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友川カズキを聴きにゆく。
友川カズキを聴いた。いや、聴かねばならなかった。兎に角、今、聴かねばならなかったのだ。
約一ヶ月後に初の独演会を控えた状況で、どうしても聴かなきゃいけないと思った。衝動に理屈は無い。
--------私の友川カズキとの出会いの話をする。まだ、無善寺という居場所を見付ける前の話だ。
『僕は今日も無力無善寺で歌ってる』で登場する、野外イベントにおいての話。
まだ秋田弁ブルースという"発明"をする前だったのだが、とかく訛りの強い私は標準語でもイントネーションが秋田弁。
MCを聴いてた写真撮影のおじさんが「友川カズキって知ってる?」と聞いてきた。
「秋田出身のフォーク歌手がいてズーズー弁丸だしで歌うんだよ!君も秋田なら聴いてごらん!」と。
どうも訛りを単に面白がってるような言い方が引っ掛かったのだが、勧められたモノはとりあえず聴くスタンスなので帰宅後にググってみる。
『トドを殺すな』という曲が真っ先に出て来た。ポチリと押して聴く。
・・・なんだ。なんだこれは。分かる。分かり過ぎる。と言うか家の婆さんと喋り方一緒じゃねえか。なんだこれは。凄い。とんでもないぞ。凄い。
衝撃と言う言葉で済ませるべきで無いと思う程に、衝撃だった。
そして何故だか知らないが、一年くらい前に作って誰からも理解して貰えない自分的には傑作の曲『犬の川』と、キーも一緒でコード進行が似ていた。只管に"死"について問い詰めてくるところも、どうも似ている。
兎に角、自分の地元にこんな凄いミュージシャンがいた事を知らなかった事を恥じた。いや、今思い返すと知らなかった事が良かったのかも知れない。
変わり始めていた自分の作風の権化のような存在がいた事に、齢30にして気付いたのだ。
----------話を先に進めよう。誰からも受け入れられない事に嫌気が差し、野外イベントは元よりライブ自体を全くやらなくなる日々に突入。
一年も宅録生活を続けた頃、たらまガレージを訪れ『犬の川』を絶賛された。色んな人が聴いてくれ、口々に「友川カズキみたいだ」と言われた。
先に言ったように、友川カズキを知る前に作った曲なのだが。
カラスさんは言う。「風土が人間に影響を与える」のだと。(参考・カラスさん日記 )
人から矢鱈に言われるので、自然と意識するようになったと言うのが正しい。
風土の影響は無論あって、自然と世界観が似るとしても"私は私であらねば"と思って、ずーっと自分を探していた。
たぶんちょっとずつ、自分は見付かってる気がする。たぶん。たぶん。
・・・今日私は、友川カズキを聴いた。
いつものように『一人ぼっちは絵描きになる』でボロボロ泣いてしまい、生きてるうちは死にたくないと思った。
目黒の空を見上げてみたら、少し薄ぼんやりした月が浮かんでいた。私は今日、友川カズキを聴いた。昨年の夏、地元で聴いた以来に。
頭の中に豪雨災害の最中のゆめろんと、親戚の寄り合い状態になっていた二次会の様子を思い出した。今日も、私は友川カズキを聴いた。
へば、この駄文はこの辺で終わるすべ。