「同じ明日」は当たり前ではない
「突然、国の指定難病だと言われたんだよね」
そんなことを打ち明けられた。彼女はこれまでバリバリ働いてきたキャリアを持っていて、むしろ病気のイメージとは真逆。彼女自身が「健康そのもの」と言っていた通り、私も同じ印象を持っていた。
彼女の告白に、私はなかなか言葉が見つからなかった。
「わかるよ」という言葉はウソだ。私は、本当の彼女の苦しみはわかっていない。
「大丈夫だよ、元気出して」も違う。私は医者でも占い師でもない。軽々しく「大丈夫だ」、なんていえない。
「これからはいいことばっかりあるよ」、そんな陳腐な言葉はなんの意味もなさない。
彼女は言った。
「調子がいい日は、夜眠るのが怖い。眠ってしまったら、明日起きた時に何かできなくなっているのではないかと思うんだよね」
さらに彼女は続けた。
「調子が悪い日は、はやく眠りたい。今日をはやく終わらせたくなってしまう。眠ったらね、リセットボタンを押せるような気がするんだよね」
涙一つ見せずにいる彼女を、励ましたいし、「なんとかなる」と言いたい。でもすべての言葉は空回りするような気がして、うまく話すことができず、ただ目の前の食事をつついていた。私はライターなのに、こういう時は言葉を信じることができない。言葉は無力だと感じる。
「調子が悪い日にリセットボタンを押す感覚、きっと自殺ってこんな感じだろうなと思うんです」
でもね、まだ人生は続く。人生のリセットボタンは、簡単に押せるように見えて、なかなか押すことはできない。
私は彼女に何をしたいのかを聞いた。ただただ、聞いた。彼女からはたくさんやりたいことが出てきた。そして、それをどう実現していけばいいかを一緒に考えた。
同じ明日は、当たり前ではない。
だから。
当たり前ではない明日をあまんじて受け入れるか、自分で当たり前じゃない明日をつくるのか。フォーカスの当て方が重要になってくる。
私は医者でもないし、占い師でもない。病気は治せないし、未来を視ることもできない。でも、明日を創り、人生を自分らしく生きる手伝いならばできるかもしれない。そんなことを思いながら、彼女と駅で別れた。
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