都市の風景と日本庭園
2024年5月10日、5月というのに平野部で気温が一桁台に冷え込んだ朝、この写真を撮った。
「旧秀隣寺庭園」琵琶湖の西岸、滋賀県高島市にある16世紀につくられた日本庭園
昇ったばかりの朝日が、苔むした石組みを照らし始めていた。
この日、夕方までこの庭園を撮った後、すぐに東京に戻り、翌週から東京・麻布に誕生した大規模複合施設「麻布台ヒルズ」の撮影にとりかかった。
私は今、日本庭園の雑誌と建築の雑誌、それぞれに連載を持っている。
学生の時から都市・東京の風景を撮っているので、建築雑誌の仕事は、写真家として自然と選んだ。
私の場合、「建築が撮りたい」というより「建築がつくる風景を撮りたい」と言ったほうが近いだろう。
なぜ日本庭園を撮っているのか。
「日本庭園」という言葉からは、「龍安寺」の枯山水庭園など歴史的に有名な名勝庭園が思い浮かぶが、日本庭園に共通するのは、自然の景色、たとえば海や山を「見立て」として用いて、縮図のように創り出された風景・景観だということ。
(「見立て」るのは神話や故事中、浄土と呼ばれる来世の景色だったりもするが、大元は自然の景色)
建築でも「見立て」いわゆる「メタファー」が創作の源になることは多く、人によってつくられた建築が集まる都市の風景と日本庭園は、「人がつくった」風景・景色という点で通じるものがあると私は感じている。
「人がつくった景色」にどうして惹かれるのか、明快に言語化出来ずにいるが、その風景をつくった人、そこに暮らす人々、その風景に関わる「人」に私は興味があるのだと思う。
「麻布台ヒルズ」の東京メトロ日比谷線・神谷町駅前の「ガーデンプラザ」と呼ばれる低層部は、トーマス・ヘザウィック氏による独特なデザインだ。
斬新な曲面の建築を屋上に配した植物が覆う様は、日本庭園の苔生した石組みを彷彿させる。人は自然とのつながりを本能的に求めるという「バイオフィリア」の概念を強く意識するトーマス・ヘザウィック・スタジオ。彼らのクリエイションは日本庭園に通じるところがある。
山奥の渓流沿いの苔生した岩、あるいは苔が配された日本庭園をモチーフにしたのだろうか・・、偶然そう見えるだけかもしれないが、その姿・風景を人が美しいと感じるのは、古今東西、変わらないのだと思う。