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「福祉って大変だよね」に辟易とする
すっかり寒くなりました。でもこれが12月目前とした気温かっていうと、どうだろう?とりあえず100均はクリスマスモードくらいにしてほしいです。バレンタインは早いって。
さて、色々限界にてタイトルのことを書こうかと思います。
一言でいうと
福祉を取り巻く世の中の現状が、福祉ってなんたるかとかけ離れて行っていてつらい。って話です。そんな思いをつらつらと。すべてにおいて、いろんな人がいるよってのは前提でね。
「福祉は大変」って言葉の解像度が低すぎる
身近ゆえに私が特に言いたいのはやはり障害分野です。世間から「福祉職って大変だよね」「人がやりたがらない仕事をやっていてすごいよ」っていう声があがるのを確かに聞くんですよね。日々、暴言とか暴力があるんじゃないの?とまで。おいおい、ずいぶんと失礼なことを言うなあと思いつつ。
確かにそういう施設(「入所」って意味に限らず)もあります。
うちの区だけみても、ちょっと目を離せばいなくなるとか、手が出てくるとか、自分をたたくとか、上から靴が降ってくるとか、行動すべてに介助がいるとかそういう知的障害の重い方の施設もあって、そこの法人の別施設なんかでは、理事長の断らない方針がゆえに、現場が無理を強いられて、本当に人が足りないし、だからこそ起こるようなことに対して、外部から「あーそれは虐待ですね」なんて言われる始末。
そういう「それは虐待ですね」と言うだけの人たちには、ぜひ「こんなところにも虐待の芽が」とかいってる暇があるなら週1回でもそこに夜勤に入ってくれればいいのに、と常々思っています。そういうところは虐待の芽とかじゃなくて、花を咲かせないようにギリギリのところでつないでいるんだから。
かたや、私がいたGH。職員は座っているだけで、次第に独自のルールを作り始めて、食堂の開放時間を3時間だけにして、あとは鍵を閉めてこもりっぱなしです。各居室での支援もしません。だからトラブルも起きません。正確に言うと、救急搬送されているとかいうレベルのトラブルも起きているのだけど知りません。夜勤扱いだけど、もちろん寝当直。これで一晩でお給料14000円越えですよ。(皆様もいかがですか?)
だから70歳超えた職員が週3以上夜勤に余裕で入れちゃう。ねえ、これでも「福祉は大変」っていう?障害者とかかわるなんて疲れるでしょう?っていう?
障害の程度の問題だけじゃなくて、利用者がとにかくみんな人が良くて、何かあっても「職員さんも大変でしょう」とか言っちゃう。いや、なにも大変じゃないって。どう考えたってあなたがしている朝5時に出ていく掃除の仕事の方が大変です!と言いたくなる。
心身共にとてもハードな現場が多くあるのも事実。そしてそんなきつい現場だから人がどんどん減ってさらにきつくなっているのも事実。ただ、そうやって十把一絡げに「福祉って大変だよね」っていうことで、あぐらをかいている人たちがいることも事実。それに相当な覚悟とあつい気持ちがなければ、同じお給料なら大変な方に飛び込みたいとは多くの人は思わないし、最初はその熱量をもっていても、心身にガタがくるのは当然の話です。
そして、介助などの意味だけでなく「福祉サービスの利用者って接するの大変なんでしょう?」というイメージに私たちが悔しい思いをしつつ何も言えず、それが職員側が「人がやりたがらない大変な仕事をしている立派な私たち」「私たちが面倒を見てやっている」という優位性を感じる要因になっているとも思う。
そんな「世間」なんちゅーものは何かニュースがあったり、身内の話くらいでしか関心を持たないし、正しく理解してもらおうなんてのも無理な話なので別に良いのだけど、やはりこの構造に都合よくのっかっている関係者に対してはとても嫌悪感を覚えてしまいます。
支援者と利用者はどうせ対等じゃない
自己決定、意思決定支援、パターナリズムの是非、措置から契約へ…いろんな流れが相まって、「支援者と利用者は対等・フラットな関係である」とことあるごとに言われます。ええ、理想ですし、上下関係があるものでもないとは思います。
でも実際そうなってますか?という話なんですよね。
だってさ、支援者がイエスと言わなかったら私たちは支援をしてもらえないわけじゃん?(もうこの「してもらえない」って表現だけで、受動的だ、主体性がないって言われるんだけど…契約書に書いてある内容を「してもらえていない」というのも許されないなら無法地帯なのよ)
事実、それでGHに住んで、相談員もついた環境の中で、私は虫歯が進行して神経まで出て噛めないほど激痛まで行ったし、食べ物がなくて塩をなめて暮らしていた。病院に連れて行ってほしい、買い物に一緒に行ってほしい、そういうことについて権利擁護が、ネグレクトが、なんて私が言ったところで、「GHに住んでるんでしょ?自立を考えてできると思われたからじゃないの?」で終わる。そのころ歯が痛すぎて何も噛めない私に、刻み食を作ってくれたのは、料理が上手なほかの利用者さんでした(´;ω;`)
多分、関係が対等であるというのは、立場が強くなりがちな方が「対等であろう。上下関係、力関係をつけないように気を付けよう」っていう話であって、支援者側から対等だよね?と言って、やらない口実をつけることは、金を貸してほしいときに、俺たち友達だよなあ?ってカツアゲする姿にも似ているよう思えてしまうんです。
自分でできることは自分でやる、何でもやってあげることはよくない。それは当たり前として、利用者にとって必要な支援内容が人それぞれ、内容も量も違う(アセスメントと計画に基づく)からこそ、この職種、立場ならこの内容を必ずやりますというのがない。だからこそ、本来必要なことでも「これをやらないことは自立のためです」といっちゃえば体裁がとれちゃう。それがとても怖いし、日常的に起きているのが実際です。
個人的には福祉が世の中に溶け込むとか垣根をなくすとか、きれいごとの対等とか平等とか、そんなことよりも何らかの支援が必要な人にきちんと届いて、人間としての最低限度の生活が送れるようにすることの方がよほど大事だと思っています。
案外、私は制度のど真ん中の人間…なんだよ?
普段から、あらゆるサービスにつながれないと言っている私ですが、意外といろんな制度のど真ん中に該当するんですよ。精神障害の手帳1級、障害支援区分4、独居、住民税非課税世帯、障害年金受給…制度の適応だけみれば相当マルなんです。でもね、実際適応となるサービスが受けられるかというと、まったくもってそんなことはない。
一応、とりあえず成人の精神障害者に関しては、制度上は重度な人ほど手厚い仕組みになっている。ただ、実際に支援に手が届くのは、軽度、支援者にとって支援しやすい、すでに強力な支援者がいる、家族が協力的、などの「福祉がなぜ税金をかけて行われるか」とは真逆のタイプの人たちなのです。
上にも書いたけど、国や自治体から入る報酬がそう変わらなければ「手がかからない」人を受け入れたいし、働く方としてもお給料に大きな差がなければ、日々イレギュラーが起こるような現場に好んで入る人はそうはいない。
先日省庁からも「障害福祉にかけるお金増えすぎてるから、GHの総量規制とか考えるね☆」みたいなの出てましたね。
私はこれにも苛立ちを覚えちゃうんですよ。予算が青天井じゃなくて、限られているのは当たり前の話。
その中で「優先順位をつける」とか「事業所が増え続ける構造やその中での問題の方に介入する」ってことをしないのか、と。自分たちでも質の低下の指摘をしている中で、今あるところは税金を補助金として使うにあたってのルールを守っていなくても補助金を出し続けるのか?もらう方、出す方の双方に責任はないのかと思ってしまうのです。
結局、事業所側の資質や社会的責任が問われないがために、施設運営上、ちょうどよい利用者のみが受け入れられていくようになっていく。
福祉で儲けるのがどうかとか、障害の程度が軽い人は後回しでいいのかとかそういう話はしていないです。ただ、税金でないとどうにもならない、暮らしの質ではなく生存権の保障といったときに、どこに優先的に、そして手厚くお金や人手を割いたらいいんだろう?という話です。
大見出しに戻ると、私は制度上はいろんな制度に当てはまるんです。だけど、実際はあなたは重度だからみられない。あなたにはここはふさわしくない。レベルアップしてからきてほしい。あなたを受け入れることでリソースが食われるの…からの「困難ケース」になり、どこも受け入れてくれない。そんなのの連続です。
制度がない、制度のはざま問題と同時に、その障害種別を対象とした施設が増え、制度的にも適応であるにも関わらず、事前情報だけで「負担になりそうだから」と門前払いされる。しかし統計上は施設数が増加し、受け入れられやすくなっているように見える。しかも制度も適応であるから「ーーがあるのに使わないあなたが悪い」とすら言われる。
森だけを見た場合、問題が解決に向かっているからこそ、そこに乗れない、しかし、乗れないからこそ専門職の知恵や技術を借りたい人たちが孤立し、自己責任とされていく。
問題の軽重ではなく、これはこれで出口のない迷路というか真っ暗闇のトンネルなんですよね。あがけばあがくほど、あんたが悪いんやろ?ってなる。
なんかね、長いこと抗ってた。けど、もう悲しいしむなしいし、ああ、とりあえず色々感じないようにすることが私が生命体として生きる道だよなって思うところまではきた。それでも生きなきゃいけない自分とこれじゃ生きていけない自分が戦ってしんどくはなる。
あれやこれやの工夫によって福祉業界が支援者にとっても大変すぎず、かつ待遇もよくなったらいいなとはもちろん思います。私だってご負担をおかけしたくはない。でもそれは目の前の大変な状況から目を背けることではないと思うのです。ただ、それは個々人に頑張ってください、無理してくださいとか善意にお願いするものではなく、それこそ、予算の在り方、待遇面、それと連動して人材育成も行われて…って話で構造的な話だと思うのです。
でもだからこそ、どうにも私には手が届きません。誰か、頑張れる人、声が届く人、頼んだ…
まとめ
もうね、そうじゃないとか抗うことも疲れる今日この頃、
派手なこと、目立つようなことを言おうとなんてしないけど、私たちの毎日の暮らしを紡ぎ、つなぐことに悩み、手や足を動かしてくれている皆さん、ありがとう!ってすごい大きい声で言いたいです。
支援とは、福祉とはって言わないでおなかすいてない?って言ってくれるヘルパーさんも、今日もさとうさちゃんの髪の毛は防水加工だねって言いながら洗ってくれる訪看さんも、犬の写真を送ってくれる友人もみんなみんな!