ラーメン凪 創業記 第10章:2006年6月15日、凪 開店!
ラーメン凪 代表 生田悟志が高校卒業から凪創業に至るまでの波乱万丈な創業記!?前回まではこちらから
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15周年を迎えて
改めて、本日で15周年です。少しだけ2021年に戻してお話を。
振り返らない主義で来ましたが、noteを機に少しだけ振り返ってみます。
なによりも2006年はチャレンジしすぎて、良く乗り越えたという他ない。
なによりもエピソードで出てくるがオープン日からスープの熱が暑すぎて…倒れる者多数。テーシャツ3枚は必須…どんなキッチンなんだろう。あと酸素切れも起こして目眩とか…いまじゃ危なくてできない。
またここは生田西尾夏山3人で仕事をする最初の場所でしたが、それぞれの真の仕事スタイルが顕著に出たと思います。
もはや本も出して勢いに乗りまくりの教授こと西尾
酒しかダメな人がいつしか味作りの天才になった夏山
とこの2人と今日まで来れたことは奇跡です。
なによりも僕は彼らと喧嘩したことがありません。
ほぼ僕の無茶振りに必死に耐え、耐え難きを耐え凌ぎ難きをしのぎの精神だったことでしょう。ほんとに感謝しかありません。
まー細かいエピソードはまた。
それではこれからも凪をよろしくお願いします!
あっ周年祭などはコロナ終息後やりましょう!!
開店前夜
2006年6月頭
2006年6月15日を開業日と決めて、メンバー全員がそこに向かって準備をしていきました。元々ゴールデン街でやっていたので、常連様は結構付いてくれていました。なので開業前夜祭的なイベントをしてもすぐに満席になる人気がありました。
言い換えますと、ラーメンの味よりも人(生田・夏山・西尾)についてくださったお客様でした。
味作りも大変でしたが、なによりもメニュー、特に夜でした。
渋谷区東という謎の立地でしたが、
そこは昼はランチ難民的な需要が見込めましたが、
夜はぱったりと人通りがありません。
そんな閑静?な立地だったので、芸能人著名人の方もふらっと食べに来てくれました。
隣のマンションに住んでいたのは”ステーキのけん”創業者であり、TV マネーの虎に出演していた 井戸さん。
TV番組で水を高値で売ると話題になった川〇シェフとか、開業前にふらっと立ち寄ってくれた篠原涼子夫妻とか。開業後には佐々木希さんとか。
1番は布袋夫妻が来た時は盛り上がりましたね。
ラーメン凪 全体で有名人だと、
香港店にキアヌ・リーブスさんや、アメリカ店にはGoogle創◯者のラリー◯イジさんとかFacebookのマーク◯ッカーバーグさんとかですかね。
ゴールデン街では結構な芸人さんが来てて、芸人としらずに話してたら店のテレビに出ていた時は驚きました。
で、話を戻します。
ラーメン屋をやるには極まりなく難しい立地でありました。なので酒場というスタンスでメニューを作り込みました。
開業前に一緒に始めるメンバーの夏山と西尾に、
「自分が出来ること、また求めること」というお題で宿題を出しました。
夏山が出来ることでは「お酒・接客」と書いていました。
うん、うん、わかる。お酒大事だもんね。
って当時の初々しさ溢れていました。
今は全店の教育係やイベントでどんどんお酒から遠ざかるばかりで申し訳ないっす。
西尾は「経営に参画すること、最低限度の生活」
彼は麺屋武蔵で50万以上の給料をもらう店長でした。
なので年収で武蔵を超えることを目標にしていました。
ここ5年ほど前にその目標を突破し、今では1番の待遇に出来たことは少しだけのガッツポーズです。賞与も加えるとやっと1000万近くですね。(ちなみに向こう3年で1000万越えを10人作ることが目標です)
はい!話戻す!
常連様にも諸々好評を得て、いざ開業日を迎えます。
2006年6月15日 凪 開店!
いよいよオープン当日!
6時過ぎには店舗に入り、直前まで悩んだ一杯に集中しよう。そんな気持ちでした。当時29才です。
ありがたいことに、8時の時点で既にお客様の影がちらちらと見えています。
バタバタと準備をし、11時迎えて、外に出てみると、
なんと30人以上の行列です。もう胸がいっぱいになりました。
ゴールデン街の間借り営業の最終日には100人以上の常連様が来てくれて、一人一人の顔が見えるお別れをしてから数ヶ月。
ここから新たな出発です。
ラーメン業界に風穴を!新しい風を!
なんて旗を振りながら。(って風ってどこに向かってんでしょうねー。当時は若かった笑)
さーそんな気合いと夢を持って、ラーメンをバシバシ作りました!
13坪20席ちょっとのお店ですが、初日は20万超えたと思います。
初日を終えた時はそれまでの緊張と数ヶ月気の休まる間も無かったことから、どっと疲れましたがそれでも有り余る期待を受け気力十分だったことを覚えています!
生田流 人材スカウト
オープン景気や既に立川の2号店出店も決まっていたので、人材確保に動いていました。もちろんリクルート先はお客様です。いつも愉快な常連様よりも、若くてソルジャーになりそうな人に目をつけては片っ端から声をかけました。
そこで見つけたのが今も頑張っている、”にぼしボクサー バンタム”こと大曽根くんです。ボコられて頭が面白いやつだったんでしょうね。14年以上頑張っています。またちょっと前に今更プロデビューし、かつ結婚もしたノリに乗っている奴です。
もうひとりは”ましゅー”と言う、後にほぼ性問題で追放になる奴がいるんですが、そいつもゴールデン街のお客様でした。
間借り営業の時に、麺のザルとか持ってきて見せるすごいやつでしたが、結果もやっぱり凄かったです。
最後の1人はヒデキといいまして、慶応ボーイでした。
癖しかなかったですが、素直な子で頭の良さが際立ってました。
ま、仕事には関係無かったですけど。。
そうやって人材は目のつくところから手を出すことを当時から実践していました。
灼熱のキッチン
さて、お店の話に戻ります。
連日満席の売上も好調でしたが、7月に入り暑さも出始めて雲行きが怪しくなってきました。
13坪の店内といっても半分がキッチンでした。
6坪に巨大な寸胴が2つ、ゆで麺機にコンロ達です。そら暑い!
なによりもキッチン側にはエアコンがないのです。
それこそやっと一昨年のオープン13年目にして取り付けたぐらいです。(技術の進歩もありですね)
日々暑さを増すキッチン。
スタッフが取り付けた温度計のガラスが飛びちり、温度計のメモリが70度を超えて。。。
そしてお客様の席にもそれは伝播していき。。
開店3週間で一気にガラガラになってしまいました。。。。。
つづく!(毎週火曜更新)