亀のいる木橋
人は、自分の理解を超えるモノに触れると呆然とする。
凄い表現に触れた時、と言うのもそうだ。
あの時の感覚は、凄い表現に触れた時のそれに近かった。
------------茨木の南の端っこにある間宮林蔵記念館を訪れた際の事。近くにある昭和の頃に作られた古い木橋を、余った時間で何気無しについでに観に行った。
結構な川幅にかかる、茶色い茶色い木の橋。
作りが古いから、欄干も無いので気を付けて真ん中あたりを歩く。
ちょうど川の真ん中あたりに達した頃、私は衝撃的なモノを見付けた。
亀が二匹死んでいるのだ。
また、その死に方が普通じゃない。
顔に竹が突き刺さってるのである。
首を引っ込めた亀の甲羅の穴に、竹が刺さってるのだ。
何だこれは。一体何だ。何なんだ。
私は形容しがたい動揺と、謎の焦燥、妙な悪寒、理解しがたい感覚に襲われる。
頭の中で理由付けを試みる。
そうだ!子供だ。子供は残虐な遊びをする。(拙作『生も死も畦道の上』参照)
この辺の子供がこんな事をしたんだ。
なんて無惨な事をするのだろう。
やっぱり子供は怖い。生も死も、遊びにしてしまうんだ。
そんな事を橋の中腹で、一人呆然と死体を眺めながら考えていると向こう岸から一人のおじさんが歩んできた。
左手に網を持って、莞爾として微笑みながら。
「見せてやろうか〜!」
快活に話し掛けて来た。
網の中には同様の亀が一匹入ってて、ジタバタと藻掻いている。
おじさんは亀を網の中から取り出して、私に見せながら話を始める。
「縁日で売ってる緑亀が増えて、この川にも沢山いるんだよ!元はあんなに小さいんだけど、こんなに大きくなっちゃってさ〜。あとこれ外来種なんだよ!外来種!ほら!見て!こいつらこうやって噛んで来ようとするの!」
亀の甲羅をぐーっと押さえ、竹の棒を躊躇無く顔の穴に突き刺すおじさん。
一生懸命に逃げようと、亀は顔を引っ込めるがさらにグリグリと竹の棒が穴を覆う。
この時の赤黒くなっていく亀の顔と、グヂュグヂュと言う嫌な音が頭から未だに離れない。
・・亀は死んだ。
満足げなおじさん。ぼーんと死体を放り投げる。フリスビーのように宙を舞う甲羅。
亀の死体が三匹になった。
すると、今投げた亀がまだ生きてた。顔に竹が刺さったままバタバタと30センチほど進む。
で、急に止まった。ピタッと。ピタッと。
おじさんは何事も無かったかのように、陣取っていた椅子へと戻る。
私はこのおじさんと話をしてみたくなった。
色々と質問をしてみる。
歳などを聞いた。釣りが趣味だと言う。
「俺は魚を釣りに来てるんだけどね〜亀が釣れちゃうんだよね〜!」
と言いながら、缶コーヒーをグイッと飲んでおじさんはまた釣りに興じ始めた。
私がおじさんに「帰ります。」と言うと、優しげに「この土手を、真っ直ぐ行くと駅に着くから!気を付けて行きな〜!」と、またも莞爾として微笑んでいた。
土手の上には、黒い軽トラック。灰色の曇り空。黄色い花が沢山咲いてる。花に疎い私は名前が分からない。
何故か私は急に匂いを嗅ぎたくなり、匂いを嗅いでみた。何の匂いもしなかった。
--------感情が動いた時には、すぐに詩を書く。土手には登らず、草陰で私は詩を書き始め『亀のいる木橋』という代物を完成させた。
いても立ってもいられず、翌日にはギターを持って曲とした。
私はこの日からずーっと、亀の姿を思い浮かべる度に外来種の問題について考えている。
カラスさんはこの曲を聴いて「ガザの侵攻が浮かんだ」と言ってくれて。全ての曲において表面的な生物だけの話を歌ってるつもりでは無いので、分かって貰えて嬉しかった。
『犬の川』然り、私が川に接すると何かに遭遇するらしい。怖くなるくらいに。
川に流れ行く仔犬の姿も、串刺しにされた亀の姿も、私が死ぬまで脳内に張り付き続ける絵なんだと思う。合掌。