったら応援しよう!