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カレーを食べながら泣いた話

ランニングの初期衝動。
とあるサマーオブラブの物語である。

はじめて「サロマ湖100キロウルトラマラソン」に出場したのは、震災のあった2011年だった。

きっかけはささいなことで、年始に一年の目標を立てるにあたり、健康に良くかつ楽しく一年かけて遊べそうな遠大な目標がほしかったのだ。当時はまだエントリー合戦などなくて、のんびりとしたものだったと記憶している。

そこそこ練習した、と思ってた。はじめてガーミンを買い「ログを残す」ということをしはじめたのもこの時だった。結果はDNF。50キロ関門で引っかかった。42キロ以上走ったのは初めての経験だった。

さかのぼれば、はじめてマラソンに出場したのは2000年のホノルルマラソンである。いきなり初回からホノルルマラソン。生意気である。いまほど、アスリートでもなんでもない一般市民がマラソンを走るということがそれほど一般的でないころ。

うら若き時代の私はフィジカルとメンタルのインターラクションにとても興味を持っていた。このあたり70年代の西海岸でヒッピーたちの間でサブカルチャー的にランニングやヨガが流行っていたストリームと同期するものなのかもしれない(テキトー)。

1999年の6/1号のブルータスは、村上春樹を大々的にフィーチャーしたランニング特集だった。この号はまさに私が走りはじめるきっかけになったし、課題意識をドンピシャにつかれておおいに影響された。

閑話休題。話がとっちらかりそうなのでサロマの話に戻す。
2011年のDNFのあと、捲土重来、2012年のサロマに向けて猛烈にチャレンジを開始するのである。一度失敗した二度目というのは猛烈にモチベーションが高い。絶対成し遂げてやるという熱い思いが漲っていた。漲っていたのだが、結果97キロでDNF。公式記録は90キロ通過で止まっている。あと3キロ。代々木公園のいつものコースなら2周。駒沢公園なら1.5周だ。

そこからは燃え尽きたような低調な時代が続く。
2013 /30キロDNF
2014 /DNS
2015 /20キロDNF
2016 /DNS
2017 /60キロDNF
2018 /50キロDNF
低調の一言。
まさに散々たる結果である。
ただそんな中でも、うれしい出会いもいくつかあった。ひとつは先輩ランナーたちとの出会い。
2018年「ああまたDNFかあ」と思いながらトボトボ歩いているとすぐ近くに足を痛そうに歩む女性。同病相哀れむとばかりに「もうダメすかね?これ」と言った感じで話しかけた。同じ境遇に置かれて「DNFなボクら」という連帯は不思議な仲間意識を育み、意気投合。FBのアカウントを交換しあった。お名前は、玲子さん。

その女性が100キロマラソンの過去の日本記録保持者でサロマ優勝経験者だったと知るのはもう少し後の話。

あともうひとつはトレイルランとの出会い。はっきり言ってそれほど山に行かないので僕は「丘サーファー」ならぬ「街トレイルランナー」である。だって山は危険がいっぱい。
しかし、圧倒的にカルチャーを感じて魅力されたのである。おじさんの健康趣味的な世界観をいやおうなく纏わされているロードのランニング的なるものと対比して、

①インディペンデントなガレージブランドたちのデザインされたギア
②100マイルなどに纏わるエクストリームなストーリー
③UTMBやウェスタンステイツと言った海外の歴史あるレース。グローバルと繋がる雰囲気。

「なんやこれ!めっちゃいけてるやん」(小並感)
よくわからないダサい参加賞のTシャツを着て練習してたのが一転、answer4やMMAや山と道などのウェアを身につけてハンガーノックの帽子を被り、「ITRAポイントがさぁ〜」とか生意気なことを言い出すまでさほど時間はかからなかった。それもまた逆にダサい、という謗りは甘受するしかない。

ということで心機一転2019年。

もうサロマはやめようか?という気持ちになっていたこともたしかである。惰性で続けてはいないか?そこにはなにがあるんだ?と。

しかし。しかししかし。
やっぱり原点なんだよなあ。「ここからおれは走り始めたんだ」という確かな感触。

サロマ湖のある道東の6月はとてもよい。北海道の短い夏。その一瞬の夏を精一杯味わい尽くそうと植物たちが濃い緑に染まる。オホーツク海から吹き抜ける風。東京とは違う少しひんやりした空気。夏至間近の静かな大地。

やはり戻らなければなるまい。そしてあのゲートの先にある景色をこの目で見てみたい。

一般的に練習というものは目的のための手段だが、トレイルランや仲間たちという要素が僕のランを「練習」ではなく「趣味」にしてくれたように思う。目的に隷属する手段ではなく、そのものが喜びを内包する絶え間ないプロセス。そのようなランとの付き合い方は、あれほど高い壁だった100キロに耐える足を知らないうちに鍛えてくれていたらしい。

いろいろあって、2019年のサロマは妻が応援に来てくれていた。長い物語の最後を見届けにこれるように神様がはからってくれたのかもしれない。

この文章はゴールから一年たってかかれている。レースの中身のことはいまとなってはあんまり覚えてない。ただひとつ鮮明に覚えているのは給水所で飲んだ麦茶のうまかったこと。あれ以来、麦茶はちょっと贔屓にしている。

ゴールの瞬間、喜びが全身を流れた。2011年から9年の時を経たゴール。泣くかな?と思ってたけど泣かなかった。それよりも喜びのほうが大きかった。ゴールには妻も来てくれていてその瞬間を写真に収めてくれていた。

サロマは、ゴール会場に出店のようなものが並んでいる。カレーだったり、たこ焼きだったり、ビールだったり。

リタイヤ者は収容バスに乗ってゴールに送られる。そこでビールを飲みながら、自分の足でゴールしてくる勇者たちを見守るのだ。

2019年、僕は勇者としてゴール会場にたどり着けた。2011年からチャレンジし続けて破れなかった壁の向こう側にようやく来れたんだ、と思うと、ひとつの言葉が心をよぎった。
「あきらめなくてよかった」

2011年から2019年。
短くはない時間だ。そのあいだ、僕は30代から40代になり、勤めていた会社を辞めて自分の会社を作り、髭にはずいぶんと白髪が混じるようになった。

祝杯のおともにはカレーを選んだ。
やっぱりこういうときのカレーは最高だよね。
カレーの味が疲れたカラダに沁み渡る。
ホッとする、あのカレーの味だ。
僕は、なんだか、すごく安心した。

となりで、妻が「よかったね」と言った。
堰を切ったように涙があふれた。

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