食えない役者を救うべきか

「役者が食えない」について。

最近、最低賃金と照らして役者がいかに食えていないかという検証をしているブログを拝見しましたが、演劇を労働と同列に語ることは難しいと思います。なぜなら誰に頼まれたことでもなく自分が好きでやっていることは、どれだけ時間を費やしたとしても買い手がつかない限りは対価を受け取ることはできないからです。
例えば売れない絵描きがいたとして、「この絵を描くのに100時間もかかったのに買い手がつかないから最低賃金ももらえていない」と嘆いていてもきっと誰も相手にしないでしょう。
つまり役者が食えていない状態というのは、自分自身に買い手がついていない(もしくは法外に安く買い叩かれている)状態のことを指しているのであって、それは誰にも責任を負わせることができません。
食えないならば、自分が欲しいだけギャラを請求すればいいだけのことであって、あとは請求された方で「どうしてもこの役者にやってもらわないと困るから払おう」とか、「これだけギャラを払うなら、他の役者を使おう」とか判断するだけです。
「役者が食えないから何とかしよう」という話は100万回くらい議論されていますが、それはまるで「一握りのYoutuberしか食えていない。このままでは才能のあるYoutuberが食えないという理由で配信を辞めてしまう。何とかしよう」と議論しているようなものだと私は思います。
役者は誰に頼まれて舞台に立っているわけでもなく、自分で好きに舞台に立っているわけですから、別に食えなくたって誰にも文句は言えません。これは絵描きが自分の意志で好きな絵を描いている状態と同じだからです。

ただし!!これは役者が自分で「俺は好きでやってるんだ」と言う場合に限ることであって、他人が「君は好きでやってるんだから―」と言うと話はガラッと変わります。
具体的に言うと舞台の企画者に「この役をあなたにやってほしい」とお願いされた時、役者が芝居はすることは一種の労働になります。労働にはそれに見合った対価が必要なので「無償で」というのはちょっと筋が通らない。絵描きに対して「壁に飾る絵を描いて下さい。タダで。」とお願いする人と同じです(実際いるみたいですが)。
もっとひどい時には「あなたにぜひこの役を演じてほしいんです」と言いながら「チケットノルマとして〇〇万円払って下さい」というのもザラにあります。しかも社会通念に照らせばチケットノルマとして役者に製作費を負担させて芝居を作るならば、負担に応じて相応の権利が生じてしかるべきですが、悲しいかな役者に順当な株主権が与えられることはなく、いつも一番弱い立場に立たされるのです。

チケットノルマとは簡単に言うと「お前(役者)が潰れても、俺(運営)だけは生き残るぞ」というシステムです。これは「あなたの俳句はとてもすばらしいからぜひ出版したい。そのための費用〇〇万円払って下さい」と言ってお年寄りからお金を巻き上げる「自費出版商法」と全く同じ構造だと私は断言します。

しかし、よくよく考えてみると本人が好きでお金を負担し、それで満足しているならば何の問題もないとも言えます。
草野球チームの選手たちは自分たちでお金を出し合ってグラウンドを借りたりユニフォームを作ったりして楽しく野球をしています。決して「プロ野球選手は二軍でも最低440万円以上もらっているというのに、なんで俺たちは逆に費用を負担してるんだろう」と疑問を抱くことはありません。まして「ずっと草野球チームでプレーしてきたけど、いつまでたっても野球じゃ食えないからもう辞める」と言う選手もあまり実例がない気がします。でも役者だけが費用を自費で負担することに疑問を抱いているのです。Youtuberでさえそんなことをぼやかないのに。
なぜそんなことが起こるかというと、それは日本の小劇場界隈は、プロとアマチュアの線引きが曖昧だからです。この件に関しては別項に書きましたのでご興味のある方はお読み下さい。
https://note.mu/satoshikusaka/n/n91ed263a66d6

私はプロとアマチュアの境界線が曖昧なのは別に構わないと思いますが、アマチュアがアマチュアとして純粋に演劇を楽しめる土壌はもっと充実するべきだと思います。そうなれば、広い意味で演劇の裾野は広がり、演劇人口も増えると思います。社会人劇団や、スポーツでいうところの実業団みたいな劇団がたくさんできたら素敵だと思います。



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