「ママに未来を見せてあげたかった」と、君は泣く
いろんな方に「インディペンデントな息子氏は最近元気ですか?」と聞かれる。
(参照)
痛いほど元気です。
この間、待ち合わせ場所に20分遅れてついたら、こんなのがいた。
一瞬他人のふりしようかと思ったよね。
そこのお兄さん、ランドセル全開です。
お風呂の中でも何時間も本を読んでいる。この間はお風呂から出たあとも脱衣所で裸のまま本を読んでいた。いつか轢かれたり溺れたりするんじゃないかと、心配だ。いや、それよりなにより、まずパンツ履け。
お風呂といえば、今日私がお風呂に入っていたら、突然息子氏が入ってきた。
私はカレー沢薫さんの書籍を読んでいて、お風呂の中でひとり大爆笑してるというキモい状態だったのだけれど、目をあげたら、息子氏、ちょっと真剣な顔をしてる。
♂「聞いてもいい?」
♀「うん、どした?」
♂「ママはいつおじいちゃんになる?」
♀「おじいちゃんには、多分ずっとならない」
♂「じゃあ、おばあちゃんにはいつ頃なるの?」
♀「うーん、ママがおばあちゃんになるためには、えいちゃんに子どもができないといけないから、いつかと言われたら、えいちゃん次第かな」
♂「あ、ちがう、そっちのおばあちゃんじゃない」
♀「どっちのおばあちゃん?」
♂「おばあちゃんくらいの歳になるのはいつ頃?」
♀「ああ、そういう意味か。うーん、あと30年くらい?」
♂「未来が来る時、ママはいくつくらい? まだ生きてる」
♀「未来って?」
♂「22世紀のこと」
♀「22世紀? ちょっと待ってね、計算するから。いま2019年でしょ……うーん、22世紀にはママもパパも生きてないだろうなあ」
♂「えええええ! ママは未来を見れずに死んじゃうの?」
彼は本当に驚いたように目を見開いていたんだけど、その目にはみるみる涙が溜まっていった。
お風呂で本を読む時用に風呂蓋に敷かれたバスタオルに顔をうずめ、肩をふるわせている。
♀「え、ちょっと、えいちゃん、どうしたの?」
♂「ぼく、ママとパパに、未来を見せてあげたかった」
♀「……」
さめざめ泣いている息子があまりに可愛かったので、このままでもいいかなあと思ったのだけれど、まあでも、と思って、私は話す。
♀「でも、22世紀に関していうと、えいちゃんだって、生きているかどうか、ギリギリだと思うよ」
♂「えーーーーーっ!!!」
♀「だって、きみ、2011年生まれでしょ。22世紀というと、90才だよ。きみが『死んじゃったらどうしよう』っていつも心配してるじいじやばあばよりも年上だよ」
♂「そ、そうなの?」
♀「うん、まあ君たちの年齢の子は、半分以上100才まで生きると言われているけどね。まあ、22世紀の時に生きている確率は60パーセントくらいじゃない?」
♂「え、じゃあ、ぼくも未来が見れないかもしれないの?」
♀「あ、そうそう、その件だけど。未来って、ある日突然未来になるわけじゃないからね」
♂「???」
♀「10秒後だって、未来だから」
♂「え? 10秒後って、今から10数えたら未来なの?」
♀「うん、そう」
♂「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10。これ、もう未来?」
♀「うん、さっきから比べたら未来」
♂「……???」
混乱している息子とお風呂からあがり、私は「未来」を説明することにした。
♀「ここが、『いま』だとするじゃん?」
♂「うん」
♀「で、こっち側が過去ね。過去ってわかる?」
♂「うん、わかる。昔のこと」
♀「そうそう。じゃあ、その反対側が未来ね」
♂「うん」
♀「このずっと先に22世紀があります」
♂「うん」
♀「で、いまちょうど8時でしょ。だからいまのところに8時って書くよ」
♂「うん」
♀「じゃあ、9時はどうだろう……」
♂「未来!」
♀「そう、いまから見たら、9時は未来だよね」
♂「!!!!! 未来ってそういうことなのか!」
♀「そうなのよ。でね、1時間たって9時になったら、9時が……」
♂「『いま』になる!」
♀「8時は……」
♂「過去」
♀「そう。だからね、過去も今も未来も全部つながっているんだよ」
♂「へええええええええええ!!!そうなのか!」
彼は大発見したような顔をしていた。
9時がきて、布団に入った彼を見届け、彼に言った言葉を思い出す。
未来って、ある日突然未来になるわけじゃないからね。
過去も今も未来も全部つながっているんだよ。
時々、息子にかける自分の言葉にドキっとする時がある。
だいたいブーメランだからだ。
例えば突然ふってわいたわけではない締め切りとか、
例えば突然出現したわけではない腹回りの肉とか。
つまり、彼が「未来」という言葉の意味をわかっていなかった以上に、わかっているつもりで、よく忘れちゃう、その連続性。
過去の選択の末に今があって、今の選択の先に未来がある。
当たり前のことのようだけれど、ある時突然、のぞまなかった「今」がやってきたような顔をしてしまうことがある。
それはもちろん、締め切りや贅肉の話だけではなくて。
(閑話休題)
私がとても好きな言葉に、
「過去が咲いている今、未来の蕾で一杯の今」という、陶芸家の河井寛次郎さんの言葉がある。
この言葉に出会った時、わたしは、過去と今と未来の連続性について、「再発見」した。今日の彼のように、それは私にとって、大発見だった。
いつか息子とも、そんな話ができたらいいな、と思う。
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(三連休のさとゆみ)
・「映画 ちはやふる 上の句」「同 下の句」「同 結び」観る
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・原稿書き 10時間