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カワノさんのしょうゆラーメン


あのとき食べたあの味が忘れられない、というメニューを1つくらいは持っていないだろうか。私にとってそのひとつに「カワノさんのしょうゆラーメン」というのがある。

私が小学生の頃まで我が家は転勤属の社宅住まいだった。毎日一緒に遊んでいた友だちが数年で居なくなるということはよくあったことで、急に環境が変わることに対するひどい抵抗や感傷がさほど大きくない幼少期だったように思う。

小学5年生を迎える春に、3年間過ごした街をまた離れることになった。これで小学校も3校目。
新天地へ到着した3月27日。春霞かあるいは工業地帯独特のものなのか定かではないがくすぶった灰色の空。駅からタクシーで30分ほど行き、三分咲きの桜並木の坂道を登りつめた所に新しい住居はあった。

引っ越し初日の楽しみはなんといってもルームツアー。今回はメゾネットタイプの2階建て。1階には家庭菜園もできる庭付きだ。2階には庭と同じ広さのベランダがある。造りは多少古いものの、なかなかいいじゃないか、というのが第一印象。

内見を一巡したあとはご近所散策、といきたいところだったが、その前にお腹が空いてきた。あたりを見渡す限り田んぼと竹やぶばかりでお店やコンビニなどは影ひとつない。

すると、おもむろに同じ棟の3軒ほど隣に住んでいるカワノさんが、つっかけサンダルの音を鳴らしながら駆け寄ってきた。わたしの両親と一通り引っ越しの挨拶を終えると「お腹すいてるんじゃない?」と声をかけてくれた。
両親がなんだかんだをしている間、私と妹はカワノさんのお家で待たせていただくことになった。この日はまだ肌寒く心地の良いぽっとした温かさを保つカワノさんちの居間は、なんだか祖父母のうちに来たような安心感と懐かしさがつまっていた。
妙に居心地よく待っていると、少しバタバタした様子で渋いお箸と冷まして食べる用の漆茶碗が二人の目の前に用意された。数分も待たず「こんなのしかなくてごめんね~はい食べて~」とカワノさんは私たちがお邪魔する前に夫婦のお昼ご飯として作りかけていたであろうラーメンを目の前に運んできてくれた。それは、私の母はあまり食卓に出すことのなかった袋ラーメン。ゆるく縮れている麺が、湯気たつ醤油スープにしっとり浮かび、卵がひとつ落とされていた。メンマ、というものを自覚して食べたのもこの時が初めてかもしれない。
「いただきます」
スープを含んで少し柔らかくなった麺が驚くほど体に溶け入る。なんとおいしいのだろう!妹も漆茶碗へ上手に移しフーフーと冷ましながら熱心に食べていた。

このとき食べたラーメンが、私の人生史上、最もおいしいラーメンとして今も尚刻まれることとなる。20年以上経ってもこの時のラーメンを超えるラーメンに出会えていない。あの味を再現したくて大人になってから何度か同じ銘柄のラーメンを買いメンマ少々と卵を一つ落として食べてみるのだが、どうしてもあのとき食べたあの味にならないのである。なにか隠し味でもいれていたとしか思えないほど別のラーメンだと感じてしまう。

記憶が不鮮明なあたりなんとも私らしくいかにも残念。それでも覚えているのは、新しい生活が始まるその日の興奮と、少し肌寒い外気と、ほっとする温かい居間と、カワノさんの気さくで遠く離れて住む祖父母を思い出させる包容感。あの瞬間を取り巻いていた景色や、空気や、気持ちの全てが揃ってはじめて「あの味」に成り得るということなのか。

引っ越しも慣れていたし感傷的なエピソードのある特別な日というわけでもない。だけれどこのラーメンを食べていたか、いないかで、記憶の残りかたが変わっていたのは間違いない。その後定住することになるこの地に初めて降りた日のことを覚えていられるのは、「カワノさんが作ってくれた袋入りしょうゆラーメン」のおいしさのおかげなのだから。

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