五輪に持ち込まれる負の意識
まず告白しておく。僕にとって「パリオリンピック2024」は、気が付いたら始まっていて、気が付いたら終わっていた。期間中にいくつかのニュースを見た程度だ。
ニュースの中で聞こえてくるものは、「称賛」よりも「批難」のほうが圧倒的に多かった。その多くは審判に向けてのもの。実際に誤審だったのではないかと思われるものもあれば、自国有利な審判をしたとしか思えないものもあったらしい。
それに対して日本のSNSは情報戦争さながらに審判を叩き、IOCを叩き、何なら負けた選手をも叩く。
オリンピックって平和の祭典じゃなかったっけ?
もはや国別対抗メダル獲得ゲーム大会になっているように思える。
「オリンピック憲章なんてクソくらえ」だ。
〇メダルは結果として獲れたら嬉しいです。
〇最善を尽くしてスポーツマンとして戦います。
〇国の代表して全力かつ清廉潔白に戦います。
それでよいし、SNSもマスコミもそのことを重視するほうが「善」ではないのかな。メダル!メダル!反則!反則!誤審!誤審!ヒーロー!ヒーロー! まるでストレス解消のイベントだ。
東京オリンピックは、電通はじめ多くのゼネコンや権利ビジネスでの国内特需のために強行したともいわれていたが、結果としては、大きな感動を得たりして成功だったとも思えた(少なくとも日本人の僕にはそう見えた)。政府や国家の思惑とは別にスタジアムでは世界のスポーツマンの真摯が姿勢が見て取れたからだ。スポーツは勝敗だけではない。やす子の言うように「税員優勝」だと思う。
子どもの頃、僕はオリンピックに大きな期待をしていたが、モスクワオリンピックのボイコット問題あたりから、オリンピックに政治の影が落ち始めた。
ロシアvsNATO
イスラエルvsパレスチナ
オリンピック大会
なんかあまり変わらないような気がしてくる。
もちろん殺戮や銃撃や被害の点では、天と地ほど違いはあるのだが、
精神性、感情面においてはどうだろう。
政治や国家がオリンピックを悪用しているのと同様に、SNSを通じて一般大衆までもがオリンピックをメダル争奪戦に陥れている気がした。
なんとなくモヤモヤしてしまうのは僕だけですか。
2020年の大河ドラマ「いだてん」は良かった。