ルーアン
ルーアン大聖堂は壮麗だった。左右に屹立する塔の間にも、四つの小さな塔が林立し、さらに奥にも細長い尖塔が天空を突いている。しかし塔よりも目を惹くのは、全体の装飾の凄まじさである。彫像だけで何体あるか判らない。あらゆる無数の彫像は、その凹凸と陰影を前に、ファサード全体が巨大な彫刻作品のように思える。
西面に位置するファサードは、午後から夕方へと、光を浴びて刻々と変化して行く。夕方のある時期ここを訪れると、全体がガラス細工のように反射していた。青空のなかをギザギザと埋める白い壁。凹凸と陰影。行き交う人の長い影は壁に描く。見たことのない鮮烈さを前に、私は時が止まったかのように佇んでいた。
大聖堂の向かいには観光案内所がある。その二階に、かつてモネが借りていた部屋がある。そこから様々な時間帯で、刻々と移り行く光のなかに浮かぶ大聖堂を33点描いた。
ルーアン大聖堂は16世紀に完成したゴシック建築で、左右の塔は80m前後、奥の一際高い塔は後付けの鉄塔で、151m。この尖塔だけ1876年のもので、当時は世界で最も高い建築物だったという。しかし大聖堂の壁面の奥から、取ってつけたように細長く伸びた鉄塔は高いには高いが、大聖堂の威容とは結びついていない。壁面が真っすぐ伸びて天空を突いていたストラスブール大聖堂の威容は、そこにはない。ルーアン大聖堂の威容はやはり、壁面である。巨大な壁面に、これでもかというばかりの細やかな装飾。それら全体をスクリーンにした光の反射こそが、この大聖堂を無二のものにしている。
スクリーンと言えば、近年では夜も大聖堂は名所となっている。毎年夏の日没後に、プロジェクション・マッピングで印象派の絵画やジャンヌ・ダルクの火刑などを壁面全体に映した光のショーを演出している。私も16年夏の滞在では近くに宿を取り、日中だけでなく夜もその前に身を運んだ。
大聖堂から駅に向かって歩いて行くと、公園を前にして大きな館が見えてくる。ルーアン美術館である。16年夏は、ある特別展を報せる垂れ幕が懸っていた。モリゾを描いたマネの絵とともに、「Scenes de la vie impressionniste」と銘打たれていた。もう一つの垂れ幕にはマネを筆頭にモネ、ルノワールと、印象派とその周辺の画家の名が列挙されてあった。
何も調べずに訪ねた私にとっては、望外の喜びとなった。フランス国内ではオルセーに次いで印象派のコレクションが多いことで知られるルーアン美術館ではあるが、さらに内外から珠玉の作品を集めて、印象派の美術展が催されていたのである。
出展作品はこれまでに日本で観たものも結構あった。会場は三部構成になっていて、まず画家たちの家族や、仲間との光景を描いた絵が並ぶ。ファンタン・ラトゥールやフレデリック・バジールの、マネを中心とした印象派の面々が集う絵もあった。
つぶさに観て行くと、マネやモネを中心とした相関図が浮かび上がる。マネの弟に嫁いだモリゾの写真や、マネ家にポール・ヴァレリーなど文化人が収まった写真、モネ家の大家族の写真など、当時を知らせる貴重な資料も展示されている。セザンヌの肖像画や、モーリス・ドニの「セザンヌ礼讃」もあった。
次に、家族とのより親密な光景が描かれた絵が続く。モネやルノワールの妻子が描かれる。子どもが文字を書いたり、自転車に乗ったりしていて、愛らしい光景である。11歳の息子を描いたセザンヌの絵もある。「リンゴは動かない」で知られるモデル泣かせのセザンヌだけに、息子も大変だったろう。
さらにここに、マネが描いた、あのモリゾがいた。思わぬ再会である。オルセー美術館の収蔵作品をパリで出会わずに、ルーアンで叶った。こういう僥倖にありつけるのも、美術館巡りの楽しみの一つである。会場の中心で、黒のモリゾは独特の気品を湛えていた。
ここまでは肖像画中心の構成だったが、最後は一転して風景画や風俗画が並ぶ。ピサロの「モンマルトル大通り」や、カイユボットの「ヨーロッパ橋」などが、オスマン大改造当時の、新しいパリの躍動を伝える。
特別展の会場は、美術館を入ってすぐのところにあった。明るい中庭に向かって、作品が並ぶ。スタッフが開放的なところが、いかにもフランスらしかった。彼らは時に静かにお喋りに興じたり、ハグをしたりするのだが、少しも悪目立ちしない。鑑賞の邪魔にもならない。それがフランス語で、フランス人だからかどうかは知らないが、美術館の空間のなかにうまい具合に溶け込んでいた。
鑑賞し終わると、明るい空間にいた。大きなガラス張りの天井から自然光が降り注ぐ、吹き抜けの中庭となっている。作品の並ぶところからは、ドアも仕切りも隔てず続いていた。何人かはそこで休んでいて、隣接したカフェからボーイがドリンクを運んでいる。鑑賞と休息が一体となった空間美は、フランスの美術館ではよくみられる。こういうところで一日を過ごせる人たちが羨ましい。
二階は常設展示で、赤や青の壁で統一された部屋に、カラヴァッジオやベラスケス、ジェリコーやプッサンなどの作品が並ぶ。もちろんルーブルやオルセーとは比較にならないが、ルーアン美術館は地方の美術館としては十分な大きさを持っている。