鏡台の椅子
ある朝突然、鏡台の椅子が壊れた。
いや、突然ではない。どれくらい前からか、座るとぐらぐらと揺れたり、ぎしぎしと音をたてたりしていた。でも毎朝、最低限の身づくろいをするだけでも気が気でないくらい忙しく、これくらい大したことはないだろうと思い込もうとしたり、そのうち時間ができたら、椅子をひっくり返して見てみようと考えたり、気がかりの解消を先延ばしにしてきたのだった。
その朝、座った途端にがたんと椅子は大きな音とともに崩れるように壊れた。
だからといって、いつもと同じく忙しい朝、ばらばらになった椅子を調べている暇も、まして修理をしている時間もない。
その日は中腰の姿勢で身づくろいをした。そしてとりあえず壊れてばらばらになった椅子をひとまとめにして、物置きにしまい込み、幼い子どもたちが踏み台に使っていたステップを代用品にすることにした。
そのまま代用品を使い続けていた。
忙しい毎日。専業主婦の毎日。自由な時間はたっぷりありそうだけれど、実はそれほどでもない。家族のこと、家事のこと、子どもたちの幼稚園のこと学校のこと、近所のこと、実家のこと。ひとつひとつは大きな問題ではなさそうなのに、終わりのないさまざまな問題にいつも追われている。
自分のことは、後回しにできそうなことなら後回し、後で、そのうちに、時間ができたら……
鏡台にしても、毎朝日焼け止めを塗る程度がせいいっぱい、鏡だってろくに見ていない。椅子など代用品でことは足りる。
それでもなぜ、壊れた鏡台の椅子を物置きにしまいこんだのか。捨ててしまわなかったのか。
夫がきいたら笑うだろう。馬鹿馬鹿しいと言うだろう。
鏡台の椅子を捨てられなかったのは、昔雑誌か何かで読んだ、嫁入り道具の中で一番大事なものは鏡台、という一節が頭に残っていたせいだろう。鏡台には花嫁の魂が宿っているのだという、どこの地方のものだかも定かではない言い伝えのせいだった。
鏡台が壊れてしまったら、たとえ椅子であっても壊れてしまったら、結婚生活そのものが壊れてしまうと思ったのだろう。
夫は数年前、よその女と深い関係になった。その当時には修羅場もあった。離婚しなかったのは、幼い子どもたちに離婚しないでほしいと泣かれたからだった。夫も、家庭を壊す気はないと言った。
家庭という枠組みは残ったが、魂はどうだっただろう? それを確かめることはしなかった。
何となく離婚を回避し、それ以後そのことには触れずに時間は過ぎた。離婚しなかったからには、結婚生活を全うしようと思っていた。
忘れることはないが、忘れたふりをしてきた。
だから鏡台の椅子が壊れたとき、これを修理して、もう一度鏡台の前で座れるようにしなければならない、そうでなければ結婚生活は壊れてしまうと思い込んだのだろうか。
それから何年かが経った。
子どもたちは成長した。
思いついて物置きの中を整理しようとしたとき、ひとまとめにされた鏡台の椅子を見つけた。それまででも、物置きの戸を開けたときに目にしていたが、視線は素通りしていた。
嫁入り道具の中で一番大事なもの、花嫁の魂の宿るもの。もはや花嫁などという呼称もふさわしくないような年齢だったが、その時ふと、今、修理しようと思った。
物置きからばらばらになった鏡台の椅子を持ち出し、床に並べてみた。
そして、愕然とした。
ちょっと壊れただけだと思っていた。壊れた個所を接着剤でくっつけたり、せいぜい小さな板切れでも打ち付けて補強してやれば、また座ることができるだろうと思っていたのだ。
だが、取り出したそれは、背もたれの中央の、いちばん重要な支柱ともいうべき部品が、ばっくり折れていた。
接着剤などではとても修理できない、板切れを打ち付けたところで、その場しのぎにしかならず、椅子そのものの木枠から作り直さなければ、元の椅子と同じ姿、同じ強度にはならないような壊れ方だった。
もう、捨てよう。
そう、思った。
もとにはもどらないのだ。壊れた椅子も、壊れた魂も。
壊れてばらばらになった、椅子だったもののひとつひとつをそっと手で撫でた。
明日、鏡台のために新しい椅子を買おうと思った。
夕暮れが近かった。
(了)