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2023年参加ライブふりかえり

Fire Cracker株式会社というIT企業の代表の米澤です。

今、渋谷のドトールで執筆している。この後、渋谷クラブクアトロでyonigeのワンマンだ。クアトロに行くのはいつぶりだろう。たまたま隣のグループ客がこれから行くであろう別ライブの話をしてたりして。渋谷という街は様々なサブカルチャーが詰まってる中でも「音楽」が色濃いんだなと実感する。

明日から COUNTDOWN JAPAN 23/24(略称:CDJ)の12/30・12/31の公演に参戦するため札幌から千葉へ前乗りしている。CDJ自体は14/15の頃から来ていて今年で5回目。年越しの瞬間は愛してやまないELLEGARDENの公演中だ。今回、CDJのチケット自体がレアだったのだが(なんと2ヶ月前にSOLD!)、エルレの前方エリアも運良く抽選で取ることができた。しかも4列目ど真ん中。今年のエルレのアルバムツアーのチケットは外れてしまったので、その代わりとして運が巡ってきたのかもしれない。おかげさまで2024年を迎える瞬間は記憶に残る体験ができそう。そこで自分の奥底にある感情に気づいて何かを持ち帰ることができたら、と思う。

2023年参加ライブ一覧

2023年参加ライブ

スピッツのライブ

今年、自分はスピッツを5回観た(札幌→帯広→豊洲PIT→沖縄2days)。初めてスピッツをライブで観たのが2011年。ここに来て年間最多を更新。「今のスピッツ」が過去一番好きなのは事実なのだけど、そういう「他人」を評価するベクトルではなく、今「自分」がスピッツを過去一好きだと言い切れることが誇らしく思える。「今が最強」「これからも続けていく」をバンド活動を通して体現しているスピッツという存在に自分は強く影響されている。彼らほどではないにしても、自分なりの過去最高を更新していきたいと願っている。更新し続けていけば、いつも見ている景色ではなく新しい景色を見れる日が来ると信じている。

スピッツについて余談。6年前のまだ会社員だった時の話。当時50歳だったスピッツが30周年ライブの1曲目に「醒めない」を演った事実。30年間走り続けて50歳になっても「まだまだ醒めない」とファンの前で言い切る。50歳になっても人は輝けると信じさせてくれる。その事実が底に沈みかける自分を何度でも引き上げてくれる。新卒のとき35歳の先輩に言われた「35になったらもう終わりだよ。」という呪いの言葉を消し去ってくれる。今年35歳を越えたけども、全然終わりなんかではなくむしろ始まり。ここから人生後半戦だなという実感がある。

なぜかこの日はふだん絶対に飲まないカルピスを買った。
今後カルピスを飲んだらスピッツを思い出すかもしれない。

スピッツ沖縄公演Day2の開演前の写真から。12月の沖縄は最高の空気だった。Day2ではEN1曲目で自分が十数年ずっとライブで聴きたいと思っていた曲を初めて聴くことができた。2023年、5本指に入る思い出の瞬間。人生、本当の最期には思い出しか残らないと思っているがその中の一つになった。着ているグッズの1987→はスピッツの「1987→」という曲が由来。彼らが1987年結成というものから来ている。偶然にも自分は1987生まれでスピッツとは同い年なことも影響されてる理由の一つかもしれない。

その他、特筆したいスピッツのライブがたくさんある。

札幌公演会場のhitaruは初めて行く会場。音響の良さが有名で、ライブバンドの中でも抜群に音が良いスピッツとの相性が最高だった。まるでレコーディングスタジオで聴いているような感覚で、弦とピックが擦れるニュアンスまで聴き取れた。

帯広公演はスピッツと不思議な縁があることもあって、公演中も公演後もずっとエモーショナルな雰囲気だったと思う。縁というのは帯広が舞台のNHK朝ドラ「なつぞら」(2019年)のテーマ曲がスピッツの「優しいあの子」という曲。実はこの曲は作詞作曲の草野マサムネが実際に十勝へ降り立ち景色を見ている中で浮かんできた曲だそう。その他、WOWOWでは帯広収録のライブ映像番組が組まれたりして、地元民以外にも全国から熱烈なファンが集まる公演となった(関東圏のホール公演が争奪戦になったこともあると思うが)。

帯広の「北の屋台」にてスピッツコラボイベント

終演後は「北の屋台」にてスピッツとのコラボイベントが開催中だった。居酒屋の店内でかかっている有線は全てスピッツ縛り。終演後の体験としてはこれまで経験したことのない時間だった。似たような構成のライブ後の取り組みはもっと増えてもいいと個人的に思う。

豊洲サンセット(豊洲PITで行われるスピッツ主催の対バンイベント)は「ライブハウスってやっぱりいいよな!」と思える体験自体に満足していたのに、この後さらにスピッツが演奏するという贅沢な体験だった。余談だが豊洲PITはライブハウスの中で自分は一番好きなハコである。

その他のライブ

好きなバンドがすっかり固定化されていってる中でも、羊文学というバンドを好きになれたのは大きかった。

最近、ビジネス・メディア・書籍からよりも、ライブ体験やアーティストのMCから気づきを得ることがずっと増えてきたように感じる。

フォーリミ15周年の武道館では「続けて15年だけど…嫌なやつは全部消えていったね。」と言い放っていた。一見、乱暴な言葉に聞こえるがこれは「嫌なやつが、フォーリミの前から消えた」ということではなく、彼らが何年も突き進んできた結果、「嫌なやつが周りにいない高み」にまで来たんだな、と解釈した。だからもし、嫌なやつがいると感じる時は、他人のせいにするのではなく、自分が在るべきところまで進めてないと捉えるべきだと思う。

クリープハイプのFCライブではVo.尾崎世界観から「観客動員数が増えるたびに、孤独感は強まっていっている。」という逆説的な言葉を聞いた。自分も孤独を埋めるために対等に話し合える仲間がほしいという欲求があったが、もしかしたらその先に孤独の解消はないのかもしれない。そもそも(尾崎世界観と同じくw)性格の悪い自分は対等な人間関係を築きたいのだろうか?今までをふりかえってみても、自分がワガママを押し通して、そんな自分に合わせてくれる「イイヤツ」がついてきてくれる、みたいな構図だった気がする。クリープハイプのバンドメンバーを見てもそんな感じだ。そんなイイヤツな人たちに恩返しできるよう、引っ張っていけるよう、自分が率先して未来の孤独を受け入れて成長しよう、もっともっと突き進んでいこう、という覚悟ができた瞬間だった。

ELLEGARDENのアリーナツアーはSummer Partyのというツアータイトルなだけあって祝祭感に溢れていた。Vo.細美武士が50歳になり集大成のツアーにするとのことだったがその気迫が存分に伝わってきた。自分は札幌公演の参戦だったが千葉公演では「しぬまでにもう一度ZOZOマリンでやろう」と言っていたらしい。そのときは千葉に行けたらなと思う。1万人近く集めた中で「お前たちはどこまでいってもマイノリティ(だから俺たちと一蓮托生だ)」と言い切っていた。このとき、まるで自分の病名不明の症状に対して病名が宣告されたような気持ちで、腑に落ちた感覚が残ってる。やはり自分たちはマイノリティなのだ。ファン層に対する属性理解が深いから、研ぎ澄ました言葉を相手に刺していけるのだろう。マイノリティがゆえに細美武士が考える「教室の隅にいるような奴らだけをたくさん集めたら面白いことができる」という発想は自分のチーム作りでもヒントにしている。同じ音を好む人に同じような人が集まるという人間の習性は本当に不思議である。(もし神様に会えるなら、まずこのことを聞いてみたい。)

最後に。仲間を募集しています。

2024年はより「仲間との深い音楽体験」を大事にしていきたい。いまのところGWの時期に道外のフェス、秋頃には海外フェスに行きたいと考えている。

今までが人生の前半戦だとしたら、自分の中に音楽の燃料みたいなものはたくさん残ってるのに、ぜんぜん燃やしきれなかった感覚がある。ということは、人生後半戦でまだまだ燃やしていけるということ。もしかしたら死ぬまでずっと燃やしていけるテーマなのかもしれない。

なので「音楽が好き」「昔から仲良くなるやつ、音楽好きばっかりだな」「なんか生きづらいな」なんて思っている人と少しでいいから話をしたい。自分はIT企業をやっているが、ITの経験なんか要らない。音楽好きという気持ちだけを持って以下のnoteを読んでDMしてほしい。

「ユメで見たあの場所に立つ日まで 削れて減りながら進む あくまでも」(スピッツ「夢追い虫」からの引用)。

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