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「第一の矢」は避けられない。「第二の矢」は避けられる。
仏教には、「第一の矢」と「第二の矢」という考え方があるようです。第一の矢とは、たとえば怪我をしたり、病気になったり、誰かに裏切られたり、何かに失敗したりすること。生きていれば誰しも経験する、避けることのできない苦しみを指します。
一方で、第二の矢とは、その出来事を引きずることによる苦しみのことです。「なぜこんな目に遭ったのか」「あのとき、こうしていればよかった」などと、すでに起きたことを悔やみ続けることが、それにあたります。そして、多くの人は第一の矢そのものではなく、第二の矢によって苦しみ続けているといいます。
第一の矢は、生きている限り避けられません。突発的な事故や人間関係のトラブルなど、自分ではどうしようもないことが起こるのは、ある意味で当然のことです。しかし、第二の矢は避けることができます。過去は変えられず、他人も変えられません。だからこそ、切り替えて前を向くことが大切なのです。
とはいえ、それを実際に実行するのは簡単なことではありません。自分自身の人生を振り返っても、これまで何度も第二の矢に苦しみ、現在進行形でも悩まされていると感じます。それでも、生きていればさまざまな第一の矢が降りかかるのは避けられない事実です。どうしようもないものに対しては、必要であれば法的措置を取る、病院に行って治療を受けるといった対応が求められます。
しかし、そうではないものについては、まるで自然災害のようなものとして受け入れるしかありません。一定の確率で起きるものに巻き込まれることは、誰にでもあることです。それを割り切ったうえで、今この瞬間から変えられることに意識を向ける。そうした生き方こそが、より健やかに生きるために必要なのだと思います。
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