昭和のプロレスの終わり|vol.291
アントニオ猪木氏が
亡くなりました
私にとってヒーローが
この世からいなくなった
悲しい出来事です
1970年代の
テレビっ子だった
私たちの世代で
学校の話題といえば
プロレスでした
いろんな技を
弟にかけて
よく泣かしたものです….
プロレス好きの私にとって
猪木さんは絶対的な存在で
エンターテイメントの
基礎となっている人です
あれだけの観衆の心を一つにし
最後にヒーローとして
颯爽と去っていく姿は
まさにロックであり
ミスタープロレスそのものでした
猪木さんのことを書くには
あまりにもネタが多すぎて
困ってしまいます
力道山の時代から
馬場さんとの間柄の歴史
新日本プロレス設立から
数々の異種格闘技戦
テレビにかじりついて
少し恐怖も覚えるほどでした
過去に戻って
1試合だけ
直接会場で見れるのであれば
猪木VSウィリーウィリアムス
1980年2月27日
蔵前国技館です
新日本プロレスと
極真空手のガチ喧嘩
プロレスの威信を守る猪木と
熊殺しウィリーの
3分15ラウンドの試合です
結果、猪木さんは肋骨を折り
ウィリーの右腕の腱は伸びて
レフリーストップの
ノーコンテスト
当時の
大山倍達総帥率いる極真空手は
世界中に空手最強を歌い
絶対に負けられない存在
なんなら
猪木さんを潰してもいいくらいの
覚悟で挑んできます
もちろん猪木サイドも
ウィリーの挑戦をうけとめ
異種格闘技の試合となるわけですが
今見ると
さまざまな発見があります
まずルールですが
3分15ラウンドはいいとして
ウィリーの手には8オンスの
グローブが着用されています
これは顔面を殴る
フルコンタクトを
希望したからではないかと
思われます
そして
猪木の寝技は5カウント以内
つまり5秒しか寝技攻撃が
できません
5秒以内にギブアップをとれ
ということでしょうか
緊迫した
ドキュメンタリーも制作され
当時の空気感が伝わってきます
是非ご覧ください
たくさんいい思い出をくれた猪木さん
安らかにお休みください
あの世で
ウィリーと試合の続きを
是非楽しんでください