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あしもとのてん

設計会社を辞めたあと、やりたいことを考えてた。その時思ってたのは、ありあわせでつくという事。ブリコラージュというらしい。

出展するにあたり、菊池君と合わせて展示することになり、展示会場はカズさんの座敷を借りることに。そこにはいろんなコレクションやおそらく若い時の写真も飾ってあって、三人の物を展示しようという話に。3人めいめい藝術してみる展示会。

僕は主に石の絵、菊池君は鉱物、カズさんは民具とか色々の展示品がそろって、座敷に広げてみた。当初は真ん中のテーブルに座ってなんかくつろげる部屋にでもなればいいなと思っていた。でも僕があんまりいなかったので、展示会をやったという感じがなくて。カズさんが一生懸命やってくれた。申し訳なさも感じつつ、今度、菊池君合わせて飲みながら反省会でもすることに。

写真でも入れようかと思ったけど写真全然撮ってない。ひとまずテキストで。

僕のテーマは身の回りにあるもので手を動かすこと。そうして作った作品を展示した。製作は何かを忠実に描写するのではなく、自分のイメージを描き出すように心がけた。わかりやすく言いたいけど、自転車に乗って移動していたので 風景画でなく標高画を描いた。パースじゃなくて地形がこの辺りのイメージだったから。その絵を拾ってきた石で描いてみたもの。描くにあたり人と関係するのがよかった。

菊池君は鉱物を展示。きれいな石を拾ってみることはできるけど、それを楽しむことはできるだろうか。そんな目を持つ人はあんまりいないと思う。何かを愛でるということ、誰でもできるわけじゃない。集めた石のあれこれをみて、その目線を辿ってみるのも面白いのではないかと、個人的には思ってた。これは、灰色の労働をなんとか藝術をもって燃やそうとしたという事だったり。

カズさんのコレクションと写真は思い出が詰まってる品に感じた。問いかければ快く答えてくれる、近所のおじさんのいる展示会。それが緊張感なく座敷であることができて、すごくよかった。何人か案内したけど、みんなあんまり見ていない。それくらい素朴で座敷であれたことは、逆にいいことに思える。座敷でゆっくりすることがほぼなったのが反省点かも。昨日行ってみたら、色々品が増えていた。ごめんなさいということで。
そういえば道中”おいかわさん”と知り合った。

この藝術祭は千年先まで続いているという事で、一歩目としては良い準備ができたと思ってる。焦らず気を長くして落ち着きたい。横で色々波乱も起きていて、他人事のように傍から見てたかったけど。あの座敷でゆっくり一服してたら全部流れてく気もしていて、はるか遠い千年先を思いながら。でも藝術はあんまり便利に使うものでもないか。

あしもとという事で。
上げすぎた顔を下ろして、息をゆっくり整えて、これまでの話でもつまみにインスタント珈琲でも飲みたい。

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