ラーメン凪 創業記 第5章:粛清
ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまでの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから
2003年 一蘭 東京エリアマネージャー時代
上司「アルバイトスタッフへの日頃の頑張りを評価する企画をやりたいんだよー」
当時、牛角をはじめとした外食大手がスタッフのモチベーション向上を目的にしたフォーラムが始まり出していた。
一蘭でも同じような試みをと開催。それはそれは大盛上がりの大好評。
しかし、その場に社長が呼ばれていない。
先輩上司「もう少し形にしてから社長へ披露したい」と。
それに違和感を感じたが、、、まさかそれがあれの引き金になるとは誰も思いもしなかった。
この頃、六本木店オープンからしばらくは現場15時間、事務作業を含めれば20時間近くは店にいた。。
そんなとある日のこと。
ピーク中に幹部一行が来て、店舗近くの歩道橋へ連れて行かれた。
「この行列を見てみろ!オペレーションはどうなってんだ!!」
いやいや、人員不足だってあれだけ報告したでしょ…
その日、仲の良かった専務に飲みに誘われて相談。
「気持ちはあるけど、このままでは体が持たない」と。
話の途中で倒れ込み、ビールをわざとこぼす小技を挟み深刻さを演出。
スタッフ増員をかけてくれ、難を逃れたこともあった。
2004年
アルバイトフォーラムが終わって数ヶ月が経ったある日。
「社長激オコ!!!」と福岡から連絡が。
僕らは最初なにに激怒しているのかさっぱり分かりませんでした。
が、その理由を聞いて、まさかあれか!!!そして社長が知らなかったことに驚いた笑
それからです。ほどなくして「粛清」が始まった。
専務以下、僕らの上司達が一斉に会社を去ることに。
騒動が終わるまでに社員70名のうち、20名ほど退社しました。
僕の上には専務、本部長、部長でしたが、みんな吹っ飛んでしまった。
「あれ?これいきなり営業トップになっちゃうじゃん…27歳で給料が一気に上がんのかー」
という考えも一瞬脳裏をよぎりました。
がなんでしょうね、ギリギリのところではそんなのどうでも良くなった。
あんなに苦楽を共にした上司達がサクッと首を切られてしまうことに驚きもあり、あの社長の下ではいつか自分もやられんなーと思った。
※別に嫌ってはいません!いろいろと教えて頂いた恩ある社長です。辞めてからも何度か手紙をしたためこともあります。
今思えば、ちょっと変わったキャラの社長だったと思います。
その後、社内で踏み絵じみたことや仲間の身売り、そして東京オフィスの閉鎖、当時では珍しかったテレワークなどが行われるように。
飲食業ってテレワーク全く向かないですよね…20年前から感じてました。
ってこれらのこと相当異常じゃないかなーっと。社長も誰を信じていいのかわからなくなったのだろう。
そもそも、クビになったメンバーは社長にとっても苦楽を共にしたメンバー。
ただ、下からは良く見えるものでお互い様な部分もあり、先輩上司がアルバイトフォーラムに社長呼ばなかった理由はなんとなく分かってきた。
社長に叱られてばかりなのでしっかりしたものを見せたかった、その純粋な思いそのものだったかと。(でも普通は相談するでしょ!って今は思いますけどね。それも風当通しがいかによくなかったかという現れ)
そんな会社が不安定真っ只中の時期についに独立を決断することに。
つづく!凪開業まであと2年くらい!(毎週火曜更新)
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