悔しさと劣等感とその先と
どうもyasukeです。
私が19、20歳くらいの時に
今の自分のことを話したらなんていうんだろう
羨ましくは思わないだろうな
最近は、また1からスタートの場所にたったこともあって
悔しさや劣等感もおおい
私は、何がいけないんだろうって
なんでうまくいけてないんだろうって
やっぱり才能が、努力がたりないからなのかって
いろんな映像の監督の作品を間近でみれる機会があって
ありがたい。
けど、この身分で、この分際で
まだ入り口にしか立ってない分際で
悔しいです。
私の方が絶対いいもの作れるって悔しくなるから
なんでって、みてろよって
思う。
負けん気だけはあるから、まだまだやれるかな。
全然社交的じゃないし、
正直言って、こうゆう業界ってやっぱり派手な人が有利なのよ
ダンス界もそうだし
私は、根が内向的だし、それはもって生まれたものだから変えられない
最近はそんな自分を否定せずに、受け入れて堂々と生きれるようになっていたのだけど
こうゆう業界に来ると、やっぱり内向的な自分が時に嫌になる
あー、ダンスやってた時とおんなじだ。また同じとこで苦しんで詰まるのかって
なんか変な悔しさと、劣等感。
なんでなんだって。
悔しい。
色々やって、頑張って、でも結果が思うように出せなくて
そういえば前に作った「春を告げる」の動画に、
「すごく気に入ったので歌ってみたの動画で使ってもいいですか?」
ってDMがきて、
すごく嬉しくて、
でも、その人結局違う人の動画使ってたよね
まあ、やっぱり
上げ続けないと。作り続けないとね。
でも、私やっぱり作ることが大好きだ。
人と人の輪に交わることや、誰かとわかり合うこと、
それがずっと苦手で、コンプレックスで
ダンスやってた時に、何度もなんども
「もっと人と関わることが純粋に楽しめれる性質だったらどんなによかったかな」
「なんで時間がたっても打ち解けられないんだろう」って
苦しんで苦しんで。
結局、そのせいで私はダンサーを諦めたんだと思う。
一人で、やりたいって思ってしまった。
一人で、できる道を探すようになった。
なぜだ?
こうゆう属性の方が苦しむ世の中にできている
それとも私がもっとがんばって自分を変えるべきだったんだろうか。
その過去があり、今また同じところで苦しんでいる。
でも、あの時とは違う。
それはきっと
創りたい思いが強いのと、自信があるからなのかな
自分は自分。
どこにいたって自分は自分。
無理に笑うことない。違う自分を演出することなんてない。
堂々としていればいいんだ。
うまく交れなくても、弾かれても
孤立すれば孤立するほど
いいものが作れるはずだ
だから、孤独を好む自分をむしろ誇れ。
内向的なのは、きっと芸術家だからだ
そんな風に言い聞かせてね
悩みでもあるけど、個性でもある。
私には、私に向いてる道があるしやり方がある
孤独を楽しめ、孤独を誇れ
そうゆう思いも
飲み会で、友達と
とかで発散するにではなく
全部、創造のスパイスにすればいい
悩めば悩むほど、苦しめば苦しむほど
スパイスが増えて、いいものが作れるようになる。
そう思ってる。
だから、不幸な自分も喜んで受け入れる。
むしろ不幸になればなるほどいいものを作れるんじゃないかって
そんな風にも思う。
だからと言って自ら不幸になりに行くのはバカだけど。
だから、自分に集中しよう。
悔しさと、劣等感と
その先にあるものは
素晴らしい制作物であると
私は信じてるから。
なやんでもない、苦しんでもない、苦労もしてないやつの作品に深みなんてでないだろ
芸術は人の思いだから
辛い思いをすればするほど
いつか誰かが苦しんだ時にその人のことを救えるんじゃないかって思うよ
だから私は、不幸もたのしい。
なーんてな。
いやになったりなんてしょっちゅうだけど、落ち込まないのは
この考えがずっと根付いてるから
だからなんだって前向きに頑張れる。
いつか誰かに
たくさんの人に
私の作品が響きますように
誰か救いますように
ではまた
夢3年計画【あと945日】
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