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「傷の声」の一部を読んで

 皆様、2025年もどうぞよろしくお願いいたします。今年、私は後厄なんです。噂によると本厄よりやばいとか。ってことは楽しい門前町とおいしいお団子があってかわいいお守りがある神社に行った方がいいってことかと思ってます。おいしいお土産も買いたいな。

 さてさて、昨年発売された齋藤塔子さんの「傷の声」。私も少しばかり読みました。少しというのは、私には読み切ることができませんでした。
 私は数年前に齋藤さんが精神看護の雑誌に書かれた隔離拘束に関する文章を読んで、自分の経験を文章にしたいって思うようになったんです。それだけ私に影響力のある方でして。
 そういう刺さる文章を書かれる方だからもちろん揺さぶられる。こういう思いをしてきたのは私だけじゃない。これはある意味、あるあるなんだ、いやあるあるじゃあかんだろ、と辛さがフラッシュバックしつつ、辛いを超えてイライラして悲しくなってもう感情が大忙しでした。
 そんな中、ほかの方も引用されてコメントをされていたこの一節。私もやはり印象に残りましてね。

 退院して一か月ほどが経った今。死んでいないからこそこれを書いているし、アームカットもしていない。それを医療者たちは、「希死念慮の強くなる躁と鬱の混合状態を入院で乗り越えた」と言うのかもしれないし、「拘束によって衝動のコントロールが上手になった」というのかもしれないし、「薬剤調整がうまくいった」というのかもしれない。
 何もやらかさないのを見て「最近調子いいね」と言われるたび、世界とのあいだにあるガラスは厚くなる。今も私の内部にあるのはあの時の記憶(隔離拘束)である。生きるための手段は抑え込まれている。周りの人に何かを伝えることにも無力さを感じる。

「傷の声」齋藤塔子 p.23-24

 これをみて「いやー超わかるー!いやまじでこれー!」ってなりました。

 なお私は、激しい自傷行為や過量服薬はしたことがないです。あ、自分に噛みついたり、髪の毛抜いたり、シャーペンでぶっさしたりはしてたけどね…だけど、切迫感を伴って吐露される希死念慮なのか、それを超えた絶望からの開き直り、安定感が主治医を即日の医療保護入院、隔離拘束へと駆り立てるようなんですよ。

 確かに入院して優しくされたいという要素を求めて、入院になるような行為をする方がいることも知っています。病院は意識的な休息入院に使うことは(それを保険診療で行うことの是非はともかく)あるけれど、優しくされたいという治療的でない、むしろ退行を促進するだけの入院は確かによくないのはわかります。だから、病院が良い居場所にならないように厳しく接するっていう医療者も一定数います。
 でも、その患者がどういう経緯で入ってきたかも考えず、もう金輪際入院したくないと思うようなほうが良いというのはいかがなものだろうかと思うのです。結果として嫌な思いをするのと、積極的に嫌な思いをするくらいでいいんだって言われながら嫌な思いをさせられるのってだいぶ違いますよね?

 私の行動原理の根底は「もう二度と入院したくない」であり、それは「自分の身の自由を奪われたくない」でありもっと言えば「絶望的な恐怖をもう二度と味わいたくない」なのです。

精神科入院は親からの虐待の再現

 私にとって入院とは幼少期の児童虐待の再現でもあります。とりあえずこの隔離拘束を解除してもらうには医療者の許可がいります。治療判断の根拠がラボデータではないので、医療者が隔離拘束解除しても安全だとみなさないといけません。正確に言えば私は何も危険行動はしていないはずなのだけど、「二度としません」と医療者に謝罪しなければいけません。幼少期にも親にしてきました。そりゃ私が悪い子だったときもあるけど、仕事でむしゃくしゃしたから体を貸せと親が殴りたいから殴っている時だってありました。けど暴力ってのは相手が満足して終わるのが一番早いのを知っています。だからとりあえず満足してもらうために、よくわからないけど「私がおわるうございます」という顔をしておきます。一番殴られ、けられるのに適切な部屋の位置に入り、けられても一番被害が少ない部分を自ら差し出します。
 しゅんと反省した顔をしておくのも結構得意です。医療者は反省を求めているつもりじゃないのかもしれないです。けど私にはそう感じてしまったし、事実反省と改善策によって早く出してくれました。

 もちろん隔離拘束されていても丁寧にかかわってくれる人もいます。限られた人員と時間の中でも、関わる数分の中できちんとコミュニケーションをとって、不安を和らげようとしてくれる、苦痛を受け止めてくれる人もいました。けど、何かいえば、半笑いでドアをバンとしめていくひと、暴れていたら、「カメラで見てるからさ、これ以上すると、保護室ってだけじゃなくて拘束に戻るよ」だけ言いに来る人もいました。
 同じドアを閉める一つとっても、また来るからねっていうか半笑いでしめときゃ安全、カメラあるしって思ってるか、傷ついた心には敏感に感じます。
 何が悪いかわからなくても相手の機嫌を取るために、許してもらうために謝る。そんな児童虐待と同じことを再現させられるのが隔離拘束です。

 しかも最悪なのが、私はいわゆるACEs (Adverse Childhood Experiences:小児期逆境体験)と言われる種類の疾患なのに、Adverse(逆境的)なExperience(経験)を与えた親の方は「こんなお子さんをもって大変でしょう」と言われ、Child(私)の方は困ったちゃん扱いなのである。しかも私が退院できないための医療保護のサインをしているのが、その親だからこそ人生に絶望しかなくなる。私のいい子ちゃん演じ能力は半端なくて隔離拘束で入ったのに一回目は10日で出てきた笑 もちろん即再入院させられました…
 生きるための入院のはずだけど、当たり前に人生への絶望と、虐待と同じ「強くて正しい人には逆らってはいけない。私は自分の人生を自分の力ではどうにもできない」という思いを強める経験になりました。

私は犯罪者なのか?

 そもそも精神科に入院することになったのは病状が悪いからであって更生ではなく治療に来ているはずなのです。犯罪だってしていない。なのにどうして謝らなければならないのだろう。医療者にも「ベッドコントロール苦労したんだからね」「二度とこういうことにならないでよ」と言われる。よくわからないけど早く出たいから「迷惑かけてごめんなさい」という。
そんなことの繰り返しです。

言動はミルフィーユというか引き出しというか。とにかく積み重なっている。

 今回の投稿は「自分、精神科病院で働いてるけど、隔離拘束にきちんと心を痛めてやってるもん」「患者目線からそうみえても、それは被害的なのでは?病気だからでは?」なんて声が出るかもしれません。
 もちろん心を痛めながらやってくれてる人がいるのもわかってます。私がタクシーに両腕つかまれて詰め込まれたとき「だましたな!」と言ったらしく、そのことを気に病んでた看護師さんは、再度その病院に入院した時、指示が看護師同席なら拘束解除可だったので、自分の勤務で記録とか打つとき、なるべく私の部屋にきて、あばれちゃだめだよ~っていいながら、腕だけでも拘束外してお話ししながら自分の仕事してくれた人もいました。
 それが正しいかなんてわからないし、時間がない、人がいないなんていいわけだ、なんてもいわないけど(イレギュラーが起きたら眠前薬も配れなくなるのを知っている。けどちゃんと患者さん待つんだよこれが)、そういう心がけが嬉しいし予後に大きな違いを与えるし、患者側って意外とそういうのをうれしいことも苦しいこともしっかり感じているし、覚えてるってことは伝えたいなと思った次第です。

 医療者の小さい当たり前や小さい言動が、私たちの予後をどれだけ左右するか。あの時の一言、関わりが何かの時のストッパーとして「ああ、所詮仕事と思っていたけど、人として大事にされてるな」って碇のように心の奥底に残っている経験もあるし、あの時の一言、関わりが「もう人生で二度とこれができない…」とか思い出しただけで心拍数があがり、体温が下がり吐き気がする、フラッシュバックになる、意識喪失するなんて経験にもつながっています。
 それってたぶんどれもむこうからしたら「はて?そんなこと?」みたいなことなんだと思う。ちなみに確認したら自分そんなこと言った、したっけ?ってのは事実あった。
 私の人生は、いろんなことが積み重なって今がある。けど、そういう体験の色々は時々引き出しのようにあの時あれがあったなって引き出しのように経験があくんですよ。良いものも悪いものもね。
 うちの主治医は「さとうささんはたくさんのつらい思い出がある。けどそれを良い思い出で上書きしていこう」っていう。ミルフィーユは泥ではなく、HARBSのケーキで塗り重ねたいし、いけてない引き出しにはボンドか釘で閉じていきたいし、それは無理でも開けるか開けないかの選択は自分でできるようにしたい。蝶番をしっかりするみたいな?

私が地域にこだわる理由

 この記事に書いたんですけど、私が地域にこだわる理由って自立だの当たり前だのってより、病院ではなしえないこれらがあるからなんですよね。
 精神障害で障害福祉サービスを使う人の中にも入院経験がない人が増えている印象だけど、やはり病院と地域がそれでも根強くあって、だからこそ地域にこだわっているっていうのは知っていてほしいなと改めて思いました。
 身体疾患だったら治療が終われば元居た場所に戻るのは当たり前。だけど、精神疾患はそう簡単な話じゃない。今だってだからこそ地域と病院って言葉がある。
 ただ、よく言うのですが、アラサー女子が横浜のアパートに住むことを「地域生活」って普通言わないですよね?普通一人暮らしとしか言わないですよね?それだけまだ特別なことなんです。

今後

 パーソナルリカバリーとかいいたくないです。先日、そういう言葉が似あう文章ではそれらしくするためにその言葉を使いましたけど。概念になんかあてはめたくないです。小さい喜びを感じられるようにとかも言いたくないです。結果的に感じられるようになってますが、できることなら仕事に悩んでみたり、結婚に悩んでみたりしたかった。それに悩むことがしんどいことなんてわかってます。ただ、そこの土俵に乗ってみたかったってことです。
っていうと、そうなれるように頑張ろうっていう人が出てくるかもしれない。
…日本で30歳過ぎまでほぼ働いたことない人が就労できる?通信会社ですら精神障害を理由に断られるのに、とりあえずこの立場で3年くらいやってみたら何かわかるよと。

 私はわかろうとしてくれる人に「あなたにはわからない」とは絶対にいわないようにしています。(逆もしかり)そして、経験した私たちにしかわからない世界があるとも思っています。
 だからこそ齋藤塔子さんとはまた違うn=1の人生を2025年はもっと発信していきたいです。文章でもしゃべりでも、発信の場が広く持てたらいいなと思うので、文章でも語りでも発信の機会が欲しいです。それがきっと私の生きる意味になると思っています。

 というわけで(無理やり)2025年も皆さんよろしくお願いいたします。

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