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日々の追想 3

 残された時間

 夫が会社を定年退職すれば、私にも老後の生活が始まると思っていた。
 若いときには、老後になれば、時間に追われることなく自分のペースで生活できるようになると思っていた。
 たしかに、夫の出勤にあわせて私の時間をやりくりする必要はなくなった。しかし、長男と二女は社会人になっても実家暮らしなので、結局長男と二女の出勤には私の時間を合わせなくてはならないのである。ちなみに長女は実家を出て一人暮らしをしている。
 もう社会人なのだから、自分の食事は自分で用意して、と丸投げしてもいいのだろうが、我が家のキッチンは大人が複数人で作業をするには狭すぎる。私と長男と二女が入れ替わり立ち替わりシンクやコンロを使ってそれぞれ作業をすれば、かえって滞ってしまうことは目に見えている。よって、今まで通り私が食事の支度をする。洗濯も、洗濯機は一台しかないから同居家族の洗濯は一緒にする。
 夫が定年退職してかわったことは、夫が常に家にいるようになったということだけである。
 でもそのおかげで、ある程度は家事を分担してくれるので、それは助かっている。
 自分のペースで生活できない理由は、もうひとつある。
 実家の母親の介助である。
 母親は今年満86歳、一匹の黒柴犬と暮らしている。
 母親は若い時から病気のデパートみたいな人で、現在、内科と整形外科と皮膚科と耳鼻科と眼科と歯科に定期的に通っている。ほかに、大学病院の血液内科と消化器内科にも通っている。どこへも送迎が必要である。犬も、母親が散歩させることはもうできないので、私が連れていく。獣医にも私が連れて行かなければならない。
 還暦を過ぎ、夫がリタイアしたといっても、第二の人生などではない。
 そして思った。この先自分本位に時間が使えるようになることはないのではないか、と。だとすれば、今の状態で、さらに時間をうまく使う工夫をしなければならない。
 それで、ある日の夕食時、私は家族に宣言した。
 これからは、時間をやりくりして今までやりたかったけれどできなかったことをする、と。手始めに、今まで見たくても見逃してきたドラマや映画やアニメーションを一日に一話ずつでも見ようと思う、と。今までは時間が細切れでしかなかったから、落ち着いて映像作品を見ることなど滅多になかったのである。
 だが、それをきいていた二女が、冷静に言った。
 「一日一話だなんて、死ぬまでに間に合わないよ。ドラマだってアニメだって、それぞれ何話あると思ってるの?」
 死ぬまでに間に合わない。
 その通りだった。今まで、いつか暇になったら見たいと思っていた、往年の名作も衝撃の問題作も話題の新作も、全部見るなんてことは無理だろう。
 さらには家にある大量の、読みたいと思いながらまだ読んでいない本や、洋服を縫いたいと思いながらまだ裁断もしていない布地や、セーターを編みたいと思いながらまだゲージも取っていない毛糸など、など、など・・・
 さらには、書きたいと頭の中でテーマをあたためている文章作品を、かたちにすることも。
 今年62歳の私が平均寿命まで生きられたとしても、それらをすべてやり終えることはできないのではないだろうか・・・
 若い頃には、漠然とイメージしていた老後だが、今還暦を過ぎて、自分のやりたいことをすべてやり終えられるだけの時間は、たぶん、残されてはいないのだろう。
 だとしたら、やりたいことやるべきことの優先順位を考えていかなければならない。
 家族のことも実家の母親のことも、何かを大きく変えるつもりはないけれど、残された時間は多くはないということを肝に銘じて、心して生きて行こうと思う。
 
 
 

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