「何でもある」には何もない。「何もない」には全てがある。
よく、インバウンドの展示会や地域のプレゼンにいくと思うこと。
「うちの町には、歴史も文化も自然も豊かで、そば打ち体験ができて、もちつきもできて、商店街もあって、酒もうまい。歴史上の有名なだれだれも滞在したことがあり・・・」
そういう町がいっぱいあって、何ができるんですか?というと、同じことを言われます。あれも、これもできて、なんでもできる、と言われると、他の地域との違いがよくわからないんです。
そして、歴史上有名な人物は、たいがい外国人は知りません。坂本龍馬とか、応仁の乱とか、後醍醐天皇とか言われてもわかんないんです。
なんでもある、よりも、うちのウリはこれ!というPRの方がいいんじゃないかな、と思ったりしてます。
「うちは何もなくて。こんなとこよーきてくれたなあ。」
という言葉はよく、村のおじいさん、おばあさんからよく聞きます。
実際に日本の田舎に滞在すると、すごく気に入ってもらえる海外の方が多いです。ガイドブックにはのっていない、観光地ではないリアルな人の暮らしがある。これまで旅してきた、東京、金沢、京都のどことも違う、中山間地域ならではの生き方、受け継がれてきた自然とともに生きる知恵。農耕文化から発展した多くの日本文化のDNAがそこにあるのでした。
実際、棚田を見たいというリクエストもけっこうあったりするのですが、地元の方は見慣れてるので、たいがい「こんなとこ、何にもないのに」と思われているのです。でもそんな村で紹介できることはいっぱいあります。農業とサイクルと旬のもの、山菜の多様性と見分け方、農耕儀礼、保存食の仕込み方、農閑期の副業のこと、暦と指標作物による天候を読む力、田舎でおきている現在の問題から新しい活力のこと。他の観光地とはちょっと違った視点を得られるはずです。
いまや、外国人が増えすぎて観光公害で困られている都市部がある一方で、何もない、静かな村もたくさんあります。「なぜ京都はこんなに混んでるのか」と憤慨するのならば、「なぜあなたは混んでるところへ、わざわざ混んでる時期にやってきたのか?」と言いたくなるものです。もっと、知られざる地方へと足を伸ばしていただきたいものです。