橋本治と僕の青春
橋本治さんが亡くなられた。僕がnoteを書く基準はひとつ。「その瞬間の気持ちを文章で記録したい」ということ。写真を撮るように、気持ちを残す。文章でもって。粗は承知の上なので許してほしい。
橋本治、その名前をはじめて意識したのは、浅羽通明の著作の中でだったと思う。浅羽通明の「ニセ学生マニュアル」の三部作は教養という肥沃な世界のガイド役として、中学生・高校生の僕をおおいに興奮させた。
橋本治氏が亡くなって、いちばん最初の感慨は、「ああ、直接会うことはなかったなぁ」という思いだった。このへんは絶妙に難しい心持ちなのだが、必ずしも「ぜひとも会いたかった。会えなくて残念だ」ということではなく、「会うという運命ではなかったのだなぁ」という感慨だ。それほど、橋本治の言葉は私の中に染み込み、すでに私の魂とともにある。そのような感慨を抱く人物はほかには、小沢健二と村上春樹の二人だと思う。
橋本治氏の著作の私にとっての入り口は、河出書房から発刊された全7巻の雑文集成だった。「女性たちよ」からはじまり、「若者たち」「文学たち」「映画たち」「友たち」「自分たち」「その他たち」と続く7部作。橋本治の言葉の使い方は極めてオリジナル。独自。異形と言ってもいいと思う。多作な作家だったので、著作は汲めどもつきず、読むものには困らなかった。「ロバート本」と「デビッド100コラム」は好きだった。いまはもう下火になったけれど、「コラム」という形態は橋本治の良さを引き出すビーグルのひとつだったと思う。「89」「革命的半ズボン主義宣言」「蓮と刀」「恋愛論」「ぼくたちの近代史」「ぬえの名前」「青空人生相談所」、などなど、まさに貪るように読んだ書籍たちは、評論でもなく、まして小説でもなく、テクストとして極めて独自の形態を取っていて、「こんなアプローチで本を作ることができるのか」と感動した。
逆に2000年以降はあまり橋本治氏の著作を読むことがなくなった。その理由は分析していないのでよくわからない。が、おそらく、「そういう運命だったのだろう」、と思う。
橋本治はその圧倒的な感性と洞察で、現実と常識に揺さぶりをかけてくれた。氏のテクストとともにあった青春を懐かしく思っていたが、訃報をきっかけに氏の本にふたたび目を通したが相変わらずそのテクストからは目も眩むような「揺さぶり」を感じることになった。
かつて著作の中で橋本治は言った。
「自分が残したどんな本よりも、自分自身が一番良い作品だ」
橋本治という稀有な才能を宿したチャーミングな魂がどうか安らかでありますように。