ラーメン凪 創業記 第20章:香港編④ファクトリー!2号店!
ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまで、そしてその後の多店舗展開までの波乱万丈な創業記!?
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香港編 ①謎の香港人からの誘い・②出店準備・③オープン!
2011年 香港1号店出店後のこと。
念願のファクトリー(工場)が出来たとき、まだ1日300杯程度の出数。
同時に進めていた2号店の準備を。
物件を自分たちで見つけたのですが、この家賃がおおよそ80万。タイムズスクエアーという世界で家賃が2番目に高いと言われているところから一本路地に入ります。20坪ないぐらいの広さでしたから無理矢理25席ほど作りました。
2011年の10月出店時は1日450杯程度、その後600杯ほどを安定して提供する繁盛店に。
ここでやっとファクトリーも順調に稼働しました。
ただ、ファクトリーは空調設備が最悪で夏場を迎える前に既にスタッフはグロッキーな状態に。。
ラーメンはスープの火力がとても高温なので危険です。
4、5本の寸胴を火力全開ですから、そらー無理がありますよ。もう汗だらだら。
ファクトリー素人だっただけに、これはちょっとやらかしました。
こういうやらかし、凪は多いです。専門のデザイナーとかいなくて、ほとんど僕がイメージをこうやってあーやってって決めていきますから。
2号店もシンクの高さをミスった。。えらい高いところからラーメンが出てくる!!
あやー!いつまでも続けられないね、こういうの!
2号店も順調に行き、2年連続でopenriceにて日本食大賞を受賞!
ますます勢いにのりました。
ファクトリーを作ったので、それを維持するためには数字を上げていかねばなりません。工場経費は家賃20万、人件費120万、水道光熱費50万、輸送費20万などなど。食材と水光熱費は変動するので多少は上がりますが、まずはこれを償却。
そのためには1日1200杯、目標2000杯までを描かねばなりません。
そこで3号店に着手しました。
当時、日本の店舗は食材全てそのお店で作るオペレーション。香港はブラックボックスの意味も含めて、全部ファクトリー生産にし、各店に配送するスタイルなので味ブレなどの心配はありません。
人材の教育も日本ほど難しくなく展開できるスタイルです。
早速3号店を企画し、パートナーの知り合いが物件を持っているということでTST(九龍サイド)という若者の賑やかな街のすっげー場所の悪いところで開店準備を進めました。
今度は席数は40席ほど、過去最高の規模です!
物件借り入れで大切なのは、まずライセンスの有無。そしてガス、電気の容量のチェック。けっこー厳重に現場スタッフが詰めたのですが、物件オーナーから再三間違いの情報をつかませされて契約してから電気容量が不足が発覚。。。。。
結局追加でガスを引く事に。このガスを引くだけでも2ヶ月は遅れましたね。この遅れがその年の全て全てを狂わせ、後に語られる奇跡の4ヶ月と言われる序章の始まりでした。
つづく!