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走り続けることについて語るとき、私たちの語ること。あるいは、100連走目に寄せる覚え書き。

2018年の11月2日から毎日ランニングをしています。それを「連走プロジェクト」と名前をつけ、今日でちょうど「100連走目」になりました。

そもそも、「連走」というのをはじめて意識したのは、Twitterで、バティさん(@batistutakuji)のツイートを見ていたとき。毎日走り、その報告として「今日は◯◯連走目」と簡単な写真とともにアップしていました。

別にそんなに絡みはなく、単純に見ていただけなんですが、そんな毎日の繰り返しをだんだんと楽しみに心待ちにするようになりました。
「今日も走るのかな?」
「いつまで続けるんだろう?」

結局一年とちょっとで、その「タスキ」は切れてしまったのですが、最後に終わった時には、感動とともに「おつかれさまでした」という感慨が胸をついて出てきました。(実際ご本人にもコメントを飛ばさせて頂きました)

そんなわけで「自分もやってみたいな」と思いはじめたわけです。

そんなに速いわけでもない市民ランナーがなにを楽しみに趣味を続けていくのか?
ある人はなにか目的の大会があったりとか、また別の人はPBの更新を目指したりとか、それぞれの「チャレンジ」があるのだと思います。

趣味ですので、人生を擦り減らして、そこに犠牲を注入するというよりは、それぞれの「チャレンジ」、ないしは、「プロジェクト」が巡り巡って人生を豊かにする、ということが健全でいいんじゃないかなぁなんて思ったりしています。

別に誰に強制されたわけでもなく自分の意志で、それぞれがそれぞれの「チャレンジ」や「プロジェクト」を作って勝手に楽しんでいく。僕にとって人生とはそのように捉えることのできる「ひとかたまりの時間」なわけです。

というわけて、「連走」という「ひとりプロジェクト」をはじめたわけですが、これまたひとりで勝手に決めたルールがありまして、

①毎日最低5キロ以上走る
②日付が変わるまでにそのワークアウトをはじめて終わらせる
③トレッドミルではなく外を走る

この3つをルールとしました。

そして、100連走をやってみてつぎの2つのことに気づきました。

①運動はなんだかんだで体によい
②「習慣化」とは生活の中での優先順位をあげること。

1つ目はわかりやすいのですが、単純にやせるし、健康診断の結果はよくなるし、寝つきはよくなるし、よいことばかりですね。

そして2つ目なのですが、僕はじつはランナー歴自体は長く、2000年のホノルルマラソンに出場したのが走り初めのきっかけでした。しかし、走歴と呼べるようなシロモノではなく、走ること自体の効用はわかっているのですが、めんどくさい時や忙しくなると、平気で2、3か月走らないこともあるような非常にムラのあるランナー生活を送ってました。

この連走プロジェクトの話を雑談ですると、良く頂く反応が「すごいですね、よく毎日走れますねー」というものなのですが、じつは僕にとっては逆で「週3回のランニング」をずっと続けるということのほうが意志が強いなあと思ったりします。

僕の中では、「毎日走るというゲーム」が「生活の中でのランニングの優先順位」を上げてくれて、結果として「ランニング自体を続けることを可能にしてくれている」という力学になっています。まあ、「続けることで、続けられている」という禅問答みたいなことなのですが、それがこの100連走目にぼんやりと思っていることなので、覚え書きとして、このnoteをしたためたわけでありました。

ひとまず。


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