ラーメン凪 創業記 第15章:ムタさんと餃子と煮干
ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまでの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから
2008年8月
勢いにノッてきたG街店!
更に加速するために私だけでは手が足りないので、人員追加!
そう、伝説のムタさんです!!
「お前がくることで150万の月商だと赤字になるから覚悟して頑張ってくれ」とだけ伝えました。
牟田さんからすると企業のトップと働くなど想像できなかったらしく、相当苦労したと数年後に聞きましたが、それに付き合う僕も相当大変でした。
ラーメンの作り方を全く知らない上に、サービスもいまでこそ個性派牟田さんですが、当時はコンビニ店員レベル。。
速攻で新宿西口おもいで横丁の岐阜屋に連れて行き、「あの親父を真似しろ」と言ったぐらいです。
まー肝心な接客を真似するんじゃなくて、親父の調理態度を真似してしまい、ラーメン作りながらタバコを吸うというやってはいけない事をやり、それが僕に見つかり「今世紀最大のショックだっ!!」と激昂しました。
それでも牟田さんのおかげで昼からお店を開けることができ、順調に200万を超える事ができました。たった4坪のお店ですし、周りのバーからも月間200万を越えれば繁盛店と言われてたのでこれも嬉しかったです。
目標の300万まで後100万。どのようにすればいくだろうか?と単価アップとして、注文してから握る餃子と言うイベントを企画します。
集客に苦しんだ土曜日や日曜日の昼を狙ってやりました。
餃子はガチで注文して握るので、ちょっと混雑すると軽く30分以上待たせます。その間、お客様はお酒を飲んでくれるのです。
そこで単価をガンガンあげていきました。
当時は伝票にも一工夫です。
お客様の似顔絵を目印にしていました。ただ2人とも絵が個性的なので、ヒゲとメガネの人は同じような顔になり、誰が誰だか分からない事が何度も、、
基本的にやはりアホでした。そんなアホがイベントとかってもう究極ですね。そもそもラーメン屋さんでのイベントですから、しかも土曜日深夜0時からって。。。色々やってうけたイベントはやはり餃子系のイベントでした。
1人5000円もらって20人くらいのときも。飲み放題、食べ放題です。
メインは1キロ以上ある特大餃子です。
これ、つくってわかったんですけど、焼けない。。。。
しょうがないのでゆで麺機にそのまま突っ込みましたが、デカすぎて中まで火が通らない。。
最後は手鍋で焼いて、なんだかわからない食べ物になりました。
そんな攻めの営業の成果もあり、目標の月商300万を超えました。
この時も嬉しかったです。そもそも1日2万円の日々でしたからね。
さて、肝心の煮干ラーメンですが、この時も納得のいくものでもありませんでした。なので何度も作り変えてはお客様から来るたびに「味が違うー!」って言われてました。まだまだ煮干の黄金比を発見できず。。
煮干を焼いたり、
ワタをとったり、
熱した鉄の棒で焦がしてみたり、
ほんと死ぬ程試しました。
あるとき、いつもと違う作り方を変えてみた時でした。
スープの旨味と魚感がとても良く、お客様の評判も上々です。
そこから微調整をしていくと、日に日に反応が上がってきました。
よし、この煮干ラーメンでいこう!と決意しました。このラーメンが今の「すごい煮干ラーメン」に繋がります。
開店からおよそ1年近くが経過していました。
つづく!