3.息の「流れ」と質
(旧サイトの「オンラインレッスン」記事のアーカイブです。2017-02-09の記事。)
ここでは、”Song and Wind”の、”Wind”の部分について詳しくみていきましょう。
Windという言葉は、日本語では「風」と訳されますが、それは「空気が動いている状態」を指しています。単に空気それ自体ではなく、動いている空気、のことです。
そしてこれはトランペットの文脈で言えば、「息の流れ」になります。
「息の流れ」は、音を出すことに非常に大きな役割を持っています。
唇があっても、楽器があっても、息の流れがなければ、音は絶対に出ることがありません(楽器をぶつけた音は出ますが…)。
息の流れが、唇の振動を生み、そして楽器の共鳴へ、すなわちトランペットの音へとつながります。
■息の「流れ」とは?
息の「流れ」とここで呼んでいるものは、次のような比較から理解できるのではないかと思います。
以下の動画では、スピロメーターという器具を使いながらデモンストレーションしています。
この器具には白いボールが入っており、空気が流れていると(動いていると)ボールが上がるようになっています。
1.息の流れが充分にある場合(ボールが上がっている)
(動画はiPhoneで作成した簡易版で申し訳ありません…ちょっとわかりにくいかもしれませんが…)
2.息は出しているが、流れは不足している場合(息は吐いているがボールは上がっていない)
1.では、音がのびやかであり、身体も楽であるのに対し、
2.では、音が詰まり気味になったり出にくくなったり、身体も必要以上に酷使されたりしてしまいます。2.では、「ウッ」となっているのも見受けられると思います。
このように、この動画の中でボールが上がっているような状態を、私は息の「流れ」のある状態と呼び、ボールの上がっていない状態(息は吐いているが近くで停滞している)を、息の「流れ」のない・不足した状態、と呼んでいます。そしてその状態の違いが、音や身体に影響しています。
息の「流れ」をいくつかの言葉で表現するならば、
・遠くまで動きのある空気(近くで停滞している空気、の逆)
・フリーな息の動き
・息の動きの自由さ
などとなります。
■息の流れの”質”の違い
では次に、「息の流れ」の「質」の違いについて、比較しながら理解を深めていきたいと思います。同じくボールは上がっている状態の中にも質の違いがあり、そのことについて。
1.息を「リリース」し、スムーズで・フリーで・ストレスがなく、その結果、自然に安定して均一な息の動き(と、その息による、楽器のもつ響きを発揮した音)。
2.息を「押し込む」ようで、力任せなストレスがあり、その結果、不安定で不均一な息の動き。また、安定させるようとするためには無理にさらに余計な力みを加えなければならない息の動き(と、その息による、楽器の持つ響きの減ぜられた音)。
このように、同じくボールが上がっている状態でも、使われている息の質には違いがあります。
表現と技術的可能性が広く、同時に効率性の高いトランペットの演奏に求められるのは、1のような息の流れであると私は考えます。
一方、2のような息は、表現と技術的可能性にどこかの段階で制限を作ってしまい、同時に、身体にも負担をかける吹き方となってしまうと言えます。
■息の流れの質と呼吸の関係
それでは、それぞれの息の流れができる時、呼吸はどのようになっているでしょうか。
1.のような息の流れの時には、身体は、息を吸っている時も吐いている時も柔軟です。喉は(作為的に開こうとする必要もなく)自然に開いた状態で、身体全体の筋肉は柔軟なまま使われています。
2.のような息の流れの時には、身体は固まる傾向にあります。喉は締まり気味になり、身体全体(特に上半身や腹部)の筋肉は硬く使われ、その結果、硬直や震えとなることもあります。2の右の動画でも、「ウッ」となっていることがわかると思います。
このように、息の流れの質と、身体の状態とは、セットで成り立つものであろうと思います。
■息と身体の順序
ここで注意したいことは、物事の順序です。
呼吸と身体の関係には、どちらが先でどちらが結果的に表れるものか、の点で、2つの順序の考え方があります。
A.身体の状態を作る → 息の状態が決まる
(身体を○○すれば、息が△△になる)
B.息の状態を作る → 身体の状態が決まる
(息の状態を○○にすれば、身体の状態はそれに合ったものになる)
私は、ここまでの記述の通り、Bのように、息の流れの状態に伴って身体の状態がセットになっている、という順序で考えるべきだと思います。
それとは逆に、Aのように、身体の状態を決めれば息の流れの状態が決まる、という順序では、どこかうまく機能しないことが出てくるでしょう。
なぜなら、身体の筋肉の動きは、息の流れと無関係でもそれらしく動かすことができてしまうからです。例えば、「腹部の○○筋を△△の状態にすれば、息が□□の状態になる」というのは、実は、必ずしも成り立たないのです。
次の動画でそのことを示しています。
まずブリージングバッグを使い実際に空気が出入りしていることを示しています。そのまま、ブリージングバッグを外して息を出し入れしています。その次に、口からも鼻からも息を出したり吐いたり一切せずに、見た目の身体の動きが同じになるように、身体だけを動かしています。
つまり、息の動きとは全く無関係に、息を出し入れしている時と同じような身体の動きだけを作ることができてしまうのです。息は全く動かさずに、お腹を出したり引っ込めたり、胸を上げたり下げたり、お腹のある筋肉に力を入れたり、そういったことはいくらでもできてしまうのです。
Arnold Jacobs はこのようなことを「偽拡張(pseudo-expansion)」と呼びました。
身体の外で起きている息の流れとは全く無関係に、身体の形状の変化はいくらでも起こせてしまい、息と無関係にいくらでもお腹の筋肉に力を入れることはできてしまうのです。「この筋肉をこう使った」というのと、「実際にどんな息が使われているか」は、無関係であることがあるのです。従って、「ここをこう動かしたから/この筋肉に力を入れたから」、「こういう息が出る」とは言えないのです。
言い換えれば、身体の形状の変化や筋肉の動かし方そのものは、良い息の流れを作ることができているかどうかの判断基準にはできない、のです。
筋肉の動かし方を先に決めつけるのではなく、息の流れの状態を良いものにしようとしていくことによって、(基本的なリラックスの概念があれば)自ずと身体の使われ方は過不足ない状態になっていくでしょう。
より詳しく・・・
■息が唇を振動させる
音が発生するためには、振動体が存在しそれが振動する必要がありますが、金管楽器の場合、それは自分の唇であることはご存知の通りだと思います。
ここで正確に認識しておくべきことは、唇それ自体では振動できないということです。自分自身では振動できない。
唇は、いつも、振動させ「られる」存在でしかありません。何によって振動させられるかと言えば、それはもちろん、息です。
この部分が誤って認識されてしまうと、つまり、唇それ自体が振動できるかのように誤って認識してしまうと、それはどこかで技術上の限界を招く原因となる可能性があるでしょう。
例えば、唇自体を操作して音の高さを変える(振動数を変化させる)ようになってしまい、高音に行くにつれて唇を締め付けたり、あるいは逆に横に引っ張ったりしてしまいます。これらの方法では、ある音の高さに至ると唇自体の変形が限界を迎えて唇の振動が止まってしまうことになり、それ以上の音域は不可能となってしまいますし、音域によって音質が著しく変わってしまうことにもなってしまいます。また、唇に本来必要以上に負担をかける吹き方をするようになり、持久力に問題を抱えるようになることもあります。他にも唇に関係する様々な問題を生じる原因が、この部分の認識の誤りであることがあります。
唇は振動体であるものの、いつも息によって振動させ「られる」存在である、ということを正確に認識しておくことが必要です。
■息の状態によって唇の状態は自然に・大いに変わる
音は唇の振動の状態によって変化するわけですが、唇の状態は、大いに、息の状態に依存しています。言い換えれば、息の状態によって唇の状態は自然に・大いに変わります。息の状態に合わせて、唇の状態は形成されていきます。
金管楽器奏者の多くは、「アンブシュア」という言葉が好きで、それは多くの場合、唇のことを指して使われています。唇の事に関してはどれだけの人がどれだけの言葉を使い、どれだけの説明がこれまでになされてきたことでしょうか。それは実に膨大であろうと思います。
しかしながら、私の意見は、実際はそれほど唇に関する言及は必要ないはずだ、というものです。
唇の状態は、息の状態にかなり影響されていて、おそらく、大多数の人にとっては、思い込んでいる以上に、唇の操作は要らない、であろうと思われます。言い換えれば、思い込んでいる以上に、息の状態が良ければ良いほど、唇がしなくてはならない操作など、ほとんど要らなくなるものです。さらに言えば、唇の操作に頼るがあまりに、できるはずのことを自らできなくしている場合も多いのではないでしょうか。
もし唇の事で悩んでいたら、それは唇自体が原因なのではなく、息に解決の糸口があることを疑う価値は充分にあると思われます。
思っているよりはるかに、息にできることの割合は大きく、その分、唇がしなければならないことは実は少ないと思われます。
■息に関することば:息の「流れ」?「圧力」?「量」?…??………..???
息については、様々な言葉が説明に使われています。息の「流れ」「圧力」「量」「強さ」「圧縮」「太さ」「厚さ」「あたたかい息・冷たい息」……などなど。実に様々。そしてこれらは奏者の混乱を招いているとさえ言えるかもしれません。
これらの言葉は、私の意見では、どれでも良いものです。逆に言えば、どの言葉も、精確に息の状態を表現することには成功していないでしょうし、それはそもそも不可能なことでしょう。
言葉そのものが重要なのではなく、(指導者ではなく)演奏者にとっては、自分自身の演奏が向上する・助けとなる言葉を採用すればそれで良く、それ以上のことはありません。
大事なことは、言葉そのものではなくて、良い息の「状態」を知ろうとすることです。どのような息の「状態」であれば、良い音が出て、無理がなくて、技術的限界を作らなくて、唇が楽で、自分の出したい音が出るのか、それを知ろうとする事、様々に試してみる事、です。
私のこれまでの経験では、多くの生徒は、教わった時の言葉に頼り、ただ言われた通りにしようとし、それだけで終わり、自分の感覚で繊細に息の良い状態を見つけていくという作業をしません。ですから、どんな人にどのような言葉を尽くして息のことを説明してもらっても、結局何もつかめないまま終わってしまいます。言葉そのものに縛られてしまうことと、言葉をヒントとしながら「良い状態」を自分の感覚で見つけていこうとする過程とは、全く異なるものです。
まずは言葉を脇に置いて、息の状態の違いに気づけるようになること、そしてどのような息の状態が演奏に適しているのかを見つけていくこと、これらの観察が必要であって、そしてその良い息の状態を自分はどのような言葉で表現するか、それは自分の言葉があれば良いと私は思います。
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