ラーメン凪 創業記 第17章:いざ世界へ!始まりの”香港”
ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまで、その後までの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから👇
2010年2月
新宿のゴールデン街の店長、牟田君から一本の電話が。
「お店に怪しい香港人が来て、なにやら香港でラーメンをやらないか?と。大将どうしますか?」
怪しいというか、そんなやついるのか?と思いながら、直接会うことにしました。
普通の人であればこのあたりで断りますよね。
だって全然面識もないのですから。
しかし僕は違いました。
もともと海外へ飛び出したくうずうずしていたので、会うのが楽しみに。
そして、会ってびっくり!
僕と同い年ぐらいなんですから。
なんでも香港の投資家がラーメンをやりたいのでどうかと。
即決ですよ即決。
条件?まー行ってから決めよっという話にして。
それから4ヶ月後の2010年6月に、身一つで香港に乗り込んだ訳なのです。
人生で2度目の香港。
凪開業前の2006年に来たときは、まさかここで商売をしようとは微塵も思わなかった。
空港を降りてもう熱気ムンムン。
やっぱり暑い香港だ。
車で1時間ほど走って「元朗」という香港でも中国寄りの山の方へ。
高層ビルしかないイメージだったから、香港にこんなに自然があふれるところがあるのかとびっくりした。
まず香港でのミッションは”ラーメンを作ること”
パートナーさんからは「煮干ラーメンを作ってください」
との事だったので、こっそり20kgの煮干を荷物につめて持ってきた。
せっかくなので豚骨も作ろうと思っていたし、材料を探してリクエスト。
まず海外でやられたのが「水質」。
以前にアメリカ西海岸でのイベントに参加した時に感じた事。水か硬い印象で出汁が出にくい。実際にスープを取っても灰汁も出ない。
こりゃいかん!と材料をいつもより多めに入れてスープを作り上げました。
あとバーナーがやばかった。
ここ元朗ってところは「盆菜」って香港でも有名な料理がある。
それも直径1メートルぐらいするお盆のようなお鍋を強力な火力で調理するの。
そんなコンロだから、気球でも上がるんじゃないかってくらい炎がっ!
鍋こげるって絶対。
焦りながらも火力を調整し、なんとか炊きあがったスープは感無量!
で、その夜に早速試作会を開いてもらいました。
場所はランカイフォン(中環)です。
六本木のバーが連なっているようなところですね。その地下一階の100人ぐらい入れるバーです。
そう、 barでつくるんですよ。
ゆで麺機は...炊飯器2台とガスコンロ2個!?
こんな状況ものともせず、「いやーおれ天才だな」とか勝手に思いながら。。
調理をし始めて、15分ぐらいすると「ガチャ」って音が鳴ってガスが止まるんです。
そりゃ炊飯器だからね。。
これで100食あげれたのは本当に奇跡とか思いながらもたんたんとやりましたよ。
結果完売し、感想はやっぱり「豚骨がおいしい」と。
煮干は「醤油が強すぎる」との声でしたね。
現地では寿司につける醤油はいいんですけど、やっぱり香りの強い上質な日本の醤油は食事に合わなかったです。こういう所に食文化の難しを感じました。
つづく!