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なぜ藝術なの?〜いわて里山藝術祭の前の前の話

その名も”こすもす公園”

芸術やアートに興味のなかった私が、初めて”アートっぽい何か”にハッとさせられたのは、震災でできた公園だった。それは、あるイベントで行った岩手県釜石市にある「希望と笑顔のこすもす公園」だった。

でこぼこのままの広場に、自然の大きな枝が組み合わされてできたような遊具や小屋(屋根?)が雑然と並び、大きめの建物には遠慮なく全面にカラフルな壁画が描かれている。

今でも、何にハッとさせられたかはうまく言い難い。ただ、なんかいい。何がいいのか言いにくいけれどなんか居心地が良かった。小賢しく考えてはみた。枝や丸太などの自然の素材と形をいかしてるから? 壁画だってわかるようでわからないモチーフで、壁画そのものに感動するわけでもない。全体のデザインだって人間にとって心地よくデザインされてるわけではなさそう。むしろデザインって事自体考えてなさそう。でもこの居心地の良さはなんだろう?

“遊び”から希望は生まれる。釜石の子どもたちへ贈られた「こすもす公園」、その与え合いの物語
強い生命力を持ち、太い根を張り、空に向かって成長を続けるコスモス。ときに“復興の花”とも呼ばれるこの花の名前を掲げた公園が


誰もが、居ていい

イベントに参加しつつ、子どもたちが楽しそうに遊ぶ姿を見つつ、豚汁だったかカレーだったかを食べながら、何かがすっと腑に落ちた気がした。

この公園は、誰もが、自分がいてもいいと思える場なんじゃないかと。

雑然とした遊具やその配置、広場の傾斜やでこぼこ。どれをとってもなんかおもしろい。どこにも”狙った”感じがしない。その時、なんか面白いじゃん?って言いながら作っていった空気感。かっこよさなんて一旦置いとけ。なんか楽しい、面白いことしようぜ。って誰かが言っている声が聞こえる気がする。


いわて里山藝術祭の仮装稲刈り。なんで仮装?

そもそもこの公園、ある御夫婦が私有地を解放し、ボランティアや支援団体がみんなで作った公園だそう。震災で遊び場を失った子どもたちを思ったのか、子供も大人も関係なく、ここに来る人の笑顔と希望を願って作ったのか。もちろんそれはあるだろう、
でも。

公園作るのって、楽しい!

そんな声が聞こえる気がする。
だから誰が来ても拒まない。どう過ごしても構わない(文字通り)。でもなんとなく公園が”あそぼうぜ〜”って誘ってくるような、そんな場所。

その空気に僕はなぜか ”アートってこういうことなのか?” と感じてしまった。

誘うもの

それ以来、僕は心の何処かに「アート」という宿題が引っかかっていて、それがどういうわけか”いわて里山藝術祭”になっていった。アートとはなんだろう?あのとき、こすもす公園に感じた”アート”感は何だったんだろう。一般的に言う絵画や彫刻、あらゆる創作活動とその表現(物)。それはアートなのだろうか。芸術なのだろうか。または”藝術”なのだろうか。

アートとはなにか。他人の言葉で編まれた定義はいくつでもあるだろうけれど、自分で言葉を編んで確かめたくなっていた。

いわて里山藝術祭のことを書くはずが、その前の前ぐらいの話で終わってしまった。

もうしばらく、お待ち下さい。

ケモノギャラリーさんの作品

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