ぼくらは何にも求められていない

ネガティブな話ではないのですが、焦りを鎮めるための心の持ちようとして。

Twitterを締め出されてから、様々な巡り合わせが重なり、現在ベースギターを練習しているというのは、これまで何回も触れてきたのですが、当然ながら中々思うように上手くいかない。

もちろん、イラストを描いていた頃も「自分の絵は他の人に比べてなんだか垢抜けないなー」とか「色々調べてみたけどこの描き方どうやってるか全然わからない!!」と思うことはあったのですが、それでも各段階において、下手であってもそれはそれでの味わいみたいなものが出るので、場合によっては「至らないなりに今回は上手く出来たな!」とか「完璧とは程遠いまでも僕の絵が好きだと言って貰えた!」とか気持ちよくなるポイントはあったのですが(まかりなりに10年近くやっていただけあってそりゃそうでしょうよといった感じもありますが)

まあ流石にベースはまだ初めて4ヶ月だし、音楽は練習のついでに発表物が産まれるジャンルでもなければ、今は発表の場を持っている訳ではないので、そのうち「普通の人であればこのぐらいの段階軽く越えていくのではないか」とか「自分の上達速度は遅いのではないか(あるいは練習方法が間違っているのではないか)」とか「1日1時間では足りないのではないか」とか「このまま一生上手くならないのではないか」という不安が襲いかかって来るわけです。

とはいえ、少なくとも上達しているのは間違いないし、始めたばかりの頃と比べたらよほど「弾けている」状態にはなっているのですが、実際今のぼくの出来栄えは本当に世界で僕一人しか知らないので、不安になるのも当たり前だよなぁという感じでありまして。

この辺ゲームであれば「出来た」「できない」の判断はコンピュータがやってくれる上にわかりやすく可視化され、目標も示してくれるので、そりゃ自然とゲームをやる時間の方が長くなるよなぁという反省もあったり。

そんな感じでやっていると、次第に「上手くなりたい」が「早く上手くならなければ」になって焦ってくるのですが、冷静になると「それって誰のため?」ってなるよなぁと。

ぼくは早くベースが上手くなって誰かに見てもらいたいって思ってはいますが、それは決して誰かに求められたり強制された訳ではなく、単なる僕自身の願いであるというだけで、それを望んでいたり待っていたりする人はぼくだけだと思えば、そんなに焦ることはないのではって思ったり。

というか、逆にそんなことで焦って心を疲れさせても楽しくないから、もっとじっくり構えなよ、と自分に言い聞かせないとこの先潰れてしまうかもしれないなあと思うので、気をつけないとといった話なのでした。

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