カインの捧げ物とアベルの捧げ物。
カインの捧げ物が神に受け入れられなかった理由。
先日、ジョセフ・プリンス牧師のメッセージを聴いている中で、カインの捧げ物は(律法主義)でアベルの捧げ物は(神の恵み)を表しており、律法主義者は恵みにあずかる者を迫害する。という言葉にはっとさせられたので、自分の思うところを頭の整理も兼ねてnoteに記します。
人はその妻エバを知った。彼女はみごもり、カインを産んで言った、「わたしは主によって、ひとりの人を得た」。
彼女はまた、その弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。
日がたって、カインは地の産物を持ってきて、主に供え物とした。
アベルもまた、その群れのういごと肥えたものとを持ってきた。主はアベルとその供え物とを顧みられた。 しかしカインとその供え物とは顧みられなかったので、カインは大いに憤って、顔を伏せた。
そこで主はカインに言われた、「なぜあなたは憤るのですか、なぜ顔を伏せるのですか。 正しい事をしているのでしたら、顔をあげたらよいでしょう。もし正しい事をしていないのでしたら、罪が門口に待ち伏せています。それはあなたを慕い求めますが、あなたはそれを治めなければなりません」。
カインは弟アベルに言った、「さあ、野原へ行こう」。彼らが野にいたとき、カインは弟アベルに立ちかかって、これを殺した。
主はカインに言われた、「弟アベルは、どこにいますか」。カインは答えた、「知りません。わたしが弟の番人でしょうか」。
主は言われた、「あなたは何をしたのです。あなたの弟の血の声が土の中からわたしに叫んでいます。
今あなたはのろわれてこの土地を離れなければなりません。この土地が口をあけて、あなたの手から弟の血を受けたからです。
あなたが土地を耕しても、土地は、もはやあなたのために実を結びません。あなたは地上の放浪者となるでしょう」。
カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。 あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。
主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。
カインは主の前を去って、エデンの東、ノドの地に住んだ。
カインとアベルが生きていた当時の背景を考察してみましょう。最初の人間アダムが神に背を向けたことにより、大地は呪われました。
「あなたが妻の言葉を聞いて、食べるなと、わたしが命じた木から取って食べたので、地はあなたのためにのろわれ、あなたは一生、苦しんで地から食物を取る。
地はあなたのために、いばらとあざみとを生じ、
あなたは野の草を食べるであろう。
あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る」。
アダムの仕事はエデンの園の管理でした。木々は豊かに実を実らせ、耕した大地からは多くの産物を得ることができました。しかし、罪の結果、大地から豊かさは失われて、生きるための重労働がアダムを待っていました。
この大地に対する呪いは、ノアの大洪水の時に解消されます。創世記5章でノアの父が語った預言からそれを知ることができます。
レメクは百八十二歳になって、男の子を生み、 「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨折り働くわれわれを慰めるもの」と言って、その名をノアと名づけた。
現在でも、農業は大変な労働ですが、カインが生きていた時代の農業は更に苦しくて辛い仕事だったことがわかります。
カインは土を耕すものとなった。
この一文から、カインの苦役を容易に想像できます。
努力の人、カイン。
呪われた土地からは、いばらとあざみが生じます。畑を耕し雑草と戦う日々に祝福はありません。神ご自身が呪われた土地に神の恵みが臨むことはありませんでした。
土地の実りはカインの労働の対価です。自分の頑張りが日々の食事に反映されます。カインは不毛な地で額に汗を流して必死に働いたことでしょう。
畑の野菜を食べながら、神の恵みにより良い物が得られたという考えはカインの頭にはなかったはずです。自分の努力と働きにより食物を得る毎日から得られるのは、働きと努力への信仰心でした。
ある日、カインは神に産物を供えます。カインは神の好意を得たいと考えていたことがわかります。ただ、その動機は神への感謝ではありません。彼は神の恵みの中で働いてはいなかったからです。神の好意を得るなら今よりも仕事が楽になると考えたのかもしれません。
カインが供えた地の産物は呪いの副産物です。彼自身の働きにより得られた努力の結晶でした。自分の働きと努力で神の好意を買い取ろうとしたカインの捧げ物を神は喜ばれませんでした。
カインの後にアベルもまた捧げ物を神に供えます。弟は兄のする事を真似るからです。この時、カインは面白くないと感じたはずです。真似をするなと感じたことでしょう。このアイデアを思いついたのは自分なのだと。
恵みの人、アベル。
アベルは土を耕す者ではありませんでした。自分の為に食物を探すのではなく、群れのために食物を探し水場に導き安全な場所で休ませる。牧者であるアベルは神の恵みを求めて働きました。
神の恵みにより群れが養われることをアベルは良く知っていました。神から与えられたもの。自分の努力で得たのではないと知っていたからこそ、アベルは群れの中で最も良いものを神に感謝を持って捧げました。
アベルの捧げ物は恵みの副産物でした。
全ては神から与えられたものと考えるアベルは、血が罪の贖いのために必要であるという原則を自分でも気が付かないうちに履行していたことになります。神の恵みは人を真理へと導きます。
対価か恵みか。
自分の努力によって神に近づこうとするカインの精神は多くの宗教に根ざしています。修行や善行で高みを目指すのです。クリスチャンもカインのメンタルを持つようになってしまっていないか自分自身をチェックすることは大事なことだとおもいます。
僕たちは、自分の努力や働きにより救いを得たのではありません。神の恵みのうちにイエスキリストを信じる信仰により救われました。
神の子羊イエスは血を流しました。今、この文を読んでいるあなたの為に。
さあ、野に行こう。
カインのこの言葉にアベルは従います。アベルは兄のことを慕っていたのでしょう。
カインはアベルへの憤りを抑える事ができませんでした。神に受け入れられたアベルの存在が、今まで努力してきた自分を否定するものだからです。
アベルの存在を消し去りたいと思う考えの結末は、人類最初の殺人という罪を産みました。
また、更に悪いことに、アベルの血を受けた土地はカインを更に呪います。もはや、耕しても産物を得ることができなくなりました。努力の対価が得られません。
自分の努力で神に受け入れられようとしたカインは神から更に離れることになりました。
頑張れば頑張るほど。
聖書を読み、毎日祈り、断食して、礼拝を欠かさず、善行に励む。不毛な畑に一生懸命に種を蒔き、街に繰り出し伝道する。
カインのメンタルでこれらのことを行なっていないか。これだけ頑張っているから神様に喜んでもらえていると考えていないか。さあ、野に行こうと他のクリスチャンに言ってしまう前に自分自身の動機と信仰の基盤をチェックしたいと思います。
アベルのように、主の恵みの中を歩みたいですね。主と共に。イエスキリストの平安の中で、みことばを味わい、感謝と賛美を捧げ、命を楽しみ、教会を愛して、人々に福音を分かち合う。
神様は僕たちを、憩いの水辺へと導かれます。圧倒的な恵みの中で。
ハレルヤ!!
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