やりたいことに向かって走ってたらアメリカでスタートアップの共同創業者になった
はじめまして、大森徳貴(さとたか)といいます!
先日、O1ビザを取得し、Integrated Biosciencesというアメリカのバイオスタートアップの共同創業者になりました。
「老化をどうにかしたい!じゃあどうすればそのソリューションを最速で作れるのか?」
そんなことを考えながら、修士課程からこの目的に向かって進んできました。
現時点で僕の出した答えは、「アメリカのバイオベンチャーで好き勝手やる」ですが、なぜそう思ったのか、これまでの経緯などについて知っていただければなと思って書いています。特に、僕世代や僕より若い人に、研究者として生きる上でこんな選択肢もあるんだ、と思ってもらえると嬉しいです。
ざっくり自己紹介
まず、経歴はこんな感じです。
2014年 麻布高校 卒業
2018年 東京大学理学部生物学科 卒業
2020年 東京大学大学院理学系生物科学専攻修士課程 修了
2023年 東京大学大学院理学系生物科学専攻博士課程 修了
学部の卒業研究ではクマムシの研究。そして、修士課程からは老化の要因の一つである、老化細胞の研究をしてました。
これだけ見ると、一般的な博士課程まで進んだ東大生かなと思います。
ただ、恐らく普通じゃないのが以下の二つです。
2021年〜2023年 順天堂大学医学部, 特別研究学生
2022年〜2023年 Broad Institute of MIT and Harvard , visiting student
順天堂大学医学部では、老化細胞の研究をしている南野先生のところに所属させてもらっていました。他の老化細胞の研究を知りたかったというのと、同じ研究室に居続けるとその研究室の色に染まって物の見方が狭まる気がしていて、その危うさを感じていたというのもあります。東大での研究とはまた違った切り口での研究で、大変勉強になりました。
MITに関しては、この後触れていくのでここでは飛ばします。
そして、現在は3つの身分を持ってます。
・Integrated Biosciences, Co-founder / Head of Aging Biology
・Broad Institute of MIT and Harvard, Postdoctal Fellow
・金沢大学がん進展制御研究所, 協力研究員
Broad Instiuteは博士の時に留学していた先のラボで、金沢大学は東大のラボで元々助教をされていた恩師の城村先生のラボに所属させてもらっています。今は基本的にIntegrated Biosciencesで研究をしています。
このように自分がやりたい研究のためにいろんな手段をとってきました。
(論文などについて興味があればこちらも。Google Scholar)
老化のソリューションはどうやって社会に出せるのか?
老化自体には興味は元々あったものの、研究として始めたのは修士からです。始めた時から、最終目標は老化を抑制するような薬を作る、でした。老化には様々な要因がありますが、その中の一つに老化細胞があります。そして、この老化細胞の生存維持機構だったり、体に及ぼす影響について研究してました。特に、老化細胞の除去は老化をどうにかできる可能性の一つではあったので、どうやったら殺せるかについての研究が一番やりたいことでした。つまりは老化細胞の除去の創薬です。
創薬となると、最終的なアウトプットは薬、つまりは対象疾患が必要です。要は、老化細胞を除去することで良くなる疾患を見つけてくる必要があります。そこで思ったのが、まず老化細胞を可視化や除去できる遺伝子改変マウスを作り、そのマウスをいろんな分野の研究者にばら撒いて疾患との関連性を明らかにしてもらうとことです。そして自分は老化細胞除去薬を作っておいて、その疾患マウスに投与して評価するという感じです。後日談ですが、これは実際にワークして現在マウスを渡した先の研究者と共同研究に発展しています。
老化細胞の研究すると同時に、研究をアウトプットとして世の中に出すにはどうしたらいいのか、についても考えてました。結論としては、まあスタートアップかなぁと思い、大学のアントレプレナー講座を受けたり、EDGE-NEXTというこれもまたスタートアップ系の講座を取ってみたり、理学系の研究者っぽくないことをしてました。
そんな中、老化細胞の除去の手法について一つのソリューションができそうだったので、とりあえず薬剤の開発でもやってみるかと思い、当時助教の城村先生に名前を借りて東大GAPファンドに応募して資金を獲得しました。その資金を使って一人でほぼ独学で創薬研究をする傍ら、スタートアップとしてやる方向を見据えてVCの方々とお話しをさせていただきました。
そして、現状このまま僕が日本でやるには特に以下の3つのことが足りないと思いました。
・資金
・コネクション
・地位
資金は貰える金額もそうなのですが、実際どのくらいかかるのかの感覚も自分には足りないなと思いました。次にコネクションですが、創薬をやっている人、的確なアドバイスをしてくれる人、一緒にやってくれそうな人への人脈づくりが必要だと思いました。そして最後が地位です。どうしても修士の学生の発言はサイエンス的に相手にはされず、おそらく博士を取ったところでこれは変わらず、PIレベルにならないとお話にならないなと感じました。
そんなこんなで日本でスタートアップを自分主導でやるなら、人脈を作ってサイエンスをやれる仲間を集め、PIになって、外国からも含めて資金を調達するのが妥当なやり方なのかな、と思いました。そうなるにはこのまま日本にいたら少なくとも10年弱かかるのに、老化はホットになりつつある分野だったので、そんなのんびりするのは時間の無駄で、なんなら日本にいちゃいけないんじゃないかと思いました。そして、自分と変わらないくらいの人々がスタートアップをやっているアメリカの環境に興味を持ちました。
アメリカに行くしかない
これまでの経験から、スタートアップがより盛んに行われているアメリカでは何が起きているのか、日本と何が違うのか、それを知らないといけない。また、最先端の創薬の知識を得たい。そのために留学をしようと強く思いました。ただ、それと同時に博士課程をちゃんと修了する必要もありました。
運が良かったことに、学科の博士課程修了要件が国際誌のファースト1報で、博士1年でその要件を満たしていたので、留学しようと思っていた博士3年次には心置きなく留学でき、しかも留学先で卒業のための研究をする必要がない、という最高の状態でした。
ただ、アメリカに行きたい、特にバイオのスタートアップのメッカであるボストンに行きたい、と思ったものの、コネクションが全くありませんでした。そうなったらやれることは一つで、MITやHarvardの教授に直接メールです。その時、ラボをこんな感じで絞りました。
・自分の分野外の創薬に繋がる研究(合成生物学がベスト)
・教授がスタートアップをやっている
・分野でそこそこ知名度がありそう
・老化細胞の除去で計画書が書ける
5つのラボのPIにメールをして、2つのラボから面接させてもらえ、結局MITのラボとHarvardのラボ1つずつからきてもいいよーって言ってもらえました。ありがたいことに、MITのラボからは老化細胞の除去やりたいから一緒にやろう、と言ってもらえ即決しました。
MITのラボ(Collins Lab)で先ほどのようにいってくれたのはFelixというポスドクで、ちょうど老化に対する創薬、特に老化細胞をターゲットにやってみたいと思っていたときに、僕からのメールを教授から教えてもらったらしく、一緒にやろうとなったらしいです。こればっかりは運に恵まれたなー、行動して良かったなーって心底思います。
留学先が決まったら、次に必要なのは資金です。そこで日本学術振興会の若手海外挑戦プログラムに応募しました。年2回応募があり、採択率もかなり高めなので留学を考えている学生におすすめです。DC1ももらっていたので1ドル120円台だった当時で奨学金の合計が月3000ドルでした。学生にしては多いように感じるかもしれませんが、これは僕が出したJ1ビザが要求する最低賃金で、ギリギリでした。他にも奨学金はあるので留学しようとしている方はぜひ調べてみてください。
そして、2022年4月から留学しました。
異国の地で研究者として生きてみる
留学して一番痛感したのは、圧倒的な研究環境の差です。僕のいたBroad Instituteはめちゃめちゃ綺麗なのはもちろんありますが、それ以上に研究資金、材料や検体など日本と圧倒的な差を感じました。当時日本のラボではscRNA-seqを数回できるくらいで、それでも周りからはお金あっていいねーと言われていたのに、知り合いのラボでは毎日のように行っていて、ボストンで誰かがやってるのと同じ分野を日本で戦うのは不可能だなと思いました。アメリカに来て数日で、研究するならアメリカにいたいなというよりかいなきゃいけないなとも思いました。
そしてこっちに残るためには、どうにかして結果を出すしかない。そのためにはまず研究者として信頼を得ることが必要で、僕はこれには、人として信頼されることと、研究力が信頼されることの2つが必要だと思っていて、最初はこの2つをどう構築するかを結構真剣に考えていました。人として信頼されるのには、めっちゃ当たり前のことですが、以下のことに気をつけてました。
・遅刻しない
・言われたことはそのタイミングで理解する
・間違えた場合はすぐに伝える
・連絡はすぐ返す
ごくごく普通のことですが、意外とできてない人は多い気がしていて、わりと注意したほうがいいと思ってます。アメリカ人は時間にルーズという印象を持ってる人も多いかもしれないですが、能力の高い人間ほどそんなことはないな、という感じです。一回見限られるとおしまいだと思います。
そして、研究力はなかなかアピールするのは難しいので、どう自然と見せれるかを考えてました。個人的に俺すごいだろ的な人間が好きじゃないというのがあるのと、僕の周りのMITの人々がわりと謙遜するタイプの人だったのもあります。結局良い案があんまり浮かばなかったので、相手が考えそうなことは全て考え、その2つ先くらいまで実験系を考えておいてなんなら実行する、みたいなことをしてました。そんなに簡単なことではないので、この時期は寝てる時以外は本当に研究のことしか考えてませんでした。
地道な努力の結果、留学3ヶ月後くらいから自分のプロジェクトと関係のないポスドクの実験計画について相談を受けてディスカッションしたり、彼らの実験を手伝ったりというようになっていきました。半年後には教授から全く関係ないテーマだけどやってくんない?と言われ貝の神経毒の研究を並行して任せてもらえました。
自分のメインテーマである老化細胞の除去薬の研究は、ウェット(細胞とマウス)とドライ(機械学習)のどちらの知識も必要でした。修士課程で主に細胞とマウス実験、博士課程でscRNA-seq解析をやっていたので、これまで培ったスキルがバチバチに適合した気がします。留学前からどんな感じで研究していくかをFelixと擦り合わせていたのもあって好調に進み、留学して2ヶ月足らずで論文にまとめられるレベルになり、結果的に2023年5月にpublishされました。
自分の想像よりも留学での研究生活はいい感じであったものの、博士を卒業したらどうしようかー、というのは常に思ってました。
自分がやりたい研究ができるところ=アカデミア???
留学した段階で博士課程卒業後に行ける進路として、研究方面だと以下の4つの選択肢がありました。このうち日本に関しては確定で行けるところがある状態でした。
・日本の製薬企業の研究員
・日本の大学の助教
・アメリカの大学のポスドク
・アメリカのスタートアップの研究員
もちろん、各々僕にとってのメリットとデメリットがあります。
・日本の製薬企業:安定したいい給料だけど老化の研究はできない
・日本の大学:アカデミアのエリートコースに乗れて老化の研究ができるかもしれないが、給料と研究費は良くない
・アメリカの大学:アメリカで新しいキャリアを築けるがその先が結構タフ
・アメリカのスタートアップ:やりたいことがあえばめっちゃいいがビザの問題で雇われるのは難しい
老化の研究ではなく、そのソリューションを作りたいという観点から見た時、日本の所属していた研究室に戻るのは選択肢としてなしだなと思い、まあアメリカの大学かスタートアップに入れるように頑張って、無理なら全部諦めて日本で就職するかー、と思ってました。
アメリカの大学かスタートアップ、どっちを第一目標にしようかと考え、ラボのいろんな人に相談してみました。特にFelixからは最終的に教授になりたいかどうかだと思うよ、と言われ、これはめっちゃその通りだなと思いました。ちなみにアカデミアの給料が低いのは日本だけでなくアメリカも同じで、実際MITのラボの博士の学生は僕がいる間に5人卒業して、全員就職しました。アメリカでもアカデミアに残る人は多くはないと思います。
別にめっちゃ教授になりたいわけでもなく、ましてやアメリカのアカデミアで戦うのは結構大変なので、スタートアップを探す方向に決めました。ただ老化のスタートアップは多くはないのでまあ無理だろうな、現実的なところとしては今いるCollinsラボか老化の研究をやっているラボに行くことになりそうだなぁとは思ってました。ちなみにCollinsラボは老化の研究室でないので、今の研究を続けられるのかはわからない状態でした。
そんなこんなで9月ごろからスタートアップとラボ探しを始めました。そして始めて一週間後に、急にFelixに話したいことがあるんだけど、と呼び止められました。何かと思っていたら、「君と一緒にやってる老化細胞の創薬研究とかを含めて老化に対する創薬でスタートアップを立ち上げるつもりなんだけど、くる?」と聞かれました。僕の中では、立場がどうとかどこでやるかよりも、何がやれるかのほうが重要で、僕がやりたいことをそのままでき、なおかつスタートアップを知ろうと思ってアメリカにきたわけで、願ったり叶ったりの提案でした。断る理由なんかなく、即決でいくことを決めました。彼には、老化のスタートアップに行きたいことを言っていたので、なんでもやりたいことは口に出してみるもんだなーとほんとに思います。
そして日本で博士課程を修了して、今は主にアメリカ西海岸のベイエリアにあるIntegrated Biosciencesで研究を続けています。詳しくは書きませんが、これまでやってた老化細胞の除去薬の研究は引き続き行ってます。それ以外にもいろんな研究を自由にやりまくってます。
僕にとって自分のやりたい研究は、日本の企業やアカデミアにはなくて、アメリカのスタートアップにありました。あったというか、気がついたら自分のやりたい研究からスタートアップができていたという表現が正しいかもしれません。現状ではもし自分のやりたい研究が企業にあるならそっちに行ったほうがアカデミアに行くよりも幸せなんじゃないかなとは思います。よくアカデミアへの様々な不満を目にしますが、それは今に始まったとこではないのでわかった上で責任を持って選択すべきだし、僕は理学の研究者が一番好きで尊敬してるので彼らが頑張っている世界をネガキャンしないでほしいなぁって思ってます。
おわりに
最後まで読んでいただきありがとうございます!
今のスタートアップにいる理由がもう一つあります。それは、ここが僕の能力を一番評価してくれるところ、だったからです。これまでの経験から、人が最大限その能力を発揮できる環境は、その人が一番評価されているところだと思っていて、おそらくこれは間違っていないと思うし、のびのびできて精神的にもいいんじゃないかなと思ってます。
そしてこれまで一つの目標に向かって走ってきたわけですが、もちろんいろんな失敗もしました。わりと死にたくなるレベルまで落ち込んだこともあります。今ようやくその経験が全て生かされた感じがしていて、筋の通った努力は無駄になることは決してないんだなぁと実感してます。
そんな感じで、今はアメリカで頑張ろうと思ってるので、応援していただけると嬉しいです :)
今回はタイトルに沿った内容のみで書いてみましたが、修士・博士のどちらもで就活したり、国家公務員試験や宇宙飛行士試験を受けたりと、色々迷った時期ももちろんあります。またアメリカでの生活や留学、スタートアップについてなどについても、もし興味があれば投稿しようと思いますのでぜひ何かしらでコメントください!