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ラーメン凪 創業記 第8章:第3の男、現る。開業へ加速!

ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまでの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから

試作の日々

コメント 2021-05-25 115946

そろそろお店を開店したところの話にならないと読者から叱られそうな雰囲気を感じましてので、今から特急で話を進めていきます

出張ラーメンやゴールデン街などでラーメンづくりを学び、日々着実にお客様の数も伸びていきました。
ゴールデン街という奇特な立地(いまはいい感じですが、当時はまだ暗い、怖い、など良いイメージはありませんでした。インバウンドの外国人の方もいません)の中で火曜日限定ってことで、店を続け最初は友達に支えられた感しかありません。

しかし、味の改善をブログやmixiでアップすると瞬く間に広がっていき、年末には50人を超えて(売上10万円)数字は伸びていきました。ゴールデン街の間借り営業では沢山のラーメンをつくりました。

まずはコピーから入りました。
あるラーメン雑誌を読んでそのレシピ丸パク。でも、レシピ通りにつくってもぜんぜん美味くないわけです。
おかしいなーと「その本のレシピ通りつくったのだけどうまくいかないんですが?」と質問の手紙を書いたほどです。(誰もが知っている有名店ですが。。。ま、いちいち返事しないですよね。得体のしれない人からいきなり来ても。。)
いろんなラーメンを食べては作り、試行錯誤を繰り返します。

ブランド鶏が良いと聞けばそれを仕入れ、さらに美味しくなると聞けば。。この時の体験がいまにも沢山活きていますが、
一つ大きな教訓は「アパートでのラーメン試作はやってはいけない」ということです。

まず骨の仕入れです。
これ近所迷惑極まりない。豚の頭30キロとか注文すると翌日の朝5時ごろに自宅(当時新宿上落合のボロボロアパート2階)の玄関先に豚の頭がてんこ盛りで置いてあるのです。目がギロギロしています。しかも配達の時に血が滴り落ちて。。
それをみた近隣の人はめちゃくちゃ驚いたでしょう。(後に引っ越してきた人からストーカー行為を(好意)を受けるに至りました。。。反省)

そしてスープの炊き上げですが、なんと8畳の部屋のキッチンでした。
畳と古めかしい天井には水蒸気によって溢れた水滴が室内をボコボコにしていきます。湿気で中から部屋が壊れるのを感じました。

最後にゴミです。大量のゴミ、豚の骨など水分を含むので相当な重さになります。それが集合ゴミ捨て場にあるのですから、ゴミ回収車が不審がって保健所に連絡されたり苦労しました。

今だからいえますが、当然開業届なんて出していませんし、試作の延長だったので、必死に誤魔化しました。(ネットでの活動が広がるにつれてそれも苦しくなりましたが)

とにかく自宅での試作は、ほんんと試作程度に留めておくことを強くおすすめします!

第3の男、西尾との出会い

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そんな中ある知り合いから結婚式でラーメンを作って欲しいとお願いされて作ってきました。小さい容器で提供しましたが、大盛況。
「やっぱりラーメンの力ってすごいなー」なんて話しながら、夏山さんと車で帰りながら、ふとこんなにお客様が増えてきているのに、一緒にやりたいって人いないなーと。

そして12月のある日、当時食べ歩きの仲間として麺屋武蔵で店長をしていた西尾さんから話があると。
聞いてみると、「一緒に起業させてくれと。雇われではなく経営を一緒にしてみたい」と。西尾さんとの出会いは会社をやめてからいろんな飲み会に行った時に知り合いました。

当時、麺屋武蔵は注目度も高く、武蔵の店長っていうだけで憧れがあるような感じでした。その西尾さんが場末のバーで怪しい営業をしている僕らと一緒にやりたいなどこれまた夢のような話でしたが、面白そうなのでオッケーをして加わってもらいました。

今思うとまさにこれが一つのターニングポイントと言えました。
僕は一蘭時代に叩き込まれたブランディングや運営、経営に関すること。
夏山さんは新宿界隈の顔の広さ。
西尾さんは料理に関する知識の深さや、課題に対する実現力。
この3つが見事に重なって、”今”があると思います。そんな出会いでもありました。

ラーメントライアウト優勝~渋谷で開業へ

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2006年初旬
立川ラーメンスクエアのイベントで優勝者が出店できるというものがありました。なんとそこで30組の中から勝ち上がり、優勝してしまいました。
作ったラーメンは金の丼で豚骨ラーメンとスープの中にご飯を溶かし込んだちょっと変わったものでした。それにいまではよくある中華まんをつけて出すスタイル。説明書きなどをつけ、楽しく食べてもらえるなどの総合的な評価もあり優勝しました。

そこで2006年11月の立川出店権利を獲得。
ただ、1号店は路面店でやりたいとこだわりを持っていました。
そんなこんなで当初決めた開業までに500日という期限も間も無くです。
ゴールデン街の営業も最後が近づくにつれてお客様がどんどん増えていき、最終日は実に4時間待ちの大大行列になりました。皆とお別れの挨拶や開業にむけての盛大なセレモニーになりました。

2006年4月
いよいよ開業準備にはいります。まずは資金です。
貯金も僕がなんとか100万近く貯蓄し(開業まで、修行と営業などやっていてなかなか貯めることが出来ず)、後の2人は貯蓄がない。。。。開店までなんとかお金を工面しないといけなくなり、お世話になっていた母方の叔父から450万を調達し、国民金融公庫にてさらに450万ほど借りて開業資金を1000万用意しました。

物件はゴールデン街をやりながら西尾が回りまくって、渋谷東という場所をゲット。決め手は12坪 家賃25万円。いま思えばよくこんな場所で始めたよなーっと感心してしまいます。それでも当時はやるしか無かったですね。

ラーメンの味作りが1番苦労しました。まず作り方やばい。
ラーメンのタレをチャーシューにつけて、数日寝かしたものを使っていました。寝かせると丸みがでて、醤油の角がとれて美味しいタレになりますが、なんせ仕上げるのに場所がいるんです。契約した物件は12坪です。そんなスペースがまずありません。いきなり開業前に問題と直面しました。

また居抜きを予定していました。
契約の時に、造作100万、保証金250万、手数料で100万の合計450万がかかりました。無知すぎていろいろ持っていかれてましたね。そこにあるのは元ピザ屋?みたいな造作と三輪の宅配バイク一台。内装を考えて、席配置やキッチンを考えるととても今のままでは使えないと判断しました。

知り合いの業者さんに希望を伝えて見積もりを取ると800万くらいきました。なんとか交渉しましたが、流石に半額にはできないと…元手はおよそ半分しかない…これは自分たちでやるしかないという事になりました。

もーここからは漫画みたいな展開です!
まず今の内装を壊すところから。知り合いに声をかけて、スケルトンのお手伝いしてみない??と声をかけました。これが本当に有難いのですが、毎日誰かの知り合いやよく見る顔が来てくれて、どんどんお店を壊す事が出来ました。壊したらそこを塗ったり貼ったり完全に素人作業です笑

1番やばいのが、ガスを自分たちでやろうとして器具を近くで工事してた人達に借りに行って驚愕!ガスは自分ではできないんだと…かなり笑われましたが、それを教えてくれた内装屋さんと今も仕事をしているので人生どこで何があるかわかりませんねー。
仕方なくガスと水道は業者さんに依頼!やれるとこはやろうと。キッチン機器は全部ネットかテンポスで激安で済ませる。あとはなんとかなるだろーと開店日を待ちながら試作の日々でしたが…

味を決めるという大仕事がまだ終わってませんでした…!!

つづく!(毎週火曜更新)

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