ル・コルビュジエ建築探訪 前編②
パリ14区。モンスリー公園は、モンパルナスの喧噪からは少し離れた住宅街の一角にある。辺りの高低差を活かして滝や池もあるこの公園は、夏になると宛らピクニックの現場と化す。ギラギラした陽光に水飛沫があがり、甲高い声が途切れ途切れに聞こえる。公園の西側には小道が走っていて、20世紀初頭には画家たちのアトリエが集まっていた。その一つであるモンスリー通りには、今も雰囲気のある邸宅が並び、さらに進んで行くと突き当たりに、コルビュジエがフランスで初めて建築した邸宅が見えてくる。
1923年、盟友オザンファンのために建築した邸宅は、屋根以外は当時のまま遺っている。ピロティや屋上庭園はないが、気鋭の建築家のエッセンスは、すでにそこに現れていた。二階は前面から側面にかけておなじみの連続窓が廻らし、三階のアトリエはその何れにもほぼ全面に渡る大きな窓枠が取られている。これだけでも充分な採光に思えるが、当時は天井にも巨大なガラスがあったらしい。屋根をギザギザにして汚く光を取り込もうとしたようだが、さすがに明るすぎたのか、現在は窓のない平屋根に改築されている。
モンスリー公園の南には大学都市という、テーマパークのように広大な居住区がある。そこは各国の留学生の寮が集まっている訳だが、面白いのはそれぞれの国の意匠に基づいて建てられていることだった。日本館もあり、松の木と枯山水の庭を配したその建物は、日本風の屋根を上に載せていた。建築家の吉阪隆正はその若き日に、毎日斜向かいに見えるスイス館を見て暮らしたと述懐している。
そのスイス館を建築したのがコルビュジエである。直方体のコンクリートの建造物は、何本かの支柱、いわゆるピロティによって持ち上げられ、南側はいちめんに正方形のガラスパネルが展開し、燦然と輝いている。南面以外は目地のはっきりしたコンクリートが続く。一階ロビーにはコルビュジエの巨大壁画があり、デザインの椅子とともに、ザ・コルビュジエ・ルームとなっていた。天井下スリットから差し込む光が壁画を斜めに走り、この上ない時を演出していた。
パリ16区。とりわけ厳かなオスマン調の建物続くその地区は、どの街路に入っても、しんとしている。時折通りかかる人に丁重に道を訊ねても、皆知らん顔して通り過ぎて行く。私は御免被りたいが、もし巷間言われるステレオタイプのフランス人に会いたければ、この街区を訪れるといいだろう。さて、わざわざそんな街を訪ねたのも、目的があるからである。
メトロのジャスマン駅を降りて閑静な住宅街を少し歩くと、1920年代のコルビュジエ白の時代を代表する建築が現れる。ラ・ロッシュ/ジャンヌレ邸である。
白い箱に、水平に連続した窓。今となっては特に目を引く外観でもないが、20年代当時の人々の眼には奇異に映ったに違いない。この邸宅は二世帯住宅になっていて、手前のジャンヌレ邸には現在コルビュジエ財団が入っている。訪問者は奥のラ・ロッシュ邸に入る。ちなみに日曜日はやってないので注意が必要である。
中に入るとそこは玄関ホールで、コルビュジエの絵が壁画のように空間を埋めている。吹き抜けのホールは階段を上がると光が溢れる。北東面の大枠の窓は、自然光をふんだんに採り入れ、ホールを隅々まで照らしていた。
扉を開けて隣の空間に。吹き抜けのギャラリーになっている。奥行きのある空間に控えめながら光は降っていて、思ったよりも明るい。下階部にほとんど窓はないが、上階部は右も左も窓がぶち抜かれている。
この邸宅の目玉と言ってもいいのが、左側に湾曲した壁に浴ってスロープがあることである。奥から手前に向かって、建築的プロムナードは緩やかに進む。しかし実際に歩いてみると、傾斜は思ったよりも大きい。長谷川氏の講演で、機械時代の比喩表現で「バイクの上がるスロープ」と言っていたのが思い出される。一歩一歩進めて行くと、光の角度が変化しながら視点が変わって行く。
スロープを上がると、また玄関ホールの空間に戻る。小さな図書室になっていて、天窓が強烈なトップライトとなっている。上からホール全体を眺めると、いたるところからデザインされた光が届いていた。
ホールを渡ってギャラリーの反対側は生活空間である。下階のキッチンと上階の食堂を、むき出しの配膳エレベーターが繋いでいた。
ラ・ロッシュ/ジャンヌレ邸からポルト・ドテイユ駅へ。そこはもう16区の外れである。さらに先に進むと、パリのスポーツ施設の集中する広大なエリアに突入する。その一角にあるのが、コルビュジエのアパルトマンである。
自身が設計した8階建のアパルトマンの最上階に、1934年から亡くなるまでの30年あまり居住した。以前は土曜日限定の予約制だったが、世界遺産認定を機に内部は修復され、18年に曜日も時間も拡大し一般公開の運びとなった。
通りに面した外観は、水平に連続したガラスとガラスブロックが各階に渡って交互に続く。各フロアの上部はガラス。下部は外から見えないガラスブロック。つまり通りから見ると、建物の鉄枠以外はガラスのみで構成される。両隣が隙間なく隣接するための工夫とも言えるだろう。各階とも前後に二戸だけの構成なので、中央の吹き抜け空間からもそれぞれに光が届く。現在でも十分にモダンだが、竣工は日本で言えば昭和9年である。
興奮を抑えてエントランスに入る。そこには壁いちめんにコルビュジエのドローイングがあり、上から自然光が照らしている。奥に進むと扉を手で開ける旧式のエレベーターがある。一番上の階のボタンを押すと、ゆっくりと動き出した。しかし着いた階にそれらしきものはない。よく見ると小さな案内板が上を示している。階段でもう一つ上の階に上がる。するとそこにあったのが、夢にまでみたコルビュジエのアパルトマンだった!
入ると右側に天井の高い空間がある。そこはアトリエで、天井はかまぼこ型になっている。奥の壁は白っぽい石のタイル張りでできていて、柔らかい雰囲気を醸し出している。両サイドは双方から光を採り込み、光加減によって、タイル張りの無数の石が柔らかい響きを発していた。材質と採光の絶妙な組み合わせによって、立ち去りがたいような美しい空間構成となっている。
ここでコルビュジエは午前中は絵を描いて過ごした。アトリエでは各国語のガイドブックが販売されていて、日本語もあった。
アトリエを背にして反対に進むと、机と椅子だけが置かれた小さな書斎がある。机いっぱいに取られた窓はガラスブロックで、その採光が絶妙である。眩しくはない明るい光が、机いちめんに注がれている。
私は絶句した。机の両側は壁と棚。そこに座るだけのスペースがあるだけである。しかしこんなにシンプルで美しい書斎は見たことがない。脇にある書棚は壁に沿って機能的に取付けられている。ここに必要な書だけを揃えて、物書きができる。
玄関から入ってアトリエとは逆の、左側の大きな扉を開くと、極めて機能的で美しいリビング・ダイニングが目に飛び込んできた。
壁は多くは白だが、トップライトが降りる面だけ赤や青になっている。木目調の壁が続く所では、上部のスリット窓から、吹き抜け空間の光を取り込んでいる。取り込まれた先には、コルビュジエがデザインした家具が巧みな空間構成の一員となっていた。
L字型のキッチンも現代的な収納スペースを備えたコンパクトな造りで、ガラスブロックからの光がそれを柔らかく包んでいる。
これらすべては、そのまま現代の住宅展示場に持ってきても違和感ないどころか、理想的ですらある。住むのに十分な広さを持ちながら、それでいてヒューマンスケール。繰り返すが、日本で昭和9年の住宅である。
玄関ホールに戻る。リビングに続く大きな扉の脇には、螺旋階段がある。この対比も目に鮮やかである。階段を上がるとゲストルームになっていて、抜けると屋上に出る。綿をちぎったような雲が空に浮かんでいる。こんなところに住めたら最高だと私は思った。ヒューマンスケールの中に、デザインの美しさが凝縮している。
最後にアトリエに戻って窓の外を見た。向かいに大きく見えるのはラグビースタジアムで、斜向かいにはサッカー、パリ・サンジェルマンの本拠地パルク・デ・プランスも見える。近くにはテニスの聖地ローランギャロスもある。コルビュジエの愛したスポーツの空間に囲まれて、建築家の過ごしたアパルトマンはあった。